「来なさい、そうすれば」 ヨハネによる福音書1章35~51節

オリンピックの開催年であるが、イソップの寓話にこういう話がある。オリンピックの発祥地らしい話である。郷里でいつも、「もっとがんばれ」、とけちをつけられていた五種競技の選手が、ある時、海外遠征に出て、しばらくぶりで帰ってきた。男はあちこちの国で勇名を馳せた、と大言壮語したが、ことにロドス島では、オリンピック競技者でさえ届かぬほどのジャンプをした。もしもロドスへ出かけることがあれば、競技場に居合わせた人が証人になってくれよう、というと、その場の一人が遮っていった。

「おい、そこの兄さん、それが本当なら、証人はいらない。ここがロドスだ、さあ跳んでみろ」。「飛躍」とは、昨日や明日の問題ではない。今、ここでということだ。

「論より証拠」「百聞は一見にしかず」という諺がある。英語の諺では「プディングが美味しいかどうかは、食べて見ればわかる」、もともとプディングが、大衆料理の典型であったことが伺える諺だが、なる程、プディングは見た目ぱっとしない食べ物である。最初期は、残り物一切を刻んで、混ぜて蒸して固めて作られた保存食のようだ。見た目や噂でおいしいかどうか論じたところで仕方ない、食べてみれば一目瞭然ではないか。

世界のグローバル化で、今までは見たこともない、さまざまな食べ物が売られている時代である。多様な食文化と同時に、食物の禁忌を持つ人々との共生、という問題もある。そういう多様性は、傍目で批評家のように論じていても、何も進展しないところがある。要は「食べてみる、やってみる、味わってみる」、結局「共に」ということしかない。

今日はヨハネ福音書の描く「最初の弟子の招き」の物語である。共観福音書とは大分、趣が違う。共観福音書の物語は、よく「弟子の召命」と題されている。主イエスがイニシアティブを持って、ガリラヤ湖で網の手入れをしていた漁師たちに命令するがごとき声を掛ける。「わたしについてきなさい」、すると彼らは網を捨ててイエスに従った。非常に一方的な語り方である。こういう記述部分に、初代教会の信仰観の理想化、理念化がある。主イエスのみ言葉、招きは絶対である。お招きにはすぐに従うのだ。確かにこれは真理である。生きることは予習が効かない、あれこれ忖度し迷っていてもらちが明かない、「見る前に跳べ」という要素が多分にある。もちろん後で臍を噛むこともしばしばだが。

ところがヨハネは違う。相手がどんなに素晴らしい先生、師匠だとしても、人と人との出会いは、そんなに単純なものではない。いろいろな祖語や反感や逡巡、さらに疑いをも含まれる。魂のぶつかり合いがそこになければ嘘だ。メシア、キリストとの出会いもまた、そういうものではないか。だからヨハネは最初の弟子たちとの出会いの場面も、両者の問答から始めるのである。

洗礼者がイエスを「見よ、神の子羊」と呼ぶ。自分が随き従う先生たる人が、「この人こそ神の人だ、メシアだ」、と証言するのである。これほど確かで信頼できる情報はないではないか。37節「二人はイエスに従った」とあるが、この「従う」は、信頼してお供をする、弟子になるということではない。「面白そうだからと興味をもって、後について行った」。興味本位である。その彼らに主イエスが「振り返り」、声を掛ける。「何を求めているのか」。この行りは福音書の記述の中でも最も印象的な所の一つである。後ろからこっそりついて行った弟子たち、未知なるこの「神の子羊」に何とか接触したい。だが、気後れもするし、中々声を掛ける勇気ときっかけが得られない。すると当の主イエスの方が振り向き、声を掛けてくれる。「何を求めているのか」。ここにはヨハネの信仰観が深く描かれているといって良い。このナザレのイエスと言われる輩が、何者か、どんな方かは、よく分からない。それでも心惹かれる何かを持っている。だから自分には関係ない、と離れることもできない。そんな中で、その人の方から声を掛けてくださった。「振り向いて」という一語に、ハネの信仰の全てが込められている。神は、主イエスは、私たちを振り向いて見てくれる方なのである。

