個人情報保護の時代である。プライバシーにかかわる文面の上に張る「目隠しシール」が添付されている場合が多くなった。最近、こんなところにも目隠しシールが、と驚かされることもある。寺社などで、自分の願いを書いて奉納する「絵馬」というものがある。
元々は、「贈与と報恩」の論理で動いていた古代社会が、神々に祈願する際にも、同様の発想で「馬」を献上した故事に遡るものであろう。「馬」は高価で有用な家畜であり、贈与に際しては最上の献物とされたのだろう。しかし、実際に生きた馬だと、庶民には中々手の出せない献上品である。そこで「かたち」ばかりで許してね、という具合で現在の「絵馬」というスタイルになったのだと言われる。
ところがこの「絵馬」にも、現代の個人情報保護の流れが押し寄せ、書かれたお願いの文章の上に張る「目隠しシール」が添付されるようになったというのである。「神様はすべてお見通しだから、見てもいいけど、他の人の目はお断り」ということらしい。この「目隠しシール」が何と呼ばれているかご存知か。実に「神のみぞシール(知る)」と命名されているそうだ。
見えないもの、隠されているもの、先のこと、未来をピタリと予見するのは、どんなに偉い人でも難しいだろう。新型コロナ感染者数の見通しを聞かれ、時の経済再生担当大臣は、「神のみぞ知る」と答えていた。大臣に神仏への信仰があるかどうかは、「神のみぞ知、る」事柄だが、これから先のコロナの行方を正確に言い当てることができる人は、まずいないだろう。「神のみぞ知る」とは「お手上げ」の別名である
お手上げ(おてあげ)とは、どうしようも無いこと、行き詰まっていること、または降参することを表す表現であるが、打つべき手、手段や方法が尽きてしまったことを、比喩的にいうものだったろう。手を上に上げれば、何もすることが出来ないのだから。
今日の聖書個所、16節に「シオンよ、恐れるな、力なく手を垂れるな」と語られる。ゼファニヤ書は小さな預言書である。全体で3章から構成されるが、2章までの記述と、この章は、大分趣が異なっている。前章までは、厳しい神の裁きの言葉が連ねられているが、本章になると、励ましや慰めの言葉が語られる。「喜び」という言葉が、何度も繰り返されている。随分、雰囲気に差異があるので、預言が告げた時代が異なるとみるのが、最も素直な見方であろう。
南王国ユダは、紀元前587年にバビロニア帝国によって滅ぼされ、国家としては滅亡した。王国の主だった人々はバビロンに送られ、そこに強制移住させられた、いわゆる「バビロン捕囚」である。それから約半世紀の時が過ぎた。さしもの大帝国のバビロニアも、斜陽の時代を迎え、屋台骨が揺らいでいる。方や新興国ペルシアが、既存の大帝国を転覆させようと、虎視眈々とつけ入るすきを窺っている、というような時代である。そして預言者は「間もなく、我々は解放される、祖国への帰還がかなえられる」との展望を語るのである(20節)。さて、そのような神の言葉を聞いて、ユダヤの人々はどう反応したろうか。
その時の捕囚民の姿が語られている。16節「力なく手を垂れる」姿だと言う。確かに戦争に敗れ、祖国は滅亡し、自分たちは故郷を追われ、遠いバビロンにまで連れて来られたのである。「我々は敗れたのだ」という無力感、過酷な運命に対する諦め、無気力が人々の心を支配していたとしても不思議ではない。敗戦は、自分たちの信じる神の敗北、死をも意味する。外部的(土地、不動産、財産)、内部的(精神的)双方の、生きる根拠の喪失でもある。
しかし、「力なく手を垂れる」姿について、もう少し正確にその状況を把握しなければならないだろう。戦後間もなくなら、人々の心に敗戦の無力感が影を落とし、失望の雲が暗く覆っていたとしても不思議ではない。今まで得ていたもの、家族や人やモノ、財産をすべて失ったのである。いわばゼロから異郷の生活が始まったのである。バビロニア帝国は、バビロン市内に、捕囚民の住むべき区域を指定し、そこに住むべきことを命じたと言う。バビロニアは大河ユーフラテスから引かれた運河が、縦横に巡らされていた。生活のための最低限のインフラは整えられていたといえる。そこに入植したユダヤ民は、自分たちの住むべき家を建て〈最初はバラックであったろうが〉、畑を作り、再び家庭と家族を形成して来たのである。素より異郷の生活である。これまでと異なる言語や文化等、不慣れな環境の中で、苦労は当然である。バビロンの民からの差別や偏見、好奇の目にさらされることもしばしばあっただろう。詩137編には、バビロンでの生活の苦しみが、如実に伝えられている。それからやがて半世紀が過ぎようとしているのである。
預言者は語る「わたしはお前たちを連れ戻す」。神はあなたがたを故郷に帰還させる、あなたがたはあの懐かしい故郷に帰ることができる。皆さんは、この預言者の言葉に、聞き従えるであろうか。欣喜雀躍して、バビロンを後にして、故郷のパレスチナに戻るだろうか。バビロンに根付いて、50年の時が過ぎようとしている。あの時生まれた赤ん坊が、50歳、つまり老年に達する年月、つまり三世代が交代する年月なのである。皆さんは故郷に戻るか。
故郷、エルサレムの町はあれからどうなったか。バビロニア人は鷹揚であり、戦争では破壊された市街をそのまま放置し、荒れるに任せた。野獣と悪霊の跋扈する荒れ地となった、と聖書は記している。細々とその地で暮らす少数の人々はあったが、昔日の面影は全くない。そこに戻ったところで、どうなるのか。もう一度、家を建て、畑を掘り起こし、家畜を養い、その復興のための労苦を思うと、二の足を踏むのではないか。既に故郷をまったく知らない世代が、バビロンでの生活の中心にいるのである。
但し、バビロンでの生活の中で、一番の問題が何であったか、今日のみ言葉が端的に語っている。「力なく手を垂れる」ことにある、というのである。素より、戦争に敗れ異郷に連れて来られた民にとって、すべて「お手上げ」、何も成す術はない状態である。だから彼らは「力なく手を垂れた」のである。しかし「お手上げ」ならば、文字通り「お手上げ」をすべきであったのだ。お手上げは、ユダヤでは「祈り」の姿勢である。人間には為すすべがないところで、手を上げる。それは同時に神に直に向かうことなのである。捕囚の民は、根本のところで、神に直に向かうことを諦めてしまった。それはバビロンに埋没する道であり、そこからは、まことのイスラエルの希望は生まれないだろう。今の私たちにとっても、同じである。