「今もなお働いて」ヨハネによる福音書ヨハネによる福音書5章1~18節

2月を迎えた。この月の旧名は「如月」、一説に「(厳しい寒さのため)更に着物を上に着る」から来ていると説明される。それでもこの一月の関東地方の気温は、平均気温を下回ったのは7日程と伝えられる。「寒い寒い」と口では言うが、統計上は、「暖かな冬」なのである。そのためか春に先駆けて咲く梅の開花が、平年よりも早いらしい、寒中に紅梅白梅のつぼみが、目を楽しませてくれる。

最近、「花眼(かがん)」という言葉があるのを知った。辞書には載っていない言葉だという。この言葉から、皆さんはどんなイメージを持たれるか。元々は中国に起源を持つ語らしい。「花のように美しい瞳か」と思ったら案に相違して、いわゆる「老眼」のことだという。中国語では花に「ぼやけた」という意味があり、そこから「物がよく見えない、加齢によく視力の衰え」を表すようになったようだ。但し、目に衰えを感じる年齢になって、季節の花々に心引かれる人も少なくない。言葉の妙というのか、花眼とは「美しく、かけがえのないものを見る目」にも思えてくる。私たちの目は誰も皆、いつか「花眼」となるであろうが、それがただ「ぼやけて焦点が合わない」となるのか、あるいは主イエスの言う「栄華を極めたソロモンでさえ、この花のひとつほどには着飾っていなかった」という眼差しで、ひと茎の花を見る目となるのか、皆さんはどういう「花眼」をお持ちか。

鷲田清一氏の「折々の言葉」(2015.4.17)に「人間には生きていていろんな苦労があるよね、どの苦労を選ぶ?そのセンスを重視するのです」、と「浦河べてるの家」のソーシャルワーカーである向谷地生良氏の言葉が紹介されていた。それに続けてこう記される「LIVE(生きる)を逆さにすればEVIL(禍い)。ひとつの苦労が終わっても別の苦労にぶちあたる。どっちに転んでも苦労。だったら苦労を避けるのでも乗り越えるのでもなく、目の前の苦労とどう向き合うかを大切にしたい。北海道浦河の『べてるの家』のソーシャルワーカーは、発想を切り換えようという」。

どんなふうに発想を切り替えるのか。「べてるの家」に集う「当事者」のひとり、伊藤知之氏はこう説明する。「『べてるの家』では、一番重要な理念は『自分自身で、ともに』です。自分の苦労を他の誰かに丸投げせずに、自分らしい苦労を取り戻し、『苦労の主役』になることを重要視しています。仲間や家族、専門家ともつながりを持ち、自分らしい生き方や働き方・対処の仕方を追求する試み――なのです」と語られている。

「自分らしい苦労を取り戻し『苦労の主役』になる」ことを大切にする」というのだが、普通、「苦労」というと負わされるもの、強いられるものという、虐げられるもの、という具合に、苦労が「主人」、支配者であり、私たちはひどい目に会わされる「召使」と言うイメージでとらえられがちである。私たちはいわば「苦労の被害者」である。それが逆に「苦労の主役」になる、これは何という英雄的行為だろうか。

さて、今日の聖書に目を向けよう。「花眼」をこすりつつも。ここに38年もの間、病気で苦しんでいる人がいたという。この時代には、大体40歳くらいで孫が生まれるから、いわゆる「隠居」の身となる。その内の38年間であるから、ほぼ一生、病と共にあった、ということである。ここベトザタに来てから、既に何年も何十年も経っているのだろう。この池には、回廊が5つ、ぐるりを取り囲むような造作りになっていたらしいから、そこに寝床や身の回りの日用品を並べて、自分の生活の場をしていたということである。ほぼ40年もの間、近親縁者、介助や支援する人も、滅多にいない境遇となっているのだろう。この人に、主イエスは声を掛ける。「イエスは、その人を見、また長い間病気であるのを知って、『良くなりたいか』と言われた」。

病気の人が、主イエスが来られると聞いて、自分からみ前に出て行って、癒しを求める、治癒を願う、という記事が福音書に度々記される。信仰者としての典型的な行動であるとされる。自ら求めることなくしては、与えられない。人生は自ら決断しなくては、歩みださなくては、何も始まらない。しかしベトザタの病人は、もはや体力も、気力も、希望も、祈りも、何もかも失っているように見える。「水の動く時、わたしを池に入れてくれる人がいない。他の人は降りて行くのに」。手をこまねいて、無気力に思える言葉(40年近い年月であるから仕方ないとも言えるだろう)、を口にする人に対してどうしたものか。主イエスは、主の方から、声を掛けられるのだ。主イエスは無視しているのでも、知らないのでも、気づかないのでもない。私たちの病を、嘆きを、あきらめを、そして必要を、何よりご存じなのである。

