説教『救い主、誕生の知らせ』(ルカ1:26~38)

2016年12月4日     アドベント礼拝(2)・説教要約
説教『救い主、誕生の知らせ』(ルカ1:26~38)
◎待降節の第2主日を迎えました。先週は、ルカ福音書の序文に続いて書かれている本文の最初の記事である洗礼者ヨハネ誕生の予告の記事を取り上げました。今日の記事は、それに続いて婚約中の乙女・マリアが突然、天使によって自分のお腹の中に神の子・イエス様が宿っていると告げられる場面です。今日、取り上げる1:26~38から、この記事に込められている大切な3つのメッセージを聞いて参りたいと思います

◎今日の記事が伝えている第1のメッセージは、救いに向けたすべてのことが神の主導のもとに、また、神のご計画の中で起こったということです。神様は、私達に救いをもたらすために長い年月をかけて周到に計画を練り、その計画に従って、この地上に救いをもたらされたことが今日の記事から伝わってきます。
祭司ザカリヤの妻エリザベトが洗礼者ヨハネを身ごもったことも、旧約聖書のマラキ書3:23・24の言葉、「見よ、私は大いなる恐るべき、主の日が来る前に、預言者エリヤを遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる」との預言の実現と言えます。救いは長い時間をかけて用意されました。それはイエス様誕生のはるか700年前のBC8世紀、南ユダ王国のアハズ王の時代に預言者イザヤによって語られた言葉、イザヤ書の7章の「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む、その名をインマヌエルと呼ぶ」の言葉、イザヤ書9章の「ひとりのみどりごが私達のために生まれた。ひとりの男の子が私達に与えられた。権威が彼の肩にある。その名は驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君、と唱えられる」という預言が実現したもの、神様が長い時間をかけてこの世に救い主・永遠の王を送られたことを聖書は告げています。

◎ただし、その王・支配者としてのイエス様は、ご存じのように、これまでの王・支配者とは全く異なる王であり、支配者でした。私達の上に力を奮い、権力を振りかざして支配する方ではなく、むしろ、私達の下に立ち、徹底して私達に仕える王、どんな時でも私達と共にいてくださる同伴者、ご自分の命を捧げることによって私達を罪から救い出そうとなさった救い主でした。これは、イザヤ書53章に描かれている苦難の僕の姿と重なる救い主です。そのように、イエス様が遣わされたのは、神様の深いご計画の中からこの世に遣わされたと言うことなのです。これが、今日、お伝えしたい、第一のメッセージです。

◎続く、第二のメッセージは、神様はこの世に救いを実現するために必要な人を選ばれるということです。神様は救いを実現するために必要な人物を選ばれます。ここでも、救い主が誕生させるために、その母親としてマリアが選ばれます。では、なぜ、マリアが選ばれたのでしょうか。マリアはまったく普通の女性・少女、辺境の地、暗黒の地と呼ばれたガリラヤのナザレという貧しい村の貧しい少女でした。そのマリアが選ばれ、救い主の母となるのです。そのマリヤに対して天使は「おめでとう、恵まれた方」と告げます。ここに「恵まれた方」とありますが、恵んだのは神様です。マリアが選ばれたのは、ただ神の恵みによるものと言うほかありません。神の選びは人間の側に理由があるのではない、神の側に理由があるのです。私達もそうです。私達が救いに与ったのは、私達が信仰深いとか、優れた人間だとか、私達の方に理由があったからではありません。私達の方に理由があるのではなく、神様の方に理由がある。それはただ神の恵みによって、神の深き憐れみによって、私達は主イエスの救いに与ったのだと言うほかありません。

◎しかし、神様に選ばれたと言うことは、試練や困難がなくなることではありません。マリアにしても神の子・イエス様を身ごもることによって様々な苦しみを味わいます。また、出産後もマリアは深い苦悩を味わいます。とりわけイエス様が家を出て神の国の教えを教えるようになると苦悩は深まって行きました。しかも、イエス様はこの世の権力者に憎まれ、最後は十字架上で処刑されます。マリアは最後まで苦悩を味わうことになります。しかし、ここではそのようなマリアに対して天使は「おめでとう。恵まれた方」と挨拶をしています。なぜ、マリアが恵まれた女性なのか。それは、これからマリアが様々な苦しみの中で「神は私と共におられる」ということを深く知らされていくからです。どのような苦しみ・苦悩があったとしても、神様は私と共にいてくださっている。共に歩んでくださっている。そして、苦しみや苦悩の向こうには大きな幸い、喜びがあるのだということを知らされるからです。それは何によって知るのか。
それは、十字架の後に起こった復活の出来事によってです。マリアは、この33年後、息子の死・十字架という最も深い悲しみを味わいます。しかし、その後、復活の主イエス・キリストと再会します。その時、マリアは自分のお腹に宿した子が神の子であったと言うこと、そして、この天使が告げたように、イエス・キリストがこの世界を永遠に支配するという言葉の意味を初めてわかるのです。そのような意味で天使はマリアに向かって「喜びなさい。恵まれた方。主はあなたと共にいます」と呼びかけたのだと思います。

