祈祷会・聖書の学び ダニエル書9章1~19節

「人生七十古来稀」、中国の詩人、杜甫の詩『曲江』の一節で、「古希」の謂れの出典とされている。ものの本によれば、758年、47歳の杜甫は長い間の念願であった朝廷での仕事にありついたのだが、左遷された宰相を弁護したことで皇帝の怒りを買い、翌年、自分もまた地方の閑職に左遷されたという。生来の酒好きのこともあり、仕事の帰りには、飲んで憂さを晴らす毎日、酒代の借金は積み上がり、その鬱屈した有様と己の心情が、晩春の景色の上に投影されていると説明される。

今でこそ、この国で「人生百年時代」などと言われているが、つい半世紀前までは、「人生五十年」と詠われていたのである。「七十年」という齢を、時の長さを、どう考えればいいだろうか。私もまた「古希」にまもなく手の届く年齢に達して、時の経過をしばし思いめぐらす。かつての生活からすれば、現在、思ってもみなかった事物や事柄が、身辺に生じているのは間違いはない。しかし過ぎて見れば、それは夢の世の一時に過ぎない、等と悟りきったことを述べるつもりはないが、それでも、その時その時に、目の前に立ち現れてきた事柄に、一生懸命、あるいは適当に、または何とか折り合いをつけて、過ごして来たら、いつのまにか過ぎていた。「過ぎる」とはまた「あやまつ」とも読める。

ダニエル書の後半部分、7章以下は、前半の知者ダニエルにまつわる、「説話文学」とは趣が異なり、「黙示文学」的な記述で構成されている。主語も「わたしダニエルは」という具合に、一人称で記されているのである。文体や文学様式が異なることから、後半の「黙示」部分は、前半とは異なる時代に成立したと見なすことができる。

ダニエル書が現在のかたちになったのは、紀元前2世紀の半ば頃と考えられている。丁度、ユダヤはマカベア時代であり、バビロン捕囚以後、政治的には国としての独立を失い、以後、常に地中海沿岸世界を席巻した大帝国の下にあったユダヤが、例外的にハスモン家によって、一時的にではあるが、曲がりなりにも政治的独立を勝ち取った時代なのである。とはいえ、ユダヤは決してそれら大帝国と、同等に肩を並べるほどの国力は持ってはいなかった。この辺りに、黙示としてのダニエル書が記された動機があるだろう。独立を喜びつつも、これからのユダヤの国としての命運を心配し、危惧し、不安に駆られる人々に何とか励ましを与えよう、という意図である。黙示で語られる様々な象徴は、実際の歴史的事件を予言しているが、ある時代までは歴史的事実と良く合致しているが、ある時代からは、まったく予言が外れている。歴史家たちは、その端境期が、ダニエル書の執筆年代とみなす傾向にある。

今日の当該箇所は、黙示的記述の中にあって、ダニエルの「嘆きと嘆願(祈り)」が記されている部分である。「黙示」はある意味で、奇想天外な象徴的文章であるから、読む者にとって読解のために努力を強いることになる。つまり謎解きしながら読み進めねばならないのである。そこで幻と幻の間に、幕間のようにしばしの息抜き、文章の調子を変えることで、緊張をほぐすという役割を担う部分が必要になる。丁度,楽曲の中の「インテルメッゾ(間奏曲)」の役割が必要なのである。この個所の落ち着いた調子は、まさに「息抜き」にふさわしい。「祈り」こそ私たちの呼吸を整える、インターバルなのであると知れる。

まず最初に、ダニエルは、イスラエルの民を代表して、自分たちの罪を告白する(5~6節)。そして、当時の感覚では、エルサレム神殿の崩壊は、神ヤーウェの無力さ、主の敗北を周囲の国々に示すことになるゆえに、そのことを意識しながら、彼は、「主よ、あなたは正しくいます。わたしたちユダの者、エルサレムの住民、すなわち、あなたに背いた罪のために全世界に散らされて、遠くにまた近くに住むイスラエルの民すべてが、今日のように恥を被っているのは当然なのです。」(7節)と主張する。さらに「憐れみと赦しは主である神のもの。わたしたちは神に背きました」と語り、主の「正しさ」とは「あわれみと赦し」に他ならないことをも、併せて示すのである。神への背きは、ただ断罪によってのみ終わるものではなく、かならず憐れみと赦しが後を追いかけるというのである。

その上でダニエルは、イスラエルの罪の根本は、「律法に従って歩むようにという主なる神の声に聞き従いませんでした。」(11節)と告白するのである。ここで、「律法に従って歩む」という動詞は不定詞(ために)で、「聞く」という主動詞を補足する機能を持っている。ユダヤの独立運動の中で、律法に従って生きるために、「まず神の言葉を聞く」姿勢を培っているかを、鋭く問うのである。具体的な行動の前に、より大切なのは、主の御声を真心から聞いて、その背後にある神の愛を知るということなのである。イスラエルにとって、ただ神の慈しみだけが、頼りなのである。バビロン捕囚は、まさにこれを忘れた故に起った出来事ではないのか。

まもなく今年も8月を迎える。この国の敗戦後78年目である。今日の個所には、エレミヤの預言「70年目の解放」が言及されているが、毎日の時間の経過は、いつか日常となり、反復と埋没の日々に陥るであろう。旧約の人々は、「40年」を時の一巡り、いわば還暦のように見なしていたから、その倍近い年数は、遥かに先のこと、不可知の将来として受け止められたであろう。捕囚からの解放の年数、「70年」という期限は、そこに生きる人間に直接的な希望を与える「安価な恵み」ではないだろう。途方もない時の流れなのだが、その底意も知れぬ時を、神は御存じであり、計画を立て、み手に収めておられることを、告げるのである。そういう意味で、人々は、神のみ手の中にある安心を味わったことであろう。

しかし、それは同時に「忘却」の危うさをも、意識されている言葉である。まず神の言葉を聞くことがないがしろにされ、人間の言葉だけが声高に論じられ聞かれる。そこにイスラエルの罪の典型があった訳だが、私たちにとってもそれは切実な問題である。杜甫の詩『曲江』はこう結ばれる「伝語風光共流転(この素晴らしい景色に対し、言いたい、すべて自然は移り変わっていく)/。暫時相賞莫相違(だからほんのしばらくでもいい。お互いに賞して、背きあうことがないようにしよう)」。

中国の酒好きの古の詩人は、人間の小さな意地の張り合い、見えや名誉欲、権力を欲する心を見据えて、人間を越える遥かな時の流れ、この世界の生命の相に、心を開いて向かい合うことを詠うのである。さらに「わたしたちが正しいからではなく、あなたの深い憐れみのゆえに、伏して嘆願の祈りをささげます」と告白し、ダニエルの祈りが閉じられるように、私たちの拠り所は、自分の正しさではなく、あなたの深い憐れみしかないことも、思い起こすのである。