「聞いて忘れて」 ヤコブの手紙1章19節~27節

下関の壇ノ浦に『耳なし芳一』の伝説が伝わる。文学者、小泉八雲が紹介して有名になった。平家の怨霊に取りつかれた琵琶法師、芳一が、魔から逃れるために、体中にお経の文言を書き記される。ところが耳だけは書き忘れた。どこかに欠けがある人間の現実が喩えられている。

丁度、そんな感じの話がある。ある人が地上での生涯を終えた。天国への階段を昇りその門の前に立つと、天国の鍵を持ったペトロが門番をしている。幸いにもペトロが門を開けてくれたので、そこをくぐり、天国の中に入った。見回すとそこに一面「しいたけ」みたいなものが生えている壁があった。その人はペトロに尋ねた。「このしいたけは何ですか?」ペトロは答える。「それはみ言葉を聞くだけで、実行の伴わなかった人の耳だ」。話はさらに続く。「では、こちらの壁のところどころにある『たらこ』みたいなものは何ですか?」。するとペトロが言う「それはみ言葉を語るだけで、実行が伴わなかった牧師のくちびるだ。」痛い話である。

交通事故を繰り返す人を研究したティルマンというカナダ人精神科医らの論文の言葉が、研究者の間に伝わっている。彼は自らの研究成果をこう提示する。「人は生きるように運転する」。世の中には他人に攻撃的な人や規則を破りがちな人がいる。ハンドルを握る路上では、事故やひどい運転としてそれがあらわれるということのようだ。つまり人間は自分のらしさを、一番正直なところを、必ず外に表現して生きていくということだろうか。

神学生時代に非常にお世話になったアメリカ人の先生がいた。日本に来たばかりで、ほとんどこの国の言葉が分からない。しかし文化や習慣の異なるこの国を努めて理解し、受け止めようと誠実にふるまっていた。学生たちにも自分の方から声を掛け、歩んで親密に触れ合い、自宅に招き、自分の作った料理で貧乏神学生をもてなしてくれる暖かな心の先生であった。その頃はこの国では、まだフェミニズム神学を授業で論じる先生は、ほとんどいなかった。女性からの視点で聖書を読み、キリスト教を再考する、という今では当たり前のアプローチなのだが。

この先生がそもそもこの国に来たのは、離婚という痛手を負ってのことであり、フェミニズム神学の探求も、その経験が強く影響しているとのことだった。「女性の視点で聖書を読む」、非常に刺激を受けた思い出がある。契約期間を終えて本国に帰る時に、お別れ講演をされた。そこでこう語られた。「自分はこれまで、聖書学者として、牧師として、み言葉に真剣に向かい合い、咀嚼し、他人に語り教えて生きて来た。ところがそこに全く喜びがなかった。楽しくなかった。そして離婚し、傷心の思いで、この国にやって来た。皆さんと共に触れ合う中で、分かったのは、『自分はみ言葉を知り、深く研究もしてきたが、肝心のみ言葉を生きてこなかった』という事実だ。今、それが分かったから、国に帰りもう一度やってみようと思う」。「み言葉を生きて来なかった」それがこの国に来て目が開かれた最も大きなことだった。

今日はヤコブの手紙から話をする。この書物の存在は、かのマルティン・ルターによって夙に有名になった、という経緯がある。彼はこの手紙を『藁の書』と呼んだのである。飼い葉桶の中に、飼い葉の「藁」しか見えず、肝心の主イエスがいない、という意味である。即ち「この書物には福音が語られていない」と喝破したのである。成程、「信仰のみ」を信条としたルターにとっては、「信仰」と共に「行い」を強調する本書に、違和感を覚えたのだろう。確かに挑発的である。「行いのないあなたがたの信仰なるものを見せて欲しい。わたしたちは行いによって信仰を見せてあげよう」。

「行い」を殊更に強調するので、この書物はユダヤ人キリスト者の手になるもので、律法主義的な傾向を持つと解釈されてきた。だからヤコブ(主の兄弟)によって記された、とみなされた。ところがこの手紙は、それを母国語とする人の用いる巧みなギリシャ語で記されており、論旨も表現も極めて分かりやすい。そしてここで議論されていることも、極めてまっとうである。だから最近は、この書を巡る議論が再び再燃し、これの持つ価値の再評価もなされている。

但し、大体「信仰か、行いか」との二分法は、あまりに単純すぎる。例えば、人間は「ホモ・サピエンス」であるとは言っても、思考し、知恵を巡らすだけで、おまんまを食べねば死んでしまうのである。精神的生き物であるから「心頭を滅却すれば、火もまた涼し」とはいっても、夏は暑く、灼熱の中に放っておけば、「熱中症」で生命が危ういのである。