◎そのように今日の記事は、神様は救いを実現するために必要な人を選ばれるということ、神の選びがあることを教えています。そして、さらに、その神の選びには苦しみ・試練が伴うのだけれど、神様は、必ず私達と共にいてくださり、そして、最後には、必ず、大きな喜びへと、恵みへと導いてくださることを教えているのです。これは、私達に対する深い慰め、励ましであり、希望でもあることを知らされるのです。

◎最後の3つ目のメッセージは何か。それは、そのような神の選びに対して、マリアがそれを神への信仰をもってしっかり受け止めたと言うことです。そして、マリアは私達に信仰とは何かを教えてくれていると言うことです。1:34あるように、最初、マリアは天使の言葉に戸惑います。「どうしてそんなことがありえましょう。私は男の人を知りませんのに」と答えます。結婚もしていないのに、なぜ、私が赤ちゃんを身ごもるのでしょうか、と率直に天使に向かって語ります。それに対して天使はこう答えます。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれてくる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」と。あなたに聖霊が降り、聖霊によって身ごもるのだ。その子は神の子なのだと言います。実に驚くべきこと、信じられないことを告げます。しかし、同時に、そのようなあなたを神様は包んでくださる。守ってくださる。だから、心配することはない。そう語りかけるのです。そして、天使は最後にこういいます。「神に出来ないことは何もない」と。この言葉は原文に忠実に訳すと「神においてはその語られたすべての言葉が不可能になることはない」となります。神が語られた言葉は必ず実現すると言っているのです。神様が天使を通して語られた言葉、「あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名づけなさい」と語られた言葉・約束は、必ず実現する。もっと言えば、旧約以来、神様が約束された言葉・約束、人類に救いをもたらすと言う約束は、必ず実現する。そう言っている言葉として受け止めることができます。

◎その天使の言葉に対して、マリアはこう答えます。「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と。ここでマリアはこれから自分の身の上に起こることを受け止める決意をしました。神様が導かれる道は決して平坦ではないだろう、様々な試練や困難があるだろう。その道を歩む時、自分が求めている物・願っていること・自分が思い描いた幸せを捨てなければならないかもしれない。でも、私はただ神様の言葉がなることを願おう、そう思って「お言葉通り、この身になりますように」答えたのです。

◎このあたりのことはただ推測するしかありません。何がマリアの心の中に起こったのかは、他の人に理解することは難しいでしょう。これはマリアの心の中の秘密であるとある人は書いています。心の中の秘密。そのことで思い起こすのは、以前、説教でも紹介したことのある哲学者の森有正の言葉です。彼はこういうことを言っています。「人間にはいかなる場合でも隠そうとする、あるいは、隠された一隅があります。人にも言えず、親にも言えず、先生にも言えず、自分だけで悩んでいる、また、恥じている、しかし、そこでしか人間は神様に出会うことはない」と。恐らく、天使がマリアに告げたことは誰にも言えない心の秘密であった。聖霊によって神の子を身籠ったなどということは誰にも言えない秘密であった。そして、誰にも言えない、戸惑いと、不安、畏れの中で、マリアは、「私は主のはしためです。お言葉通りに好みになりますように」と、すべてを神様に委ねる決断をするのです。これがマリアの信仰でした。神を畏れ、また神を信頼して、全てを神様のゆだねること。これが信仰であることをマリアは私達に教えています。

そして、この人知れず下されたマリアの決心・決断によって、私達・人類の救いの道が開かれていったのです。このマリアの言葉は、神様は私達を最善に導いてくださるのだから、神様にすべてを委ねます、と言う、全面的な信頼と信仰を教えてくれます。神様の御心を第一として生きる信仰を教えているのです。私達もまた、このマリアの信仰を継承するものでありたいと思うのです。

◎今日はマリアの受胎告知の記事から3つのメッセージを聞きました。神様のご計画、神様の選び、そして、マリアの信仰、これらのことを心に刻みながら、待降節・第二週である今週も、イエス様を見上げつつ、イエス様を待ち望みながら歩んで参りたい。そう思うのです。