祈祷会・聖書の学び マルコによる福音書14章10~26節

1地方紙の新聞コラムに、このような記事を見かけた。奥州市水沢区の西部、福原に後藤寿庵の廟堂(びょうどう)がある。寿庵は伊達政宗に仕えたキリシタン武士で、奥州市の広い範囲を占める胆沢扇状地に水路網を開いた恩人として記憶されている。先月末、カトリック水沢教会主催の「春の寿庵祭」があった。「天におられるわれわれの父よ、寿庵の祈りを受け入れてください」。司祭が廟前で十字を切る。農作業の安全、新型コロナの収束など時節らしい言葉が続く。数人の信徒代表がこうべを垂れる。「いつもなら200人は参列するのですが」と、後藤寿庵顕彰会の高橋栄蔵会長は残念そう。イエズス会宣教師の書簡に「アラビアの砂漠のごとし」と記された扇状地を沃野(よくや)に変えた寿庵。キリシタン詮議が厳しくなると、福原を出奔して行方知れずになったが、地元は彼の恩を忘れなかった(6月11日付河北春秋)。
「寿庵」は“ジュアン”の当て字、「ヨハネ」のことで、洗礼名だと思われる。近年、東北キリシタンの調査、研究が進展し、彼らは来日した宣教師から物理化学の知識を学び、製鉄、医学、測量の技術を取得していたことが分かって来ている。今でいう先進技術者集団であり、特殊技能の持ち主だったわけである。さらに、老齢者の介護や貧窮者への施し、葬儀等、福祉の分野でも、地域共同体に大きく貢献していたようなのである。
禁教令が出されて以後も、表向きは棄教を目した迫害や圧迫が加えられたが、伊達藩は裏では密かにキリシタンを保護し、黙認していたふしがある。それは「東北」という地理的位置にもよるのだろうが、彼らの持つ特殊技能による「インフラ整備」を期待したからであり、それ以上にキリシタンの共同体なしには、もはや地域社会が立ち行かなかったという現実があったのだろう。このことが、殉教したキリシタン達を葬った塚(例えば登米市の「三経塚」)が、今も大切に保存されていることでも知れる。「地元は恩を忘れなかった」というのは本当だろう。
後藤寿庵は、「砂漠を沃野に変貌させた」、キリシタン武士の大人物として、今日に伝えられる。丁度、医師である故中村哲氏が、自ら重機のハンドルを操り、アフガンの荒れ野に運河を引いた働きを髣髴とさせるような生涯である。ところが興味を引かれるのは、「キリシタン詮議が厳しくなると、福原を出奔して行方知れずになった」と言われ、生没年未詳の人なのである。「出奔して行方知らず」が何を意味しているのか、いろいろ想像を巡らしたくなる。
今日の聖書の個所は、マルコによる福音書の「最期の晩餐」の場面である。十字架に付けられる前の晩、主イエスは12弟子たちと「過越の食事」を摂ったと伝えられる。所謂「最期の晩餐」である。最初にパンが裂かれ、それが一同に等しく手渡され、食事が行われる。パンは、普通、オリーブ油と酢、香草(苦菜)を混ぜたドレッシングに浸して食べる。食事の後、盃にぶどう酒が注がれる、「喜びのしるし」である。その盃がこれも等しく一同に回され、閉会となる。福音書は、当時の「過越」の食事の実際を、よく再現しているといえよう。
この食事の席で、「裏切り者」の存在が主イエスから告げられ、そこにいた一同に、ざわめきと動揺が広がる。非常に「劇的」な構成である。主イエスの受難物語は、もともと「演劇」の台本のように、それだけで早くから独立してまとめられていた伝承である、という聖書学上の仮説があるが、首肯したくなる記述である。
古代の会食は、「腹を満たす」という実際上の目的以上に、ひとつの狙いを持っていた。会食はしばしば、主人(庇護者・パトロン)が奉公人(クライエント)を招いて催されるものであった。その席上で、主人は自分の意向を皆に告知し、クライエントはその求めに叶うように知恵と誠実をもって行動するのである。いわば「一飯」の付与が、主人と奉公人の「絆」を強め、「恩義」を象徴化するのである。つまり「会食」は、何よりも「裏切り防止」の装置なのである。
ところが主イエスの会食においては、真逆な状況が展開される。「固めの盃」が交わされるべき場で、「裏切り」が告げられ、しかも裏切り者が誰のことかを、主人(主イエス)は先刻承知していながら、会食は最後の乾杯まで、ひとりも排除されることなく、等しく賄われ、まっとうされるのである。普通ならば、裏切り者は、それと分かった時点で、排除され、放逐されるはずである。尤も、弟子たち全員が、十字架の前には、ことごとく主を裏切ったと言えるが、誰をも排除されることなく、というのは、主イエスの共同体の一番の特徴だろう。
イスカリオテのユダ、「カリオテの人」という通称であるが、それは「出身地」を表すとか、「シカリ派」に属する人、(「シカリ」とは刃が三日月状をした短刀のことで、暗殺用に腹に潜ませて用いると言う)、即ち「暗殺者」であったとか、想像されているが、確かなことは不詳である。福音書には「会計係で、一同の財布を預かっており、不正をしていた」という。この個所では、パンを、「主イエスと同じ鉢に浸していた」とあるので、主とユダの関係を、険悪で破綻していたと受け取ることは難しい。とりわけ主と気が合わなかったという訳でもなかろう。ユダの「裏切り」には、それなりの尤もな理由はあるだろうが、気づいたらそうなっていた、ということかもしれない。あるいは、もっと一般的に、人間の関係はどれも、多かれ少なかれ、裏切りに彩られており、裏切りによって、「距離」を取るしかない、ということかもしれない。
ただ21節の言葉には心痛む。「人の子を裏切る者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」。人間の罪も裏切りも、神のみ手の中にある、神と断絶したものではない。「十字架」も人間の罪をあらわにするものではあるが、神のみ旨による出来事である。「生まれて来ない方がよかった」という主の言葉は、実は、ユダを断罪する言葉ではないだろう。この時、主イエスの心が、ユダの心とひとつになっていることを示しているのではないか。この問いが問われて、初めて人は、自分という「人間」がこの世に生まれてきた意味や価値を見出すのである。実際、意味や価値のない者が、生かされるのである。