霜月、11月、秋深まる季節を迎えた。この季節の風物詩に「秋の七草」がある。「セリ、ナズナ」から始まる「春の七草」の方は、食い気が優るのか、軽快なリズムと共に、皆さんもそらんじていることであろう。片や「秋の七草」の方は、食欲とは無縁のせいか、どうも覚えにくい。「お好きな服は」というものは付けで覚えると良い、と聞いたことがある。「お」はオミナエシ、「す」はススキ、「き」はキキョウ、「な」はナデシコ、「ふ」はフジバカマ、「く」はクズ、「は」はハギ。頭文字をつなぎ合わせると、「おすきなふくは」となる。なるほど、これなら覚えやすい。
19世紀生まれのフランスの詩人、アンドレ・ブルトン(シュールレアリズム運動の提唱者)のまつわるこういう逸話がある。ブルトンがニューヨークに住んでいたときのこと。いつも通る街角に、一人の物乞いが座っていた。その物乞いは黒メガネをかけていて、首には「私は目が見えません」と書かれた札をぶら下げていたという。彼の前には施し用のアルミの皿が置いてあるのだが、通行人は素通りするばかり、皿には1枚のコインも入っていなかった。ある日、ブルトンはその物乞いに、「首にかけている札の言葉を変えてみたらどうか?」と話しかけた。物乞いが「どうぞ、旦那のご自由に」と言ったので、詩人はその物乞いの首に新しい言葉を書いた札をぶら下げてあげたという。
それからというもの、皿にはコインの雨が降り注ぎ、通行人たちはみな同情の言葉をかけていくようになったのである。皿に入るコインの音や、通行人の優しい声は当然物乞いにも聞こえる。お金ばかりが、見知らぬ人が掛けてくれるその言葉の方が、彼を大層、喜ばした。さて数日後、文字を書き換えた本人のブルトンが声を掛けて来たので、物乞いはブルトンに「旦那、旦那は一体何と書いてくださったのですか?」と尋ねた。さて、この詩人は、下げている札の言葉を、どのように書き換えたのだろうか。
さて、今日はイザヤ書から話をする。前週から今年の「降誕前節」を迎えた。そろそろクリスマスを迎える心構え、準備をしましょうという時季である。準備は何より聖書に向かうことである。旧約に記される神の救いのご計画に目を注ごうということで、様々な個所が取り上げられる。イザヤ書は、来るべきメシア(キリスト)について多く語られるゆえに、クリスマスの備えに欠かせないテキストである。教会はキリストの誕生について、神がどのように語られたのか、「啓示」について最初から注目して来たのである。
6節「わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない」。この言葉が元になって、ヨハネの黙示録には「主イエスはアルファ(ギリシャ語アルファベットの最初の文字)であり、オメガ(最後の文字)である」と記される。教会やミッションスクールの礼拝堂には、このギリシャ語の「α」と「ω」の文字が記されているのを見かけることがある。これは今日のイザヤ書のみ言葉を、シンボライズしたものである。
因みに「ピンからキリまで」という言い方がある。すでに江戸時代に使われていた表現らしいが、語源はポルトガル語に遡り、「ピン」はポルトガル語で「点」を意味する「pinta(ピンタ)」。カルタやサイコロの目で「1」の数を表しているという。そして「キリ」は「十字架」を意味する「cruz(クルス)」。「十字架」から「10」を意味するものに転じたとされる。本来は「最初から最後まで」という意味であったという、そこから「一流のものから三流のものまで」などという意味合いで使われるようになった。これは今に使われているトランプのような遊戯カード(カルタ)の呼び方に由来している。
「始めと終わり」が、兎角気になるのが人間というものである。天文学者は、この広大な宇宙の成り立ち、初めと終わりを一所懸命探ろうとしている。「初めもなく、終わりもない」というのが取り留めなくて良いようにも思えるのだが、永遠に堂々巡り、これをカッコつけて大仰に「永劫回帰」等と呼ぶ向きもあるのだが、これもまた落ち着かない。すべての物事には、始まりがあり、初めがあるならば、終わりもある、まっすぐ正直な洞察であろう。
確かに人間の生涯も、誕生という「初め」と、死という「終り」によって枠づけられている。ある人が、「人間は誕生と死との間の、カッコの中でだけ生きる存在だ」と言ったが、さもありなん。「誕生」と「死」、つまり自分の「初め」と「終り」は、自分の人生でありながら、自分の自由にはできないものなのである。自分の人生でありながら、自分の手の内にはない。「どこから来て、どこに行くのか」は、はっきりと教えられていないし、生きる中で確かに知ることもできないのである。そういう人間の限界づけられた人生だからこそ、人間は「初め」と「終り」を殊更に見極めようとするのである。