「何を求めているか」と問われて、「先生、どこに泊っておられるのですか」。この応答は、実のところぎこちない答えのように聞こえる。もっと気の利いた受け答えがあるだろうに。昔話で、「3つの願い」という話がある。正直者の功徳に報いようと、神仏が何でも願いをかなえてやろうと有難い幸せを告げる。しかし真に適切な願いを口にできず、そんなつもりはないのに、願いを浪費してしまうという筋書きである。つまり人間は自分に最も必要なこと、本当に大切なものを知ってはいないのだ。何を求めるべきかを本当に知る者は、もはや他に願いはしない、他の誰かの力をあてにはしない、ということなのだろう。

「どこに泊っているのか」と師と仰ぐべき人物に問うのは、古代では実に礼にかなったことだった、と説明される。その人物のいる所に、自分から出かけていき、そして「三顧の礼」でもって、教えを乞うのである。その人が今生きている場所、人となり、仕事、生活の根城をつぶさに見ることは、その人がどのような人格であるのかを知る、良い機縁となるだろう。何より「共に」生きて、起居を共にして見なければ、見えないこと、分からないことは多いものである。

しかしこの「泊る」という言葉は、ヨハネ福音書にとっては、キイワードともいえる用語なのである。この言葉は「泊まる」の他に、「つながる、留まる」と訳すことができる。15章5節には、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」という主イエスの言葉がある。そこに、「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」とある。その「つながっている」がこの「泊まる」という言葉なのである。「関係、絆」という意味を持つ用語だから、「泊る」、「寝食を共にする」という意味が派生する。

繋がりの中で生きるのが人間である。関係の中で形作られるのが人生である。その人が誰に繋がり、何とパイプを持っているかで、その人の力や、この人物が頼りになるかどうかが分かるのである。世間で「人脈」と言われる。その脈絡を通して、自らに利益が運ばれてくる。古代では誰につながるかで、自分の身の浮き沈みが左右された。努力や能力以上に、「繋がり」こそが重視されるのである。「どこに泊っておられるのか」、という問いは、「あなたは誰に繋がっているのか」という問いと、同じなのである。今も人は色々なつながりの中で生きている。親に繋がり、学校に繋がり、仕事に繋がり、友人に繋がり、家族に繋がる。しかしどの繋がりも、ほんの束の間であるし、どんなに大切で、頼りになる人でも、いつかは切れて失われ、永遠ではない。

しかし、このナザレのイエスと呼ばれる方は、どうも人間に繋がっている方ではない。いや人間の繋がりやしがらみ一切を、全く欠いているようにも見える。ただ神と親しく、神とまさにひとつに繋がっている方なのである。この方が、この方の方から、私たちを「振り返り」、「来て見なさい」と言われる。私たちの人生は、このみ言葉の前に立っている。

この1月17日の北海道新聞にこういう記事があった(卓上四季)

神戸在住の詩人、安水稔和(やすみずとしかず)さんは1945年に神戸大空襲を経験した。それから50年後、再び九死に一生を得て、直下型地震でがれきと化した故郷の無残な姿を見ることになる▼「これが神戸なのか。/これが長田のまちなのかこれが。/これはいつか見たまちではないか。」(「神戸 五十年目の戦争」)。その後も、阪神大震災の記憶や被災者の心の軌跡を、平明な言葉で詩に刻み続けている▼「これはいつかあったこと。/これはいつかあること。/だからよく記憶すること。/だから繰り返し記憶すること。/このさき/わたしたちが生きのびるために。」(「これは」)▼阪神大震災からきょうで25年。その歳月が、詩人がたゆみなく紡いできた言葉の正しさを示している。日本列島は東日本大震災をはじめ、中越、熊本、そして胆振東部などの地震に次々に襲われた▼突然の揺れに無縁な場所はほとんどない。▼被災から20年後に安水さんは書いた。「忘れても忘れても気づく/いつかいつかかならず。/繰り返し繰り返し気づく/いつもいつもかならず。」。

「来なさい、そうすれば分かる」、「来て見なさい」と主は言われる。自分が赴いてようやく「分かる」のである。絶えず主は、私たちをそのような出来事の現場に、押し出される。自ら私たちの方を振り返って、「来て見なさい」と語られる主の促しを、心に留め置きたい。鈍い私たちではあるが、「忘れても忘れても気づく/いつかいつかかならず。/繰り返し繰り返し気づく/いつもいつもかならず」そのような処へ、主は押し出されるのである。