「良くなりたいか」、主イエスは「良くなりたいか」と言われる。この問いを皆はどう聞くだろうか。「当たり前ではないか、誰も病気になったら、治りたいと思うにきまっている」そう思われるか。そう考える人は、病気の根本問題を知らないのである。ここで使われている用語は、身体の健康さを指す言葉である。健康になりたいか、ということだ。

「健康になりたいか」、主イエスはそう問われる。皆、病気を抱えていたら、健康を取り戻したいと願うだろう。しかし問題はそこなのだ、この人は病気が治り、健康になって、これからどのように生活をしていくのだろうか。「元気があれば何でもできる」というものでもなかろう。この人はおそらくベトザタの池で、人々の憐れみや施しを受けながら生活をしていたと思う。それで癒されたらどうなるのか。元気な人に、誰が食べ物を恵むだろうか。しかもこの人は三十八年も、ベトザタで横たわる生活をしていたのである。これから仕事に就くにしても、スキルの全くない、職業訓練も受けていないこの人はどうなるのだろうか。

ベトザタの池も小さな人間集団とはいえ、まさに社会の縮図を呈している、水が動く時には、そこにいる人々が、癒されるべく我勝ちに真っ先に入ろうとする、そして手助けしてくれる人もいない、いわば競争社会の中で、数十年生きて来たのである。癒されて健康な身体になった暁には、もうベトザタを離れることになる。すると今度は世間というもっと大きな競争社会の中に身を置かなければならないであろう。

「良くなりたいか」という主イエスの問いかけに、真っすぐ答えず、はぐらかすように、「水の中に入れてくれる人がいません」、と答えるこの人の心の底に、何があるのか、皆さんはどう読み取るか。無意識の内に、心の奥底にあった、本人すらも気付いていない本当の願いは、いったい何だと思われるか。

「健康でありたい」、それは昔も今も重大事である。こんなにも医学や医療が発達していても、まだ足りない、さらに、さらにと進歩に拍車が駆けられているではないか。しかし健康を取り戻して、この人は何をするのだろうか。この人は自分自身のことでありながら、まことの願いを分かっていなかった。それは今に生きる私たちも同じであろう。病気であることはつらいことだ。心と身体に痛みが襲う。死への不安がよぎる、これからどうなるのか、生活、とりわけお金は大丈夫かと悩む。「病」は今もなお人生の大きな試練であるが、病気が治ったら、すべて人生の問題は解決するというものでもない。いや、また人生の問題が、新しく始まるのである。「良くなりたいか、治ってどうするのか」、主イエスのこの問いに、私たちの人生の根本が揺さぶられるのである。

「私はけがをして失ったものもずい分あるけれど、与えられたものは、それ以上にあるような気がした。私が入院する前の母は、昼は畑に四つんばいになって土をかきまわし、夜はうす暗い電灯の下で、金がないと泣き言を言いながら内職をしていた、私にとってあまり魅力のない母だった」これは口に絵筆を咥えて、詩と花の絵を描き始めた頃の星野富弘氏の述懐である。「もし私がけがをしなければ、この愛に満ちた母に気づくことなく、私は母をうす汚れたひとりの百姓の女としてしかみられないままに、一生を高慢な気持ちで過ごしてしまう、不幸な人間になってしまったかもしれなかった」(『愛、深き淵より』)。そして、風にゆれるなずなの花(今年も、もうすぐ咲くであろう)を描き、母への詩を描くのである。「神様がたった一度だけ/この腕を動かして下さるとしたら/母の肩をたたかせてもらおう/風に揺れる/ペンペン草の実を見ていたら/そんな日が/本当に来るような気がした」。星野氏の詩画を鑑賞した人は、自分の人生を振り返って、いろいろ思いめぐらすという。そしてつぶやく「私は愛のなまけものだった」。素朴な花の絵を見て、自分自身の「花眼」を知るのである。

「治って、どうするのか」と主イエスから問われて、私たちは何と答えるだろう。星野氏は、「母の肩をたたかせてもらおう」と直に応えている。自分が与えられた憐みに、ただひたすらの母の愛に対して、どうしたらよいのか、それをそのままに自分もまたお返しするしか、人の道は、それ以外にはありえないだろう。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」ユダヤ人たちから、安息日になぜ働くのかと問われて、主イエスが口にされた答えである。安息日にもまた慈しみの主であるから、平安のために、安息のために神は働かれる。それはこの世界のすべてと、そこに住む者たち、ひとを愛しておられるからである。「わたしも働く」と主イエスは言われる。「良くなりたいか」私たちの病と一つになって、病に呻く主がおられる、その主が私たちの間に働いておられるのである。