「捨てた石、これが」 ルカによる福音書20章9~19節

4月に入り、新しい年度を迎えた。今から50年前、大阪で万国博覧会、エキスポ70が開催された。その跡地に建てられた記念公園の正面に、「芸術は爆発だ」のコピーで有名な岡本太郎氏の手になる「太陽の塔」がそびえて、今もかつての名残をとどめている。1970年3月15日〜9月13日(183日間)の開催で、総入場者数は、6,421万8,770人であったという。実にこの国の人口の6割もの人間が、ここを訪れたことになる。

見物の話題はいろいろあったが、最も目を引いたのは、アメリカのパビリオンで展示された「月の石」ではなかったか。黒っぽい、小さな石ころ、そこいら辺に落ちているただの石のかけらのようなものが、月の石であるという。はるばる宇宙までロケットを飛ばして、努力の末、持ち帰った曰く付きの品である。それだけで何となくありがたく思えた。

そして半世紀過ぎようかという今年、2019年の1月にこんなニュースが伝えられた。約50年前にアポロ14号の宇宙飛行士が地球へ持ち帰った月の石に、地球由来と思われる物質が含まれていることがわかった。この石は40億年前の天体衝突によって地球から飛び出し、月に到達したものかもしれない。研究チームが考えるシナリオは次のようなものだ。まず40億年から41億年前に、岩石は地球の表面から約20kmの深さのところで結晶化した。その後、小惑星や彗星のような天体の衝突によって、地表が掘り起こされ、その岩石が地球から飛び出し、月へと到達する。その曰くつきの岩石を、アポロ宇宙船に乗った人間が、持ち帰ったという次第である。

まるで「放蕩息子」のように、故郷から飛び出ていったものが、はるか長い年月の内に、またUターンして、里帰りする。失われたものがまた戻って来る、しかも人間の科学の力を借りて。自然とは、不思議なドラマを作り出すものである。

今日はルカ福音書の「ぶどう園と農夫」の喩えから話をする。こんな小さな話からも、当時のパレスチナの農業事情が、リアルに物語られている。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して、長い旅に出た」。この「農夫」という言葉は、自営の土地持ちではなく「小作人」を意味する。当時の農民は、飢饉が起こり収穫を得られなければ、多額の借金をして暮らさざるを得なかった。そして飢饉が一年で終わらず、翌年も続けば、借金のカタに土地を手放し、小作人になるしかない。その土地を、わずかな金で手に入れるのは、エルサレムやローマに住む貴族である。「長い旅に出た」とは、自分の自宅に帰った、ということである。そのぶどう園に雇われた小作人は、もともと自分の畑だったところを、雀の涙程の賃金と引き換えに働くのである。働きながらも、複雑な心境があっただろう。ここは先祖代々、自分の畑だったところだ。本来、俺のものだ。

収穫の時が来て、主人は、僕を遣わして「収穫の上代」を受け取ろうとした。ところが小作人たちは、これを拒絶し、その僕を袋叩きにし、空手で帰らせた。さらに「愛する子なら」敬い、受け入れてくれるだろう、と主人が目論見んで、跡取り息子が送られる。息子の度胸試し、あるいは経営実習という意味合いもあるだろう。すると小作人たちが口々に言う。「これは跡取りだ、こいつがいなくなれば、ぶどう園は自分たちのものだ」。所有者不明の畑が数年間、放置されて、裁判で正式に訴えもなされければ、そこを実質的に耕している者の所有となる。

しかし大抵はそうは問屋が卸さない。主人は(経営者は)腕っぷしの強いもんを大勢連れて戻り、反逆した小作人たちをことごとく粛正するだろう。ここにルカだけが記している言葉がある。16節「そんなことがあってはなりません」、皆はこの言葉をどう読むだろうか。浅はかな感情で、主人に逆らい、その跡取りを殺し、土地を取り戻そうとした小作人たちの、愚かなふるまいに対してか。それとも権力ある主人の、情け容赦ない報復の姿にか。それともこの時代に、次第に顕著になってきた、ユダヤとローマの摩擦や葛藤、衝突、その行く末を思ってか。この譬え話が暗示するように、紀元70年、ユダヤ戦争によって、エルサレム神殿はローマ軍によって徹底的に破壊され、神殿の見事な石は、ことごとく崩され、そこいら辺に打ち捨てられるのである。

だから「家を建てる者の捨てた石」というみ言葉が続くのである。家を建てる者とは、ローマ人の比喩である。彼らは、何より建築者、土木工事者としての、大きな才能を持っていた。隈なく道路を舗装整備し、素早く軍隊を進軍させ、町を建設し、インフラを整備しつつ、支配を推し進め、帝国を拡張する人々であった。エルサレム神殿の石は、世界の建築者であるローマ人の手によって、破壊され、打ち捨てられる。だから「そんなことがあってはなりません」。

しかし神殿が破壊され、見事な石が打ち捨てられて、それで終わりにはならない。「捨てられた石は隅の親石となる」。廃墟の中から生まれ出るものがある。打ち捨てられた石が、人々から見捨てられた石が、人々を支え、足を置く基礎となる。人々の生命の拠り所となる。しかし、この石は不気味な存在である。「上に落ちる者を打ち砕き、誰かの上に落ちて、その人を押しつぶす」。

主イエスの時代の神殿は、ヘロデ大王が40年かけて改修したものであるが、そのベースは400年前に、再建された貧弱な第二神殿であった。それはソロモン王が建設した神殿が、バビロニア帝国によって破壊された後、1世紀程して、崩され、打ち捨てられた元々の神殿の古い石材を、リユースして造られたものであった。捨てられた古材が神殿の基となったのである。ここに主イエスは、自らの運命を重ね合わせて語るのである。

「捨てられた石」、人々に見捨てられ、十字架につけられて、ののしられ、馬鹿にされ、打ち捨てられた石。しかし人々が見捨てたところに、神は再び生命を生み出されるのである。「捨てる神あれば、拾う神あり」という諺がある。どちらも別々な神ではない。人の捨てるものを、神は拾われる。人が目を留めない所を、救いの礎とされる。「エロイエロイレサバクタニ」、神に捨てられた人の叫びである。しかしその痛ましい叫びによって私たちと一つになられ、共に冥府に下り、そこから復活の生命を呼び出される神の働きがある。