祈祷会・聖書の学び コリントの信徒への手紙二7章2~16節

「口」は身体の諸器官の中で、人間の生命活動、「食べる」、また「言葉をしゃべる」に直結する部分であるから、この語にまつわる諺は多い。辞書で調べると、すぐに数十の文言を目にすることができる。皆さんに印象的な言葉があるだろうか。「開いた口に牡丹餅」(努力もなしに思いがけない幸運がやってくること)。「あったら口に風邪をひかす」(親切な気持ちで言ったことが無駄になる)、「蛙は口から呑まるる」(余計なことを言ったために、災いを招いてしまうこと)、「口あれば京に上る」(その気になればなんでもできる。口さえあれば、道を尋ねながら都まででも行くことができる)。「開いた口が塞がらない」(相手の言葉や行動にあきれてものも言えない様子)、この諺には、「言葉も出ないほどうっとりしている様子」と言う意味合いもあるらしい。江戸時代の1748年に初演された浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』の中に、「師直は明いた口ふさがれもせずうっとりと」という台詞がある。

今日の個所は、コリント後書7章2節以下の一連の章句であるが、6章13節以下に、直に続く文章として読むほうが理解しやすい。間に挿入されている14節から7章1節までの文章は、今では失われたしまったパウロの他の手紙の断片が、ここに紛れ込んだのではないかと聖書学者たちは推測している。確かにそのように続けて読んだ方が、文書の繋がりがいいし、意味も良く通っている。一方、間に挟まっている部分は、実に激しい調子で、語気荒く語られているので、まったく異質な文章であるとの感が否めない。この断片の語調のように、著者パウロが涙ながらに記した手紙、つまりそれだけ激しい叱責や強い非難、裁きに満ちた文言が綴られた書簡がかつて記され、コリント教会の人々に書き送られたのである。今日、学者はその今は失われた文面を想定し、名付けて『涙の手紙』と呼ぶ。これをその一部分とみなす学者も多い。現代のように、言葉が記号化されて、高度に「情報」化された時代ならば、手紙もまた、ただ情報のやり取りという意味合いが強いだろうが、「言葉」には生命が込められており、それは「霊」として現実に生きて働くと信じられた古代である。この驚愕の手紙を受け取ったコリントの教会の人々の心中、察して余りあるだろう。そのくらいの文筆力をパウロは持っていたということである。

この断片で主張されていることは、「正義と不法」「光と闇」「信仰と不信仰」「キリストとベリアル(悪魔)」という具合に、「あれかこれか」思考に貫かれている。こういう二分法は、ポピュリズム(大衆迎合主義)で多用される論理、論調であり、ファシズムやカルトの思考基盤となっていることは、つとに知られている。確かにそういう思考も必要ではある、「お昼に何を食べようか、何を飲もうか」と、どっちつかずでいつまでも迷っていたら、らちが開かず、空腹は満たされないだろう。もっとも「衣食住」は、生きることの基本であるから、そういう生活の基礎に、自己の選択の余地があることは、実に幸いのことであるし、その生活が豊かでゆとりあることの証でもあろう。そういう所では「あれかこれか」どちらかに決めるということが必要となる。しかし、生きる時の人間の問題を、すべて「あれかこれか」に限定し、統一し、それ以外を否定、捨象してしまうとしたら、ひとり一人の独自に異なる人生を、一色に塗り込め、狭苦しいところに押し込めて、がんじがらめにするだろう。だから深刻で重大な決断を求めるような「あれかこれか」は人間の生き方にとって、およそ特別なものだと言えるだろう。もし誰かが「あれかこれか」の二分法でしか物事を語らず、どちらかに決断を求めて来るような時には、十分、用心した方がいい。

パウロもコリントの教会の現状を憂いて、何とかその憂いを打開しようと一気呵成に『涙の手紙』を書き送った。ところがそれは、卓越した手腕を持つ外科医が手術をし、見事に患部を切り裂き、病巣を摘出したのだが、その後、患部を縫合もせず、包帯も巻かず、放置するような具合であったから、後で冷静になって顧みると、やはりコリントの教会の人々の様子が気にかかり、却って心配になったのだろう。やはり痩せても枯れてもパウロは「魂の配慮者」、「牧者」なのである。

そのような背景から、今日の個所を読むと、いろいろ興味深い点が見えて来る。2節「わたしたちに心を開いてください」とパウロは呼びかけるが、ただ呼びかけるだけで相手が心を開くとは思っていない。だから13節で彼はこう語るのである。「コリントの人たち、わたしたちはあなたがたに率直に語り、心を広く開きました」。まずパウロ自身が自ら心を開いていることを示し、決してかたくなではないことを明らかにするのである、但し「率直に語り」と訳されている部分は、意訳され過ぎていて、原文の意味合いをいささかか損ねている。この翻訳だと「嘘や隠し事なく、正直に語っている」という意味合いとなる。原文では「わたしたちの口は、あなたがたに向かって、(大きく)開かれており」という文章である。新共同訳では「心と口」のまっすぐな繋がりという観念の表現として、「率直」という訳語を当てている。

しかしここでもう少しパウロの心に則って考えてみれば、「口が開かれている」とは、ひとつに「警戒心、猜疑心」というような相手に敵対する気持ちは、まったく持っていないことの表明ではないか、と理解したいのである。他人に負けまい、馬鹿にされたくない、見下されたくない時に、人は口を固く閉じ、歯を食いしばるのである。「口を開ける」とは相手に対して、無警戒、無防備であることの表明でもある。

さらにコリントの人々の心の内奥に対して、パウロ自身為す術がない、と手を上げていることの告白ではないのか。『涙の手紙』がもたらした影響、そして打ちひしがれたようなコリントの教会のこれからの歩みについて、もはやパウロは実のところ為す術なく感じている。もはやそこでできるのは「口を開くこと」、それも人間に対して指示したり命令したりするのではなくて、ただ神に向かって語ること、即ち「祈り」の他に何ら持ち合わせのないことを、示そうとしているのだろう。

マケドニアに滞在していた時に、パウロはようやく弟子テトスと再会することができ、その後の教会の様子、状況の好転を知らされたのであろう。10節に「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」と語られるように、悲しみが悲しみで終わらず、「悔い改め」つまり人々の心の方向が変わったことを知って、パウロ自身、深く安堵していることが伺える。歯を食いしばった中で変化が生じたのではなく、口を開いた状態の中で、新しい関係、出発が与えられる。神の憐れみは、鳥のひなが大きく口を開けるその中に、エサを運ぶ親鳥の有様にさも似ているだろうか。