16世紀、イギリスの劇作家として活躍したシェークスピア、この国では「沙翁」とも呼ばれて親しまれて来た。明治以来、今に至るまで、繰り返し作品の翻訳が為されて来たが、それは時代の節目、曲がり角の年に当たる、と主張する批評家もいる。確かにどの時代の翻訳も、手練れの労作ということができるだろう。
シェークスピアの作品の魅力は、台詞の回しの巧みさ、人間洞察の鋭さ、深さ、諧謔味の豊かさにあるだろう。その最たるものは、やはり『ハムレット』の中に語られるあまりに有名な台詞、”To be,or not to be,that is the question”であろう。この名台詞を訳すのに、それぞれの翻訳者の個性や時代性が、強く反映されるので、比較するのもまた一興である。
日本初の翻訳は『ザ・ジャパン・パンチ』に掲載されたチャールズ・ワーグマンの「アリマス、アリマセン、アレハナンデスカ?」(1874)だという。但しこれは、作品全部の翻訳ではなく、戯作であるようだ。本格的なものとしては、1882年の矢田部良吉の手になる「ながらふべきか、しかしまた、ながらふべきにあらざるか、ここが思案のしどころぞ」。明治の高名な文学者、坪内逍遥によるものは「世に在る、在らぬ、それが疑問じゃ」(1909年)。また市川三喜・松浦嘉一の翻訳「生きるか、死ぬるか、そこが問題なのだ」(1949年)、次いで「生か、死か、それが疑問だ」(福田恆存、1955年)、さらに「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」(小田島雄志、1972年)、最近の翻訳としては「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」(河合祥一郎、2003年)であるが、どの訳文にも、それぞれの雰囲気があって、味わい深い。やはり生きるにあたって、人間の根源的な問いが、この短い一句に切り取られているからであろう。
しばらくフィリピの信徒への手紙を取り上げる。パウロの最晩年の手紙のひとつと考えられている。この手紙が記された時には、パウロはエフェソで捕らえられ獄中にあり、フィリピ教会に訪問することが困難になったゆえに、自分の名代のような弟子のテモテに持たせたものだと推定されている。フィリピの教会は、パウロによって基が据えられた教会のひとつであるが、多忙な、あるいは病気がちな、さらには捕らえられ身の不自由さをかこつこの使徒に対して、変わらぬ信頼と敬意とを持ち続けたようだ。5節「あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです」という一句に、この使徒の好感度の高さが伺える。ところがやはり教会の人々は、パウロの身の上を心配し、投獄によって直接会って顔を見ることができないことで、非常に落胆し、元気を失っていたのであろう。パウロはこの愛する教会の人々を何とか力づけ、励ますことが必要だと感じて、この手紙をしたため、テモテに持参させ、陣中見舞いとしたということである。
この時パウロは投獄されており、当時の感覚からすれば既に老境にあり、体力的にも限界を覚えることも多かったのであろう。弱さを覚える中で、つい21節の言葉が口にされたのである。「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です」。パウロ流の“”To be,or not to be,that is the question”が語られるのである。もしかしたら、後の、かの高名な劇作家は、この言葉からあの有名な台詞を紡ぎ出したのかもしれない。「どちらを選ぶべきか、わたしには分からない、二つのことの間で、板挟みの状態です」、二つの事柄の間に板挟みになって、どちらも選ぶことができない状態を、「ジレンマ」と呼ぶ。
「決断」や「選択」によって、人生は形づくられ、それらがあることが「自由」の証だと言われる。何かを選ぶことができる、というのは幸いなことだ。普通、生きるにあたって「あれもこれも」とは早々いかないから、選択の余地があるならば、いくつかの物事を吟味して、比較検討して、良い方を選ぶ、というのが賢明な判断というものだろう。ところが「よく見て良い方を選ぶ」というような「楽」な選択は、生きる中ではめったには生じない。それができる所では、どちらを選んだところで、あまり重大な変化は生じない。だから「楽」なのである。大抵は、どちらを選んでも、「良くない、悪い」のだが、それでも放って置く訳にもいかず、やむを得ずどちらかに決定しなければならない、というような選択が、人生の中では生じやすいのである。だから「二つの事柄の間に板挟みになって、どちらも選ぶことができない」のである。
パウロにとってこのジレンマは、自ずと宗教的な問いとなる。すでに老境にあり、健康不安や投獄により、自分の人生の終わりがほの見えている。それでもまだ自分の人生で走るべき道のりの未だ途上にある。信仰者として、これからの行方について何を祈るべきか、思いあぐねている。彼はやはり偏狭なユダヤ主義からは離れて、ヘレニズム的な思考の傾向に置かれていたから、地上での生活、即ち「肉体」は、「魂の牢獄」的な感覚を持っていただろう。死ねばそのような肉の桎梏から解放され、ギリシャ人の言う「イデア(永遠)」、彼にとっては「キリスト」と合一するのだ、という観念を内に秘めていたのだろう。「一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい」。
しかし彼がたどり着いた結論は、24節「だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です」というものであった。「死ぬことは、キリスト(と共にあること)」でありパウロ個人にとって、大きな喜びの成就なのである。ところが彼は、それ以上に「あなたがたの信仰を深めて喜びをもたらすように、いつもあなたがた一同と共にいること」を選びたいと宣言する。つまり、自分一人の喜びを超えて、フィリピ教会の人々と喜びを共にすることを願い、祈り求めるのである。
「エゴイズムのジレンマ」という理論がある。自分を第一に考え、自己中心的に生きれば、最も自分が得をする、というのは自明の真理のように思える。ところが実際には、どうもそうはならないのである。皆が早く目的地に着きたいというので高速道路に集中すれば、大渋滞が起こり、却って遅くなるのと同じである。やはり人間は共なる喜びに、至福の感を持つのである。「喜ばれる喜び」に生きるように、どうも人は造られているらしい。主イエスの説いた「神の国」は、そのような国なのである。ひとりの喜びは、自分がいなくなれば消えてしまう。共なる喜びには、終わりはないのである。