祈祷会・聖書の学び 列王記上11章26~40節

現在、自転車に乗るのがブームのようで、多くの人がさっそうと自転車を駆る姿を見かける。夏目漱石の作品に、『自転車日記』という題名のユニークな文章がある。英国留学中に、文豪が自転車の練習をした経緯が描かれている。当時のロンドンでも、自転車は新奇な習俗であったようだ。下宿のおばさんに「ちょっと自転車でも乗ってみたら?」と勧められるのだが、引きこもり気味であった漱石は全く乗り気でない。それでも無理やり連れ出され、馬場で乗っては巡査に叱られ、坂道を駆け下りれば、止まれずに人を引きかけ、避ければ板塀にぶつかり、道を行けば、急に曲がってしまったところで追突され散々至極な目に会う。「ああ悲いかなこの自転車事件たるや、余はついに婆さんの命に従って自転車に乗るべく否自転車より落るべく“ラヴェンダー・ヒル”へと参らざるべからざる不運に際会せり」と嘆くのである。さしもの文豪も、自転車相手に、大分、苦闘したようである。

さて、安積得也氏の詩に『上り坂』と題する作品がある。「朝もやの高原を自転車でゆく/軽く らくらくと感じたときは/後でしらべてみると/下り坂だ/何か調子が重く/骨が折れると感じたときは/後でしらべてみると/上り坂だ/お前は今/下り坂にいるか/上り坂にいるか」。すいすいと楽にペダルをこぐことが出来て、順調に走っているように感じられるときは、下り坂である。当たり前のことだが、ふと目を開かれる経験である。自転車に乗る人なら、確かに思い当たることでもある。己を載せて坂道を上ることの、何と大変なことか。自分で自分を持て余す。

ダビデ王とソロモン王、この歴代の王二人の時代に、イスラエル統一王国は完成した。それぞれの王の統治期間は、40年づつであったと伝えられる。「40年」とは象徴的な数字で、まさにイスラエル王国が、パレスチナの地で、揺るぎない盤石さを獲得したことが、暗にほのめかされている。そしてダビデ王の後を継いだソロモンによって、父王も為し得なかった念願の事業、エルサレムに神の神殿が建築され、政治的宗教的にもまさに繁栄の時を迎えたのである。

古代のあらゆる民族にとって「神殿」は、なくてはならぬ存在であった。いわば民族統合の象徴であり、宗教ばかりでなく国家、政治、経済、文化等、すべてのものの中心であった。もしそれがなければ、人は、ばらばらに散らされてしまうと考えたのである。創世記の「バベルの塔」の物語は、そうした観念を文字化した文学である。「さあ大きな塔を建て、その頂を天に届かせ、全地から散らされないようにしよう」。

ところが聖書の民イスラエルは、幕屋(テント)で暮し、絶えず移動する放浪の人々であり、一定の拠点に据えられた「神殿」を建立し、そこを中心に諸制度を整える伝統の中に生きてこなかったのである。理念としてイスラエルは12部族から構成されており、それらの諸部族はみな、ヤコブの末裔としての近親感は持っていたが、一つひとつが別個のアイデンティティと、強い独立意識を持っていた。12部族の内、いずれかの部族が危機に陥る時には、全イスラエルが一致協力して対処するが、平時には、それぞれの独自性を尊重するという緩やかな連合体であった。つまり、イスラエルは単純な一枚板ではないのである。ダビデの時代、神殿が建立されなかった背景には、経済的な乏しさという問題があった。しかしソロモンは姻戚関係を結ぶことで、積極的に周辺諸国と交流を保ち、数多の商業施設を設け、海外貿易に手を染める等、さかんに経済発展を目指し、国力の充実を図ったことで、建設資金を調達することが可能となった。

しかしインフラ整備の資金以上に難問だったのは、イスラエルの12部族の理念だったのである。幸いソロモンの時代には、彼の内政戦略(反対者の封じ込めと経済的繁栄)、外交手腕と相まって、パレスチナは比較的平穏な状態にあったから、そうした時代状況が上手く働いて、国家統一の目に見えるしるしであるエルサレム神殿の建設が可能になったのである。イスラエルはソロモンの栄華、その繁栄と豊かさに取り込まれたのである。

今日の聖書個所に、ヤロブアムという人物が登場する。イスラエル12部族の中のひとつ、ヨセフ族を祖に戴く、エフライム族に属する若者だという。出エジプトの後、ヤコブ(イスラエル)の12人の子の末裔たちは、約束の地パレスチナに分散して定着したとされる。エフライムはパレスチナ中央部、シロ、ベテル等の古いカナンの聖所を抱える地域に居を定めた。そういう重要拠点に定着した部族であるから、ダビデ・ソロモンの系譜であるユダ族に勝るとも劣らない、有力な部族であった。

ヤロブアムは、彼の管理能力の高さをソロモンに見出され、首都エルサレムのインフラ事業整備の監督に抜擢される。するとその噂を聞いたのだろう、彼の故郷、エフライムの地、シロで活動していた預言者、アヒヤが道で出会い(待ち伏せし)、象徴行為によって彼を説得する。預言者は神の言葉を伝える務めを行うが、しばしば目に見えない神の言葉を、形に具体的に表現することで、目に見えるように開示した。預言者は自らの「真新しい外套」つまり「誕生したばかりの統一イスラエル」を、12片に裂いて、10片を取れという。ユダ族(王家の部族)、ベニヤミン族(最近親部族)以外の部族をすべて、ヤロブアムが統率し、それらの頭になれ、つまり謀反を起こすべし、ということである。

アヒヤがヤロブアムに接触したのは、ソロモン王の政策への強い反発からである。今日の個所には、申命記歴史家の視点が強く反映しており、イスラエル宗教の混淆化、不純化が語られているが、要はソロモンが、イスラエルの伝統の肝心要の部分を、ふみにじり、ないがしろにしたということである。「彼(ヤロブアム)はソロモンに仕えていたが、やがて王に対して反旗を翻した」。

繁栄や豊かさ、順調さは、人間に最も重要な課題を忘れさせる。人は何で生きているかという根本の問題である。イスラエルにとっては、12部族の基である「神の民」「ヤーウェの部族」の理念を、ソロモンは軽視してしまったのである。イスラエルは、神のあわれみによって生かされる人々なのである。小さく弱小の民を敢えて選び、これを懇ろに守り導いて行くという「神のみわざ」に応答する民なのである。強大な帝国となり、他を足下に踏みつける「強さを拠り所」にする民ではない。イスラエルは、かつてない興隆のさ中に、盤石の石組は軋みを見せ、石垣は揺るぎ始めるのである。統一王国がなってから未だ一世紀、百年に満たない年月の時代である。