「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。しかし重大に扱わなければ危険である」。作家、芥川龍之介の『侏儒の言葉』の一節である。確かに毎日の生活、日常は、平凡で「小さな火を灯すような」ありふれた一本のマッチ棒かもしれない。「かけがえがない、取り戻せない」とは頭では分かっていても、同じことの繰り返しのようで、ついつい疎かに、ずるずると過ぎて行ってしまうようなところがある。ところがその小さなマッチの火によって火事が起こり、そこに運悪く大風が吹いて、大火となることもある。
スポーツは、選手だけでなく、観客のこころをも大きく高揚させる作用があるが、時に勝敗の結果への不満から、悲しいかな、観客が暴徒化することが起こる。先ごろ、ある国でサッカーの試合の観客が、試合結果に憤って暴徒化し、百人以上の人々の生命が失われたというニュースが伝えられた。それにはまだ年端も行かぬ数十名の子どもたちの犠牲も含まれているという。「たかがスポーツ、されどスポーツ」なのだろうか。海外のサッカーに詳しい専門家はどう見たか。「どんな層がサッカーを見ているのか国によって違うが、その国の場合、政権に不満を抱えサッカーにかこつけて憂さ晴らしている人たちもいるのでは…」とコメントしている。
今日の個所は、パウロの三回目の宣教旅行の帰結を伝える個所である。ここでの出来事によって、パウロの運命は大きく舵を切って、展開して行くことになる。宣教旅行の目的地、エルサレムに上って、エルサレム教会のヤコブ(主の兄弟)を訪ね、長老たちに会って挨拶をかわし、宣教報告を行った。彼の働きの実りについては、皆、好意的に受け止めたが、彼の律法に対する態度に反発した町のユダヤ人たちによって、神殿で暴動に巻き込まれることになる。擾乱の当事者として取り調べのために、ローマの兵営に連行される途中、境内でパウロは神殿内の人々に語りかけ、弁明を行ったのである。
22章はその弁明の内容が記されている。彼は自分の回心の経緯を詳らかに語るが、弁明の最後に、ステファノの殉教の際のことが言及されていることが興味深い。ステファノは、使徒たちの働きを助ける執事として選挙された、教会員から信任の篤かった人物であるが、同時に非情にラディカルな信仰的立場を持っていたと思われる。ユダヤ人たちの偏狭な姿勢に、歯に衣着せぬ批判を述べて、大方の怒りを買ってしまう。彼は教会の最初の殉教者となったが、そこに居合わせた、まだ年若いパウロにとって、この出来事は心に大きな刻印を押すこととなったのだろう。ステファノが皆から石を投げつけられて、殺害される光景を目撃していたのである。その時の状況を彼は次のように語る「あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もした」。パウロは、直接石は投げなかっただろうが、殉教者の最期を目の当たりにして、ユダヤ人としてのこれまでの生き方、人生の軌跡、実存が強く問い直されたのだろう。「俺は一体、今まで何をしてきたのだ」という具合に。主イエスの十字架への歩みの後ろ姿を見て、自分もまた自らの十字架を負って歩む人間の、真の信仰を突き付けられたのである。
彼の弁明は、自分に生じた出来事のすべてが、神の経綸(計画)によるものであることを強調する。とりわけエルサレム神殿で、神からの直接的な「啓示」を受けたという主張は、ユダヤ人たちへの過激な挑戦であったとも言える。自分のこれまでの振る舞いは「神のお墨付きだ」というこの弁明によって、人々の怒りは増幅され、事態はさらに紛糾したことは、当然である。暴動はますますひどい状態になったので、ローマ神殿警備隊の千人隊長はパウロを捕らえ兵営に連行し、拷問によって事情聴取を行おうとする。するとこれまた厄介な事情が絡むのである。パウロは「ローマの市民権」を持つ者であり、過去に帝国への貢献により、パウロの家柄は「生まれながらの市民」であった。
「ローマ市民である」というこの厄介な当事者を、疎かな扱いはできない、とばかり神殿警備隊長は、パウロをユダヤの最高法院(サンヘドリン)に連れて行き、大祭司はじめ神殿当局者との審問を受けさせることになったが、ここでも一言居士のこの厄介者は、おなじみの「死者の復活」を滔々と論じ立てるものだから、議場にいたサドカイ派とファリサイ派の間で、大論争が生じてしまったのである。余りの論争の激しさから、この「生まれながらのローマ市民」に重大な危害が生じることを恐れて、隊長は彼を兵営に連れて行くことを命じ、彼は辛くも危機から逃れる。そしてこの事件は、神殿の過激派によってパウロの暗殺が画策され、それを密告により事前に察知した隊長は、もはや彼を自分の所に留め得ず、総督フェリクスのもとに送致することを決定する。これが後にパウロの運命をローマへと向かわせるきっかけとなるのである。
但し、エルサレムばかりでなくこれまで第三回目の宣教旅行中、どこに町にあっても、彼は宣教の言葉を巡って人々と厄介ごとを繰り返し、しばしば擾乱罪のかどで官憲に捕らえられている。その挙句に、エルサレム神殿での暴動である。もう少しパウロは、控えめな態度やふるまい、穏やかな弁論をすれば、こんな大事には至らなかっただろうとも思うが、人間的に見れば、彼の負の資質によってローマへの道が開かれるのである。彼はかねがね当時の世界の中心地、ローマに行くことを切望していたが、中々その機会に恵まれなかったのである。そしてこのエルサレムでの暴動によって、そこへの道が開かれるとは、神の計画の深さ、意外さであるだろう。その夜、主は彼に語られたという「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」
ある野球の試合で、9回大詰を迎え、あるチームが逆転のピンチに陥ったという。とりわけピッチャーは、明らかに大きく動揺していることがよそ眼にも感じられる。するとすかさず監督が選手の近くに行って、その耳元にささやいたという。さて何と言ったと思われるか。「たかが野球じゃないか」。この台詞を「たかが人生じゃないか」に置き換えて理解したらどうだろうか。一度限りの人生を、あまりに軽く考えていると、お叱りを受けそうだが、神がこう語られるのだとするとどうか。そもそも私に人生を与えたのは、自分自身ではないのである。それを与えた方は、その道を歩むに必要な力も、手段をも与えて下さるであろう。古の預言者は、こう語っている「わたしはあなたたちの老いる日まで
白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」。「たかが人生、されど人生」である。