「縁もゆかりもない」ガラテヤの信徒への手紙5章2~11節

ある新聞が次のような記事を伝えていた。「家が凶器になった」。阪神大震災の犠牲者の遺体を検視した神戸大教授が、かつて取材に語った。地震発生時刻は、多くの人が寝ていた午前五時四十六分で、倒れた家の下敷きになって亡くなる人が相次いだ。検視では圧迫された胸や腹だけが白く、足などが紫色にうっ血している点が共通していたという。犠牲者の約八割が家屋倒壊による圧死や窒息死だったとされる。古い木造建築が多く倒れた。アフガニスタンで先日起きた地震も、家が凶器になったようだ。発生は午前一時半ごろ。多くの家が倒壊し、死者は千人を超すとみられる(6月25日付「筆洗」)。

「家」の語源である「イヘ」とは、「小さな小屋」あるいは「寝所」、または「器」表すとされる。住む人を守る器が、「家」である。その「家」が人の生命を奪う「凶器」となる、とは実に皮肉なことだ。老朽化した建物、災害に脆弱な建物は、時として危険極まりない凶器となる。とはいえ、大昔だから仕方がない、安全や耐久性についての考えが及ばなかった、というものでもない。この自然災害の多い国で、木造の高層建築でありながらも、一千年以上立ち続けている建造物も存在する。つまり「安心、安全」の意識や知恵、技術が古くにもちゃんとあったということである。

「建物」ばかりではない。安全のために設けられたものが、却ってそこに生きている人を殺すという倒錯は、現代社会にも無縁ではない。「国」は、そこに住む人、国民を守るためにある。ところが却って、生命を守ってくれるはずの「国」によって、そこに生きる人の生命が危険にさらされる、という悲惨が、現代、起こっているのである。今も、この地球上の至る所でそれは生じている。

さてガラテヤ書5章は、著者パウロがこの手紙を書き送った意図が、最もよく表されている部分である。2節の書き出し「ここで、わたしパウロは」と襟を正したような、あらたまったものの言い方がされている。この書き出しは、大上段からの物言いのようで、いかにも仰々しい。ある聖書学者は、「ここから数節は、パウロ自身が筆を執って、自ら記したのではないか」とも推定している。古代において、文筆は、特殊技能、職人技であった。専門の筆記者がいて、手紙を送る際には口述筆記してもらったのである。パウロも例外ではなかった。もちろん、彼は今で言う高等教育を受けていたから、文字を書くことは出来るが、専門家のようにきちんとした書式に則って書ける訳ではない。どうも彼は「下手くそな大きな字」を書いたようだ。それでもここで、パウロは自分自身で、直に文字を記さない訳にはいかなかった。それ程、彼にとっての、重大事だったのである。

「もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何にも役に立たない方になります」。これは過激な表現である。キリストの恵みも愛も、その働きも、ご生涯も、十字架も、何もかも無駄に、無意味になる、というのである。どういうことか。「割礼を受けるなら」とパウロは言う。「ユダヤ人であること」「ユダヤ教徒であること」の証(エビデンス)は、一番に「割礼」の有無である。律法を守っているという「目に見える証・象徴」がそれである。「私は律法を守っています」という目に見える証明書こそが「割礼」といってもよい。「ユダヤ人はしるしを求める」、彼らは、実際的、具体的な志向を持つ人々なのである。

そもそも「律法」とは、神の恵みの具体的な表現であった。目に見える恵みのかたちなのである。人間が、本当に人間として、安心して、安らかに生きるための、信号や道路標識のようなものであったのである。もし人を殺したり、盗んだり、誰かを偽って生きるとしたら、それはその場過ごしで、平安の内に生きることはできないだろう。だから主イエスは端的にこう語られた「安息日(律法)は人のためにあるもので、人が安息日(律法)のためにあるのではない」(マルコ2:27)。この言葉のように、律法は、人間を守るために与えられた、神の恵みの「賜物」なのである。律法は「文字」として、実際に目に見ることができる、具体的な「恵み」であるから、分かりやすいし、人間はやはり目に見えるものに集中するし、あやふやではないはっきりしたものに頼りたがるのである。

ところが教会は、目に見える律法ではなく、見えない聖霊の風が吹くところなのである。だからこ、そこに自由がみなぎるのである。キリスト者は、主イエスを信じることによって、「自由」を得た。もろもろの束縛、有形無形のくびきから解き放たれた。初代教会に多くの人々が集ったのは、そこに自由があったからだ。このことは今も昔も変わりない。パウロにとって、その自由の中で、最も大きかったのは、「律法からの自由」であった。自分をがんじがらめにしていた律法主義から、主イエスによって解き放たれた。彼の救いの確信はここにあった。

