祈祷会・聖書の学び ヘブライ人への手紙11章13~22節

高野辰之作詞・岡野貞一作曲の文部省唱歌『ふるさと』が作られてから、100年余りの時が経った。1914年に尋常小学校6年生用の教科書に載せられたという。現代の子どもたちも知っていて、歌える稀有な歌のひとつと言えるだろう。ただ小さい頃、歌詞の意味が分からず、「兎追いしかの山」を、「うさぎおいしい」と聴いて、「うさぎは美味しいのか」、と勝手に思い込んでいた。ところが、ある研究者がこんな解説をしているのである。作詞者である高野辰之は長野県出身である。高野が長野から上京して 16 年経ってのことである。「兎追いし」という歌詞は高野の時代は実際に学校の伝統行事であり、みんなでマントを着て、手をつなぎ輪になって大声を上げながら雪の山を登る。驚いた兎を追い込み捕まえる。兎鍋にして学校の校庭で食したとのこと。その頃は大事なタンパク源でもあった。おそらく高野は作詞にあたって幼少のころの思い出深い学校での行事、級友と鍋を囲んで食べた兎鍋は懐かしさが溢れる出来事だったのであろう。「うさぎはおいしい」のである。

他方、作曲者の岡野は鳥取県鳥取市出身で、14歳の時にキリスト教の洗礼を受けたクリスチャンであった。岡山の教会で宣教師からオルガンの演奏法を習い、更に東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に入学し、西洋音楽の理論と技術を深めていった。後には同校の教授を務め、音楽教育の指導者の育成に尽力するとともに、敬虔な信者として毎週教会のオルガンを弾いていた。「故郷(ふるさと)」や「朧月夜(おぼろづきよ)」など、岡野の作品には賛美歌の影響を強く受けたと思われる3拍子のリズムを用いた旋律が数多く見られる。3拍子は本来この国にないリズムなのである。

今日の聖書個所は、ヘブライ人への手紙11章である。元々、この書には「ヘブライ人云々」の表題はないが、どうして「ヘブライ人」の名を被せられているのか、を如実に知ることのできる個所である。13節以下にこう記されている。「自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです」。聖書の民、古代のヘブライ人たちは、自分たちをまさに「寄留者、よそ者」としての強い自覚を持って歩んだ人々である。申命記26章5節以下の文言を、聖書学者たちは「クライネクレドー(小信仰告白)」と呼んで、聖書の人々の最も古い「信仰告白」伝承であり、こうした伝承が膨らんで、ついに旧約聖書が形作られたと推測している。

「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。エジプト人はこのわたしたちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。わたしたちが先祖の神、主に助けを求めると、主はわたしたちの声を聞き、わたしたちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもってわたしたちをエジプトから導き出し、この所に導き入れて乳と蜜の流れるこの土地を与えられました」。これが聖書の民の、精神の底にある自意識の表明である。

それでは「よそ者」の自覚を持つ人々は、「故郷」を問題にせず、そんな場所は必要ないと考えるのかと言えば、やはりそうではない、と言えるだろう。確かに、有史以来、「離散(ディアスポラ)」を余儀なくされて、苦難の歴史を歩んで来たのが聖書の人々、今で言うユダヤ人たちである。現在、世界に散らばるユダヤ人は、約 1,400 万人で、イスラエル(パレスチナ)に約 630 万人、米国に 570 万人と、約 9 割のユダヤ人がこの 2 カ国に居住している。 フランス、カナダ、英国等にもユダヤ人は居住しているが、その生活習慣や考えはイスラエルにいるユダヤ人とは異なるという。つまり、現在イスラエルが置かれているパレスチナを、自分たちの本当の「故郷」と見なす人ばかりではない、ということである。

現代において、離散のユダヤ人が多く住むアメリカでは、それを歓迎する人々が多いと言われる。なぜなら彼らは自腹を切って、公園、病院、図書館等の公共施設を、地域に整備するからなのだという。ユダヤ人は、いわば故郷を持たない人であるから、自分が今身を置いている場所を、「故郷」と考えるのである。他に行く所がなければ、今ある場所を自らが住み易くするしかない、と考えるのだという。結果として、地域住民との関係にも資することにつながるのである。

しかし、同時にやはり人間は、まことの自分の身の置き所が必要なのである。人間には、確かに「故郷への郷愁」というものがあるだろう。唱歌『故郷』について、こういう意見も語られている。歌詞は変わらないが、風景は変わってしまうものだ。「故郷」が、そうだ。メロディーも変わらないが、うたう者が変わっていく。唱歌「故郷」がそうだ。浦島太郎は故郷へ帰ってみるが、山とか川はその場所にあるが、出会うのは知らない人ばかりだ。帰るべきではなかったろう。山や川を見たところでなんになる。「故郷」の歌詞は遠くにありてうたうものである。近くにいくとガッカリさせられてしまうものである。考えてみると「故郷」という歌は怖い歌であり、なつかしがって帰るべきところではない(高槻成紀『唱歌「ふるさと」の生態学――ウサギはなぜいなくなったのか?』)。

ユダヤ人たちは、「故郷」と呼びうる場所を喪ったため、却って「まことの故郷」、変わることのない、決して滅んだり、崩れて埋もれてしまうことのない故郷が、どこにあるのかを、常に求め続けて歴史をたどって来た、ということができるだろう。16節「ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです」。

「春の小川」が流れていたのは、現在の渋谷のNHK放送センター付近である。その川は「暗渠」になって、人の目に触れることなく、真っ暗な闇の中に流れている。この世の故郷というものも、皆、そういう運命にあるのかもしれない。唱歌『故郷』が歌い継がれるのも、現実の故郷が、変わってしまうからであろう。しかし、私たちには神の与えて下さる「都」があると、ヘブライ書は告げている。室生犀星ではないが、「ふるさとは遠くにありて思うもの、そして哀しく歌うもの」なのかもしれないが、同時に「その心もて、遠き都にかえらばや」という場所なのだろう。