だから「わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない」というみ言葉は、生きている人間が決して知りえない事柄を、神は確かに知っておられる、という信仰告白としても理解できるだろう。神は「私」という人間を、「私」が考える以上に深く知っておられる。人生の始まる前も、死んだその後も、なのである。私たちはそのことをまったく知らない、だからこれは私たちに、豊かに慰めを与えてくれる。私が生まれてきたのも、死ぬのも、いわば神がそう計画されたからである。死んだ後も、その計画の内にあるだろう。
但し問題は、神であるならば、初めから終わりまで、神羅万象、この世のことのすべてをご存じであり、ち密な計画を立てて、事すべてのことを図っておられるであろう、しかし私たち人間にとって、それをどのように知ることができるのか、ということである。「寄らしむべし、知らしむべからず」という具合に、下々の者は、難しいことを殊更知る必要などない、あれこれごちゃごちゃ詮索せずに、ただ黙って座って居ればよい、というのであろうか。確かにこの世のことをことごとく知るなどという大それたことを、人間の小さな頭でできるはずはない。しかし「救い」とは、ここに今生きている、わたしやあなたに直に関わることなのである。自分に直接関係のないことなら、人間、無関心でいても平気であろう。ところが自分自身に関わる事柄、それも生命に関わることについては、無関心ではいられない。
今日のみ言葉を語った人は、バビロン捕囚期に活動した無名の預言者である。仮に「第二イザヤ」という呼称で呼ばれているが、戦争で祖国を失い、拠り所すべてを失い異郷の地に引き立てられて来た人々に、み言葉を告げた人である。根扱ぎされた人々にとって、「神の計画」と告げられたなら、必ず「それは現実にどのようなものか」と問われたに違いない。確かに神の計画は、ミステリ(秘密)であり人間の心に思い浮かぶことも、前もって知ることのできるものでもないものであろう。しかし何も知らされないならば、憶測が憶測を生み、疑心暗鬼ばかりが募り、好き勝手なことを言い合い、ついには「陰謀論」にまで発展し、収拾がつかなくなるだろう。そして恐れとおびえの中で、不安だけがただ増大するのである。
8節「恐れるな、おびえるな。既にわたしはあなたに聞かせ/告げてきたではないか。あなたたちはわたしの証人ではないか」。神はみ言葉を告げられるという。すでにあなたに其れを聞かせ、告げてきたではないか、あなたがたはわたしの言葉を聞いてきたではないか、と尋ねられている。その通り、神は繰り返し、絶えることなくイスラエルの民に、救いのみ言葉を語って来たのである。「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ、どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ。」しかし、彼らは言った。「そこを歩むことをしない」と(エレミヤ書 1章16節)。最初にお話ししたアンドレ・ブルトンの逸話ではないが、物乞いの首から下がった札に書かれている言葉を、通りすがりの人々は見るのである。しかし誰も気にも留めない。どうしてか、「自分には無関係」「関係ない」と思っているからである。「自分は盲目ではない、ちゃんと目が見える、よく物事が分かっている、現実的、実際的に判断している」、しかし、「自らの救い」については、どうであろう。自分で自分の生命を救い得ようか、却って自分のことが自分の手でどうにもならないで、ただ「憐れんでください」と悲痛な叫びをあげるのみではないか。
主イエスは、み言葉の受肉であるという。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理に満ちていた」(ヨハネ1章14節)。神のことばは、主イエスの生涯において、目に見える身体となったのである。ナザレのイエスとして、私たちの目に見えるように姿を現し、わたしに向かって親しく語り、食卓を共にし、十字架の道を歩まれた。十字架の上で血を流して苦しみ、人々の罪の赦しを祈り、亡くなられた。そうしてそこから「救いの道」が開かれたので。あの盲人の首から下げられた札の言葉が、主イエスによって、新しく語り直されたのである。
皆さんは、アンドレ・ブルトンがどのような言葉をそこに記したと想像するか。彼はこう書き直したというのである。「もうすぐ春がやってきます。でも、私はそれを見ることができません」。主イエスは福音を語ってくださった方である。いわば神の救いである春の訪れ、福音を告げ、神の赦しと愛がまことであることを、十字架を通して明らかにしてくださった。その見えるみ言葉に、わたしは神の救いの確かさを見るのである。