説教『人の心から生まれる悪、悪と罪からの救い』(マルコ7:1~23)  

2017年11月19日               主日礼拝・説教要約
説教『人の心から生まれる悪、悪と罪からの救い』(マルコ7:1~23)

◎寒い朝を迎えました。教会の暦では降誕前第6主日、クリスマスまであと6週間となりました。先週の月 曜日は石黒洋さんの告別式を持ち、洋さんの霊を神の御許にお送りしました。苦しみ悲しみの多い人生だったと思いますが、天に召される5カ月前に受洗され、洗礼を受けて本当に良かったと何度も語っておられ、実際、病床においても感謝と平安に溢れたお姿でした。洗礼の恵みを思わされた洋さんの最期でした。

◎今日も聖書のみ言葉から主の溢れる恵みを受けて参りましょう。今日の聖書はマルコ福音書7:1~23です。やや長い箇所ですが、今日は二つの場面に分けてメッセージを聴いて参ります。まず前半の記事7:1~13です。冒頭の7:1には「ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちがエルサレムから来て、イエスの下に集まった」とあります。イエス様のことはエルサレムまで聞こえていたのでしょう、彼らは、イエス様がどんな人物か、何を教えているのかを調べるため、また、その教えを聞くために集まってきたのです。

◎ところが、彼らが驚いたことがあった。それは、主の弟子達の中に手を洗わないで食事をする者がいたことでした。なぜ、驚いたのか。その理由が7:3~4に書かれていますが、ユダヤ人は皆、昔の言い伝えを固く守って念入りに手を洗ってからでないと食事をしなかったからです。それは衛生上の理由からというより宗教的な理由によるものです。ユダヤ人にとって食事は神から与えられた神聖な時でした。手を洗い、身を清めて食べるものでした。特にユダヤ人は聖なる民との自覚がありましたから、外の世界の汚れ、外国人と接触した汚れから身を清めることが求められました。だから、律法学者たちは驚き、主に問いかけました。「なぜ、あなたの弟子達は昔の人の言い伝えを守らず、汚れた手で食事をするのですか」と。

◎すると、主はこう答えます。「イザヤは、あなた達のような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先では私を敬うが、その心は私から遠く離れている。人間の戒めを教えとして教え、虚しく私をあがめている』。あなたがたは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」と。主は彼らを偽善者と呼んでいます。信仰がないのに、あるかのように振る舞っているというのです。
なぜか。それは彼らが神の掟・戒めよりも人間の言い伝え、つまり、人間が考え、解釈した規則を大事にしているからです。神の掟・言葉・戒めという幹よりも、人間の戒め・規則という枝葉を大事にしている。これは本末転倒です。神よりも人間を大事にしていることになる。ここに主の批判の理由があったのです。

◎実際、神の言葉よりも人間の規則を大事にする本末転倒に陥ったらどうなるか。神よりも人間やこの世を大事にする生き方に陥ります。第二に人間の規則によって自分を他者を縛り、他者を裁く生き方に陥ります。それは神の愛と憐れみの心から離れる結果になります。第三に人間の規則を悪用する生き方に陥ります。7:10~12にあるように、『「これは神への供え物です」といえば、父母に対して何もしないで済む」というように、人間の言い伝えが神の掟を守らないで済む口実になっているのです。主は、人間の言い伝え・規則よりも神の掟・言葉を大事にすることこそ神への真実であり、信頼・信仰なのだと教えるのです。

◎後半の7:14~23は、以上の前半をさらに掘り下げ、汚れの問題から心の問題・内面の問題へと深化しています。主は群衆に向かって言います。「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出てくるものが人を汚すのである」と。つまり、人を汚すものは外にではなく人の内にあるというのです。ユダヤ人が外の汚れから身を清めることに懸命であっためたのに対し、主は人を汚す汚れは私たちの内にある、心にあると指摘されたのです。主は言われます。「人間の心から悪い思いが出てくる。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである」と。人間の心から生まれる怒りやねたみ、憎しみなどの悪感情、また、性欲・物欲・金銭欲・名声欲・支配欲などの過剰な欲望、愛と知恵、思いやりに欠けた傲慢と無分別などが悪を生み出し、人と社会を汚している。これは現代社会でも日々起こっていることです。

◎ローマの手紙7:18~20では「私は自分の望む善を行なわず、望まない悪を行っている。それをしているのは、私ではなく私の中に住んでいる罪なのです」とあり、また、同じローマ3:9~12には「ユダヤ人もギリシャ人も皆、罪の下にいます。正しい人は一人もいない」とあります。人の心の奥底には罪があり、その罪が私たちを悪へと導き、悪を行わせている。人は皆、その罪の奴隷となっているというのです。

◎では、そのような人間の救いはどこにあるのでしょうか。ローマ3:23以下にこうあります。「人は皆、…ただキリスト・イエスの贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」と。主イエスの十字架による罪の贖いによって罪は赦され、義とされたのです。十字架にこそ私達の救いがあるのです。