祈祷会・聖書の学び ルカによる福音書11章37~54節

「ボランティア しない善よりする偽善」、こんな川柳?を見かけた。今でこそ、この国では、するかしないかは別として「ボランティア」という言葉は、あたりまえの、聞き慣れない言葉ではなくなった。しかし一昔前は、「奉仕」と言う用語が用いられ、地域の草取りや溝掃除等、それぞれの家から人手を出して行う、義務的勤労を意味していた。今で言う「ボランティア」のように、災害や事故によって生じた被害の復興のために、他所からわざわざやって来て、無報酬で働くなどという行為は、常識外れであったともいえる。こうした意識の変化は、1995年を境に生じたと言われ、この年をこの国の「ボランティア元年」と呼ぶ向きもある。

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災をきっかけに、それまで主としてボランティアに携わってきた「特別な人々」とは異なる、無数の市民が災害ボランティアとして参加するようになったのである。震災直後の1年間で138万人、多い時で1日2万人が活動し、 被災者を支援するボランティア団体やNPOが数多く生まれた。被災地は神戸を中心とする地域で、大阪(梅田)駅から電車で30分程度の距離にあり、多くの人々にとって非常に距離の近い、ごく身近な場所で深刻な災害が起こったことも、その理由だったろう。神戸の凄まじい惨状とは裏腹に、大阪ではほとんど以前と変わらぬ日常が続いていたのである。

さて、今日の聖書個所は「ファリサイ派の人々と律法の専門家とを非難する」との表題が付与されている。「ファリサイ派」とはヘブライ語で「分離する」という言葉に由来するファリサイ派の源流は、元をたどればセレウコス朝シリアのアンティオコス4世エピファネス時代のヘレニズム強制政策に反発したハシディーム(敬虔派)にまでさかのぼる。ファリサイ派とサドカイ派は同じころ、ハスモン朝時代の一時期に現れたと考えられている。フラウィウス・ヨセフスは著作の中で、ユダヤ教の四学派の一つとして、サドカイ派、エッセネ派、熱心党、ファリサイ派を上げている。ユダヤ戦争後、エルサレム神殿の崩壊後、会堂に集まって律法を読み、祈りを捧げるというファリサイ派のスタイルが、ユダヤ教そのもののスタイルとなっていった。

一方、「律法の専門家」、かつては「律法学者」と訳されていた。彼らは旧約の時代に聖文を筆写する務めを持っていた「書記」が,後に律法を解釈する者になり,新約の時代には「律法学者」と呼ばれるようになったと考えられている。パウロも若い時、エルサレムに留学して、ラビ・ガマリエルの下に律法を学んだと記している。「ラビ」は「大きい」を意味するヘブライ語から派生した「私の主人」という呼びかけ。「ラビのユダヤ教時代」(前5世紀~後7世紀)に律法学者の称号となったと伝えられる。主イエスもまた、「ラビ」と呼びかけられている。主イエスの時代、民衆に律法の文言を語り、それを教え、指導する「ラビ」はどこにもいて活動していたのだろう。もっとも彼らは「いっさい報酬を受け取らない聖書と口伝律法の注解者で,必ず別の職業によって生計を立てていた」とも伝えられている。

この個所もそうであるが、聖書に表れるファリサイ派の記述は、サドカイ派と組んでイエスの揚げ足を取ろうと狙い、殺意を抱く「悪者」として描かれている。もっとも彼らの内には親イエス的な人間もいたことも描かれているが、この描写は初期キリスト教徒たちとユダヤ教主流派となったファリサイ派との間に確執があったためで、それが福音書においてファリサイ派が、仇敵の如くに記されたのであろうと推定する学者もいる。

ファリサイ派、律法学者に限らず、「偽善」の問題はすべての人間にとって、無縁ではあるまいし、「偽善」だからだめだ、と断罪したり、かといって「偽善」だから「手出ししない」というのも、「狭量」過ぎる考えと言えるだろう。但し、これみよがしの行為もまた、醜いものである。

今日の個所で、主イエスは、ファリサイ派の人から食事に招待された、という。決して悪い人ではなかろう、主イエスに興味を抱き、直に話をしたい、ということである。主イエスはこだわらない方だったろう。その招きに答え、食事を共にしたのだが、食事の前に「身を清める」ことをなさらなかった。これは「洗う」という用語が使われているので、手を水で洗う、という儀礼である。現在なら、手をアルコールで消毒し、あるいは石鹸で丹念に洗い流さなければ、皆から目くじらを立てられるだろうが、ここはそういう衛生が問題にされているのではない。食前に手を洗わなかった、という記述は、万事につけ主イエスが細かいことに、ほとんどこだわらなかった事実を、暗にほのめかしているのかもしれない。

だからこの個所では「偽善」が問題にされているが、一貫して、どういでもいいような、細かい物事に対する変な「こだわり」、あるいは「プライド」について、取りざたされているのである。人間は、外側ばかりを磨き立て立派にし、内側はなおざりにする。しかし神は内も外もご覧になられている。だからあなたの内側に蓄えた良い物を(もしあるならば)、それを必要とするところに提供することの方が、余程、理に適っているではないか。

「薄荷や、芸香(ヘンルーダ、ミカン科の低木で、その葉にはサンショウを少し甘くしたような香りがあるという)、あらゆる野菜の十分の一」、随分生活の細かいところまで、十分の一税が反映していることが分かる。もっとも多くの国では、消費税でほとんどすべてに税金が掛けられる。

44節の章句は理解のために少々知識が必要である。「死体」、そしてそれを納めた「墓」は、「汚れ」の発信源と古代人は考えていた。もし古い墓地で、もはや墓だと分からなくなっているような場所でも、知らずに通れば、その人は「汚れる」のである。そして「汚れ」はその人に禍を生じさせる。「人目につかない墓」という言い方は、ひどく辛辣である。しかし、複雑な現代社会では、「衣食住」という身近な生活に関わる事柄で、知らず知らずのうちに、内外の人々の生命を抑圧、犠牲の上に製品が作られていることを思うと、この章句も、私たちにとって決して、無縁とは言えないだろう。すべて生きることは、ファリサイ派、律法学者、専門家だけの問題でなく、私の問題でもある。