祈祷会・聖書の学び マルコによる福音書14章32~52節

画家や作家、音楽家等の芸術家は、自分が作った作品に、「サイン」を記すという習わしがある。絵画ならば、右か左の最下部に作者の名前を記す。音楽家ならば、曲の終わりに名前を記す。自分の名前ではなく、自分の分身とも言える記号を描く芸術家もいる。よく知られているのは、J・S・バッハで、曲尾に「SDG」というアルファベットを記したことが有名である。この記号は”Soli Deo Gloria”の略号で、「ただ神にのみ栄光あれ」という音楽家自身の信仰の表明であると説明されている。

文学の場合、近代以降、作者の名を明記することは、「当然のこと」と考えられるようになったが、古代では、余程の有名人が、後世に自分の名を残そうという意図がなければ、名を記すという習慣はなかった。ある意味では、古代の作家は、文章を書く「職人」なのである。作品そのものが自分の顔で、自分の分身で、名前など二の次、三の次なのである。

新約聖書の諸文書の中で、きちんと作者の名前が記されて、今に伝えられているのは、パウロの手紙である。他の手紙は、著者が無記名であったり、あるいは偽名だったりするが、パウロは自分の名を記して(しかも自分自身で筆を執ってサインし)手紙を書き送っているのである。もちろん「手紙」だから、という単純な理由はあるだろうが、それ以上に彼には、そうすべき理由があったのである。それは彼が病によって、あるいは投獄によって、自らが「植えた」教会に足を運べない、という拠無い事情があったからである。現実に自分の「身体」は持ち運べないが、「手紙」という己の分身ならば、届けることができる。記名の手紙は、彼の宣教のための戦略だったのである。

しかし「文学」の場合、もう少し事情は複雑である。作者の名前を記すこと以上に、自分の書いている作品中に、自分の分身を登場させることを意識、無意識に行うのである。登場人物のひとりとして、あるいはコメンテーターとして、あるいは独白者として、自分自身を登場させるのである。

福音書には元来、その著者名は記されていない。だから正確には誰が書いたか分からないのだが、伝統的に、作者の名が特定されて付されている。「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ」がそれである。文章の書き方、価値観、思想の特徴から、聖書学者たちは著者の大まかな素性を推定する。マルコならば、ギリシャ語があまり上手でなく、12弟子に批判的であり、ユダヤの地理に疎いこと等から、シリア辺りの異邦人教会でものされたのではないかと考えられている。

今日の聖書個所に、一見、不可解な文章が記されている。51節~「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった」。この逸話は、本文の流れを逸脱しており、文章構成に必ずしも必然でない事柄に見える。なぜこのような文が挿入されているのかは、謎である。ある人は、これはこの福音書を書いた著者自身の姿であると説明する。12弟子以外にも、主イエスに従って歩んだ人々が多くあったことが知られているが、この福音書を記した著者、伝統的な見方に従えばマルコは、実は主イエスのすぐ近くにいた人であり、主の受難の出来事を目の当たりにした者のひとりではなかったか、というのである。だからこそ、このような劇的な福音書文学を形づくることができたのだ、という訳である。実際は不明にせよ、「裸で逃げて行った」というのは、奇妙で滑稽な印象を受けるが、リアルな書き方ではある。

今日の個所は、主イエスがユダに手引きされたユダヤ当局者たちに、捕えられるその前後を記している。ゲッセマネでの主の悲痛な祈りの声が響く中、弟子たちはその苦しみを我知らず眠りこけ、その間に、捕縛者が忍び寄って来る、という文脈である。非常に緊迫した雰囲気の中に、物語が進行していく。主イエスの十字架をめぐる物語は、ごく早い時期に「受難物語」として一つにまとめられていたのではないか、とも推定されているが、「芝居の脚本」のようでもあり、教会で「受難劇」が上演されていたと見る向きもある。確かにそう信じたくなるような迫真の筆致である。

ゲッセマネの園で、ここでもペトロ、ヤコブ、ヨハネら、最も近しい弟子たちと共に、主イエスは夜を過ごされている。主は親しい彼らに語ったという。34節「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」そして、少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈ったというのである。ところが、弟子たちは、眠りこけていた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」。これは私たちの姿、有様そのものである。三度目も主は弟子たちが眠っているのを見て、こう言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。 立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」

この個所は、翻訳が厄介な個所のひとつである。新共同訳はほぼ直訳している。それが一番無難であるが、こう訳すこともできる。「いまは眠り、休め、…もういいだろう、時が来た」。このように訳すなら、いくら叱責しても肉の弱さから何度も眠りこけてしまう弟子たちに対し、主イエスは最後に、彼らの弱さを受け止め、許したと解釈することができる。「肉体の弱さ」というが、運命を分ける一大事を前に、だらしなく「眠りこける」弟子たちの姿は、批判や非難されるべきものではなくて、主イエスによって受け止められるものであった、というのである。そして十字架は、比類のない神のみこころの表れであり、その上無く深い慈愛の出来事であることを、告げるのであると。

一人の若者が、「裸で逃げて行った」という奇妙な伝承は、主イエスの十字架を前にする時に、人は皆、誰一人例外なしに、自らを偽り,飾り、覆うことはできず、裸の自分として立つことになると教えるものであろうか。怖ろしさで十字架から背を向けて逃げたとしても、弱さのゆえに眠りこけたとしても、さらに欲のためにユダヤの官憲の手引きをすることで、主を裏切ったとしても、神のみこころの外に放り出されるのではなく、十字架の赦しの埒外に置かれるのでもない。主イエスのゲッセマネの祈りは、最後に神のみこころを求める言葉で結ばれているのである。