祈祷会・聖書の学び サムエル記上14章1~15節

芝居で「二枚目」、「三枚目」という用語がある。元々は「歌舞伎」の芝居小屋の真正面に掲げられていた、役者の紹介看板に由来する。歌舞伎の看板は、通常は八枚から成っていたようで、一枚目の看板は「書き出し」と呼ばれ、主役の名が記され、二枚目の看板には若い色男の役者の名が書かれ、また、三枚目の看板には道化役の名が書かれることが定石であったという。以下、四枚目には中堅役者の演じる「まとめ役」、五枚目には「敵役」、

六枚目には「憎めない善要素のある敵役」、さらに七枚目で「実悪、巨悪」つまり全ての悪事の黒幕の名が記され、八枚目には、「座長」つまり今でいうところのプロデュ-サーの名が記されていた、ということである。

こうした役柄の中で、「悪役」にいくつかのレベルの異なる性格付けがなされていることに興味が引かれる。もちろん「善」という役柄だけで演じられる芝居は、安心して観ていられるかもしれないが、一向に面白味のないものとなろう。波風の立たない平々凡々たる日常は、実生活において一番の望みと言えるだろうが、「物語」というものは、そうした日常に刺激をもたらすところに、人々はその意味と機能を求めるものである。するとやはり悪(敵)との攻防において、最も人は手に汗握り興奮を覚えるのだろう。古代の物語文学(伝承の容易さから「叙事詩」という様式を取る場合が多いが)に「戦記物」が多いことも、頷けるのである。

但し「怨敵退散、御味方勝利」だけを語るならば、それは単なる「情報」であり、支配者の権威付けには役立つかもしれないが、民衆への共感を勝ち得る効果は少ないだろう。やはりそこは喜怒哀楽の籠った「人間ドラマ」が展開されなければ、人は上に立つ権威に一体化する共鳴は覚えないだろう。物語の機能は、その物語を共に聞く者たちを、ひとつにすることに、最大の働きがあると言える。民族や種族とは、同じ血筋という生物学的な由来ではなく、同じ物語を共有する人々と呼んだ方が、よりふさわしい。だから物語を持たない文明はないのである。

現在のサムエル記の素材となっている伝承は、「ダビデ王位継承史」及び「ダビデ台頭史」と仮に名付けられる古代イスラエルの史的物語文学であり、最も古く「文字化」されていたと見なされている。古代において、国を統治する「王位」が正当な権威であることを内外に誇示することは、欠くべからざる課題であったから、イスラエルだけでなくすべての王国がそれを試みた訳であるが、イスラエルのそれは、他文化にない文学的奥行きを有している。なぜなら古代において、この国の「歌舞伎」の役柄以上に、さまざまな性格付けられた登場人物が立ち現れ、物語を演じるのであるから。

今日取り上げる個所は、「ヨナタンの英雄的行動」と題されるように、イスラエルの初代王サウルの息子、ヨナタン(英名:ジョナサン)の逸話である。後にサウル王に召し抱えられるダビデの唯一無二の親友となる人物である。「台頭史」では、役者の一枚目看板はもちろん「ダビデ」だが、ヨナタンは、「二枚目」と呼ぶべき人物である。そして歌舞伎の八枚看板よろしく、「善から悪まで」すべてその役柄に相応する人物が、順に登場して来るのは勿論、悲喜こもごもの舞台が展開されるのである。ダビデにまつわる「台頭史」「継承史」を記した古代イスラエルの歴史家の、並々ならない叙述力に敬服させられる。

ヨナタンは「台頭史」の鍵人物のひとりであるが、ダビデとほとんど同じ年の年齢であったと考えられる。つまりダビデが召し出されたのは、サウル王のお世継ぎのご学友として、という意味合いが強かったのであろう。その目論見は見事にあたり、若い二人はすぐに篤い友情に結ばれたことが語られるのである。「篤い友情」は、古代人たちがとりわけ好んだ物語のテーマだったらしい、メソポタミアの世界最古の物語と呼ばれる『ギルガメシュ叙事詩』でも、ギルガメシュとエンキドゥの篤い友情の場面が、印象的に語られているのである。

今日の個所では、まだダビデと出会う前のヨナタン王子の振る舞いが伝えられる。勇敢であることが民の指導者たる一番の適性と見なされている時代である。ただ、どちらかと言えば「英雄的」というより「無謀」な戦術ではある。自分と供の者たった二人で、ペリシテの要害に奇襲攻撃をかけ、そこを陥れたというのである。河の渡しの両岸に位置する高台に、敵味方相互に見張りの陣を築くというのは、戦略上の定石である。相手の動きが一目瞭然であり、にらみを利かせられる。そこを陥れられれば、戦局は一気に風向きが変わる。

それをよく分かっていた若い王子は、大胆な戦法を取る。自分たちが敵陣の前に姿を現した時、敵が「俺たちがそこへ行ってやっつけてやる」と言うか、それとも「来れるものならここまで登って来い」と言うか、後の方なら、それは主がこの敵を渡して下さり、勝利を与えて下さることのしるしだ、とヨナタンは主張する。高い所にある陣地にいる兵は、わざわざ降りて来て戦うよりも、敵に登って来させて迎え撃つ方が、利口な戦い方ではあろう。ヨナタンたちは、相手がそのような戦術通りの戦い方をするなら、それこそ主が勝利を与えて下さるしるし(チャンス)だというのである。これをどう考えるか。

ここにイスラエルとは何者か、聖書の民の計略の根本に何があるか、が明確に語られていると言えるだろう。イスラエルの方法とは、神出鬼没に敵の裏をかくというやり方なのである。そこいらに口を開けている洞窟に潜んで、大人数の敵を待ち受け、少人数で突然の攻勢をかける、あるいは普通ならたやすく返り討ちにされるだろう戦術を敢えて選択し、相手の度肝を抜き、動揺を誘う。

但し、それは彼らが賢いからでも、強いからできたことでもない。「弱く小さな民」であった彼らを見出し、ご自身の宝の民として慈しまれた神と共なる中で、育まれた知恵なのである。敵のペリシテには鉄の精錬技術があり、たくさんの先端技術を有していた。しかしイスラエルにそのような武器は、ほとんど持ち合わせがない。それでも彼らは戦う術を見出して来たのである。「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」とヨナタンは言う。聖書協会共同訳では、「主が救いをもたらすのに、人数の大小は問題ではない」となっています。原文では、「勝利を得る」ではなくて「救う」、即ち、神は勝ち負けではなく「救いをもたらすために」働かれるというのである。ここにイスラエルの思考の根本があると言えるだろう。ヨナタンもまた見事なイスラエルの勇士である。