祈祷会・聖書の学び ルカによる福音書23章44~56節

落語に「片棒」という話がある。「片棒を担ぐ」、つまり重いものを運ぶ時、天秤棒の真ん中に荷物を吊るし、前後にそれぞれ人が付いて背負う、ひとりでは持てない重量物を運ぶ時の知恵である。こんなあらすじ。自分の葬儀がどうなるかを心配する大店の主人、三人の息子に意見を聞くことにした。葬儀のやり方をどう考えるかで、この屋にふさわしい跡継ぎも決めようというのである。上の二人の息子は「日比谷公園を借り切って豪勢なものに」、「芸者衆も登場する粋なものを」等と答え、言下に却下される。この主人、けちなのである。気にいられたのは一番下の息子で、「質素な弔いにしたい」、という。棺桶は漬物用の古樽を流用して、人を雇うのも出費がかさむというので、前は自分がかつぐが、「片棒」のもう一方はどうするかで困っている、と言うと、この主人、「心配はいらん。片棒は俺が担ぐ」。

人間、人生一番最後のことだけは、自分で始末をするわけにはいかない。どんなにがんばっても「片棒は俺が担ぐ」ことはできない。この国は、他国と比べて葬儀費用が非常に高額だと言われ、葬儀の簡素化がしばしば語られる。そして今年のコロナ禍は、様々な事柄に影を投げかけ、従来のやり方を踏襲するのが困難な状況をも生み出している。「葬儀」はその典型だとも言える。冠婚葬祭の儀礼は、人と人との関係と深く関わっているから、「密」を避けることが本来難しい。喜びにつけ、悲しみにつけ、人間はすぐそばで、密に関わることによって、喜びや悲しみを共にし、絆を深め、関係を強めつつ、共に生きるという宿命をもっているからである。そういう身体の健康ばかりか、精神的なつながりをも破壊するのが、この小さなウイルスなのである。

葬儀というものは、豪奢であろうと質素であろうと、本質的に、「規模」は問題ではない。要は近しい大切な存在を失った「喪失の悲しみ」を、きちんと、しっかり悲しむことができれば良いのである。悲しむべき時に悲しみ、喜ぶべき時には喜ぶ、この当たり前のことが、当たり前にできないと、私たちの心は悲鳴を上げる。悲しむべき時にしっかりと悲しめたなら、私たちは、大胆に立ち上がることもできるのである。旧約コヘレトの言葉にも、「すべてのものには時がある」と語られる通りである。

さて、4つの福音書すべてに、主イエスの受難、十字架と死、そして埋葬についてが語られている。ある学者は、福音書は長い序文のついた「受難物語」だと主張するくらいである。主イエスの公生涯の中心であり、頂点は「十字架」なのだという。確かに十字架抜きに、私たちの信仰は根拠を持たない。しかし聖書の時代から遠く隔たった、「現代」に生きる私たちでも、主イエスが十字架に釘付けられ、血を流し、亡くなられる情景は、その痛ましさに心が疼くのである。しかし同時に、その死とそれに続く葬りの情景によって、深く慰められもするのである。悲しみは決して、ネガティブな側面だけを持つのではなく、悲しみを通してしか見いだせない真実も、そこには包含しているのだと言えるだろう。

各福音書はそれぞれ、主イエスの最期の痛ましい情景に託して、悲しみを通しての慰めを語ろうとしている。まず47節「(ローマの)百人隊長はこの出来事を見て、『本当に、この人は正しい人だった』と言って、神を賛美した」。この痛ましい姿に、神の働きを見て、賛美をした、というのである。彼は、ただ上からの命令を受けて、犯罪者を型どおりに処刑したまでである。エルサレムでの十字架刑は、年がら年中の恒例行事のようなものだったから、事務的に作業しただけだろう。いつものように強盗(政治犯)を十字架に架けたのである。そしていつものように犯罪者は息絶え、ことは済んだのである。そこに「何も起こらなかった」。ところが、最も近くで一部始終を見ていたローマの一官憲が、「神を賛美した」という、これはどこから生じたのか。

また48節「見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った」とある。さらに「イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って」とあるように、主イエスを直接知る人々は、禍根を恐れて遠巻きに見ていたようだ。「群衆」とは、興味本位、怖いもの見たさの烏合の衆である。その彼らが皆、「胸を打ってそれぞれの場所に帰って行った」というのである。「胸を打って」とは、「悲しみ」あるいは「感動」、さらに「悔い改め」のしぐさなのである。繰り返して言うが、主イエスの最期には、「何も起こらなかった」のであり、それにもかかわらず、この痛ましい情景を見ていた人々に、「変化が起った」のである。敢えて言えば、これが「悲しみの力」なのだろうか。

主イエスの最期に続いて、埋葬が語られる。4つの福音書に共通して、一人の人物、アリマタヤのヨセフの働きが記されている。最高法院の身分の高い議員のひとりであったという。ルカでは「神の国を待ち望んでいた」と記されており、生前の主イエスの「神の国」の教説に、深く心を動かされていたのかもしれない。西ヨーロッパ中世の伝説では、聖杯と結び付けられ、彼が十字架のもとでイエスの血を受けた聖杯を持って、イギリスに渡ったとされている。

ヨセフもまた、十字架の「悲しみ」に深く突き動かされたひとりだったろう。主イエスの遺体を引き取り、埋葬した人とされる。この人の行為が、最初のキリスト教会の伝承に強く刻印を押していたことは、すべての福音書が言及していることでも知れる。主イエスの働きは、ヨセフのような人にまで、広く影響を及ぼしていたことへの驚きがあっただろう。それ以上に、主イエスがゴルゴタで確かに死んで、確かに埋葬されたことへの、「実証」がこの伝承であると見做したからではないか。主イエスの死は、仮死でも幻でもなく、いわんや誤魔化しではなかった、「真正の死」であると言いたいのである。

人は死んだならば、もはや自分では何もすることができない。葬儀はおろか埋葬も自分の手を離れるのである。神の子である主イエスもまた、そうであった。死によってまったく無力となったのである。主は、「まことの人」であることを、その死によって、誰の目にも分かるように、お示しになったのである。アリマタヤのヨセフは、死によって無力にされた主イエスを十字架から取り下ろして、墓に納めることで、この「まことの人」が、十字架の死に至るまで、一人の人として、人々と共に歩み、共に生きられ、自分もまた主と共にあったことを、心底から思い起こしたのではないか。そして彼は、主の遺体を「新しい墓」に葬った、と伝えられる。それは「岩に掘られた墓」だと言うが、彼の硬い岩のような心が穿たれて、そこに主イエスが宿られたということの喩えではないのか。そして、ここに新しい生命は始まるのである。