つまり「あれかこれか」の二分法、二つに一つを強制する思考は、極端であり、人間の生きる現実を軽んじていると言えるだろう。ある人は「何事によらず、極端は未熟である」と言ったが、どう思われるだろうか。

「人間は手を握り締めて誕生し、二つの手のひらを開いて死んでいく」という言葉がある。すべてを獲得しようという心で生まれて来る。そしてすべてを投げ出して死んで行く。人生に対して「あれもこれも」から始まり、「あれかこれか」の時期を経て、「あれでもない、これでもない」という思考錯誤を通して、ついには「あれでもよい、これでもよい」という姿勢になるのかもしれない。そうであるからこそ、「わたしは誰の所に行きましょうか。そこしか、わたしの行くところはありません」という人や場所を、その生涯の中で見出せるか、どうかと言うことなのだろう。それが見い出せた人は幸いである。

今日の個所は、現代にも通用する主張がいくつもなされている。19節「聞くのに早く、語るに遅く、怒るに遅いように」、これは普遍的で最も基本的な人間関係論である。これと真逆なのが現代の人間関係、国際関係である。かえってこういう極めてまともな人生態度が、軽蔑されるところが現代の問題なのである。但し、20節のみ言葉はぎくりとさせられる。「人の怒りは神の義を実現しない」と断言されていることである。報復だ、仕返しだ、相手の非礼、無礼な振る舞いに対抗するのは、正当、正しい態度だと評される。ところがこの文章は「どのような人の怒りも、神の義とは関わりがない」ときっぱりと「怒り」がはねつけられている。神の義のための怒りの報復などありえない、と紀元1世紀に記された短い手紙ははっきりと語るのである。

ここで最も中心的なみ言葉は、22節「み言葉を行う人となりなさい」ここにあるだろう。著者は面白い喩えを用いる。「鏡の喩え」、現在ならばどの家にも洗面所に鏡があるだろう。それに毎日、自らを映して見るのが当たり前だろう。最近、痩せた、太った、顔色が、しわが、髪の毛が、とさまざまに自分情報を取得する。ところが古代の鏡は、この国であれ外国であれ、はっきりくっきり顔を映せるものではない。パウロが言うように「鏡を見るように、おぼろげに見ている」という言い方になる。さらにごく普通の家には、鏡という代物は置いていない。ぜいたく品である。偶々、自分の仕える主人の家に行って、珍しい「鏡」なるものを見せてもらう。ぼうっと映っている姿を見て、これが自分の顔なのかと驚く。しかし一度や二度見たところで、そういう映像は忘れてしまう。自分はどんな顔かたちだったろうか。

ここで「み言葉」は「鏡」に喩えられているのである。み言葉によって、自らの真実が表される。人間の認識だから、はっきりと理解できる訳ではなく、おぼろげに知れるだけである。しかしそれを繰り返せば、徐々にみ言葉の真実が、身に染みて来るだろう。自分自身と一つになるだろう、ということである。だから「み言葉を行う」とは、み言葉に「繰り返し繰り返し出会う」、ことであり頭と身体、「こころと口と行いといのち」すべてを使って、み言葉に出会っていく、ということである。だからこの個所は「み言葉を生きる人になれ」と訳すのが、一番、著者のニュアンスにふさわしい。「み言葉を生きる」とはどういうことか。皆さんはどのようにして生きよう、形にしようと思うのか。

戦後間もなくのこと、この国が貧しく、食べることにも窮していた人の多かった頃、母と3人の子どもたちの母子家庭での出来事、そのひとこまが伝えられている。いろいろ苦労して手に入れたわずかの食べ物を調理し、食卓で子どもの食べる姿を、母はいつもうれしそうに眺めていたという。母の誕生日がめぐって来て、子どもたちは相談した。自分たちの世話ばかりで、いつも我慢している母に、何か誕生日のプレゼントをして、感謝の気持ちを表したい。長男が落ちていたクッキーの缶を拾ってきた。これに何かをありがとうのしるしの品を入れて、母に贈ろう。ところがプレゼントを買うお金はない。何を入れるか。兄弟達はあることを思いついて、皆でそれを取って来て中に入れて、母に贈ったというのである。さて、何をそこに詰めたのだろうか。小さく非力な彼らは、それでも「野に咲く草花」をたくさん空き缶に詰めて、母に手渡したのである。

この国が何を得て、何を失ったかを考えさせる話である。それと共に、「み言葉を生きる」とはどういうことか、深く問いかける話である。み言葉を聞くことは、み言葉を生きることになる。生きることは具体的なことだから、どこかで形に現れる。人は誰も、自分自身を形に表して生きることになる。主イエスに対して。