ところが目に見えないものが相手だと、どうしても、今、自分の置かれている状況が、歩んでいる道筋が、本当に大丈夫なのか、間違っていないのか、不安になるものである。「わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ」とパウロ先生は教えて下ったが、見えないと不安ではないか。そして当のパウロ先生も、全然、教会に姿を現さないではないか。そうした見えないことに不安を抱えるガラテヤの教会の人々に、エルサレムからうるさ型の「ユダヤ主義者」がやって来たのである。どうやら不安を抱えている人々に、「見えないもの(聖霊なるキリスト)のみでは救われない、見えるもの(律法)もあなたがたには必要だ」と主張したようである。そしてガラテヤ教会の人々は、その見えるものの方に、飛びついてしまったという訳である。

目に見えるものの一番の問題は、それによって心が縛られてしまうことである。ひとりで生きられず、共に生きるしかない宿命をもった人間にとって、「信頼」をまったく欠いて生きることはできない。しかしそれ自体は目に見えない、あるのかないのか、よく分からないところがある。だから不安になる。相手が信頼を裏切り、攻撃されるかもしれない。ならば武器を持とう、相手に強さを見せつけよう、そうすれば攻撃されることはないだろうということになる。しかし本当の課題は、「信頼をどう作るか」の方であって、「攻撃の力や強さを見せること」ではない。

「律法」も同じことである。神からいただいた恵みの賜物、感謝して生きることよりも、「律法を守る」ことにばかりに力点が置かれ、「きちんと守っているか、守っていないか」ばかりが問題にされ、それだけで人間が区別され、差別され、裁かれるようになったのである。人間を守るはずのものが、却って人間を裁き、殺すための道具になったのである。

かつてのパウロは、まさにそのように生きて、律法によって、人を差別し、人を裁き、主イエスを信じる者たちを殺そうとしたのである。人の生命を守るために与えられた恵みを、人殺しの為の口実、手段として用いたのである。4節「律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストと縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います」。かつての迫害者であったパウロの、経験に裏打ちされた言葉と思いがここにはほとばしっている。実に彼は、神の律法を用いて、人を裁き、差別し、殺そうとさえしたのである。ところがその彼に、直に、まっすぐに十字架の主、復活の主が手を伸ばし、出会われて、語ってくださった。ここに彼の信の基があったのである。

今年の6月23日の「沖縄慰霊の日」の追悼記念式典で、沖縄市立山内小学校2年、徳元穂菜(ほのな)さんが、自作の「平和の詩」を朗読した。「びじゅつかんへお出かけ/おじいちゃんや/おばあちゃんも/いっしょに/みんなでお出かけ/うれしいな」家族団らんの楽しさが伝わって来る。しかし家族そろって見たのは、かつての戦争の時の沖縄を描いた絵「こわくてかなしい絵だった/たくさんの人がしんでいた/おかあさんが、七十七年前のおきなわの絵だと言った/たくさんの人たちがしんでいて/ガイコツもあった/わたしとおなじ年の子どもが/かなしそうに見ている/こわいよ/かなしいよ」。痛む心で自分に問いかける。「せんそうのはんたいはなに?へいわ?へいわってなに?きゅうにこわくなって/おかあさんにくっついた/あたたかくてほっとした/これがへいわなのかな」。子どもとって、いや大人にとっても、「平和」は漠然としていて、中々、よく捉えることのできない事柄であろう。「おかあさんにくっついた/あたたかくてほっとした/これがへいわなのかな」、それは頭で理解してどうこうよりも、平和とは「くっついて、あたたかくて、ほっとする」ものなのだろう。子どもらしい、見事な肌感覚の、直観的な受け止めである。

「キリストと縁もゆかりもない」とパウロは言う。主イエスとの出会いを「縁もゆかりも」と表現している。パウロにしては珍しく心情豊かな表現が用いられている。「くっついて、あたたかくて、ほっとする」というようなニュアンスである。やはりパウロの出会いの根源にもこれがある。人が安心して、私らしく生きるのは、高邁な宗教思想とか、大きな悟りとか、崇高な行為とか、絶対の義しさなどではなくて、あたりまえの「くっついて、あたたかくて、ほっとする」に尽きるのであろう。

「こわいをしって、へいわがわかった 」と小学2年生は語る。人間を守るはずのものによって、人間の生命が損なわれ、逆に「こわい」によって、「平和」が分かるのである。「こわいものがない」とは、何と恐いことか。