祈祷会・聖書の学び 使徒言行録26章24~28節

“BC”、”AD”という記号がある。中学校の歴史の授業で、最初に習う基本的知識である。通常、「Before Christ(紀元前)」、「Anno Domini(紀元)」と訳される。ところが現在、この記号が現在、全世界を取り巻く現実を表すものとして、位置づけられているというのである。曰く、「コロナ前(Before Corona)」そして「疾病後(After Ðisease)」。コロナ禍の前には、人間は、ウイルスなぞそれ程気にも留めず、危機感も感じずに暮らして来た。インフルエンザという季節ものの風物?はあるものの、予防注射が感染を防止し、あるいは感染しても治療薬で生命にかかわることはない、と安心(油断)して生きて来たのである。ところが、コロナ・ウイルスの蔓延によって人々の生活は一変した。マスクを常時着用し、何度ものワクチン注射、集会や会食の自粛、面談、面会の忌避、葬儀すらも参列の不可、そしてリモートワークの普及等、それまでにない様々な状況が生じたのである。特に、この医療大国で、「医療の崩壊」が叫ばれたのである。いつかコロナ禍は収束し終息するのか、この後(AD)、どのような生活が待っているのか、まさに現在は、かつて命名された“BC”、”AD”のように、世界史的な分水嶺に立っているというのである。

キリスト紀元をあらわす“BC”また”AD”という史的シュミレーションは、ローマの司祭であったディオニシウス・エクシグウス(Dionysius Exiguus、470年頃~550年頃)により発案された。この司祭は6世紀の前半頃ローマで活躍し、神学,数学,天文学に優れ、使徒教令集およびニカイア,コンスタンチノープル,カルケドン公会議の教令集,シリキウス (384) からアナスタシウス2世 (498) にいたるローマ教皇の教令集を含む 401の教会法の集成に貢献,さらに多数のギリシア語文献を翻訳したといわれる。そして彼は年代記的方法を導入し、西暦紀元を算定したのである。しかし現在、この計算は4~7年の誤差があると考えられている。遥かな時の流れの中心に、キリストの生誕の出来事を置き、これを紀元元年と定め、前後に伸びる線状の歴史の流れを描き出したのである。これは非常に便利な発想で、いくら古代でも、あるいは未来でも、一様に時を定めることが可能となるのである。

今日の個所、使徒言行録26章は、パウロの未来の運命を決定づける出来事が語られる重要なテキストである。それと共に、この書物の著者、ルカの歴史観と共に、執筆の動機がパウロの口を借りて明確に語られている部分である。つまりナザレのイエスの誕生とその生涯が、当時の世界の中心、ローマ帝国の支配する世界、そしてその歴史の中でどう位置付けられるのか、が記されるのである。

エルサレム神殿での弁明によって起こった騒動から、ユダヤ人の暴動に巻き込まれたパウロは、暗殺の危機に直面し、ローマ市民である彼は、総督フェリクスの元に護送される。ところが事勿れ主義の総督は、招かれざる客パウロを厄介者として、自分の任期が満了するまで、監禁したままに留め置いた。総督は任地に赴く時、ローマ当局からひとつのことだけを心掛けるように厳命されていた。それは「治安維持」それだけである。フェリクスはそれに従ったまでである。彼の後任者フェストゥスは、新任の総督ということでユダヤ人たちの歓心を買おうとし、かの厄介者を神殿当局に引き渡し、決着をつけようとするのだが、パウロは頑固にも「皇帝への上訴」を求めるのである。仕方なく総督はローマへの護送の措置を取り、準備の整うまで数日間、自分の元に留め置くのである。そうこうするうち、フェストゥスの館に、総督就任の祝賀のために、領主ヘロデ・アグリッパ王が訪れるのである。

表敬訪問を受けたフェストゥスは、返礼代わりの話の種に、パウロのことを告げると、この領主は、いたく興味を示すのである。この人物について噂くらいは耳にしていたろうが、とかく上級民は暇を持て余しているもので、新奇なものを殊更、知りたがるのである。現代では、公的な場では容姿、身体的特徴、政治、それに加えて宗教的な話題は控えるべきとされているが、パウロの時代には、宗教思想は格好の知的刺激を与える話題であった。さてかの厄介者が、総督と領主の前に引き出されて来た。

総督官邸に連れて来られたパウロは、これまでの自分の人生の歩み、とりわけ回心に至る自分の身に起った出来事をつぶさに語るのだが、アグリッパ王もフェストゥスも彼の話に引き込まれつつも、非常に面食らい当惑するのである。24節「パウロがこう弁明していると、フェストゥスは大声で言った。『パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ』。」ナザレのイエスが、救い主、メシア・キリストであり、しかも十字架に付けられて死に、よみがえった神の子であるというパウロの弁証を、到底、受け入れることはできなかったのである。そしてフェストゥスの口に語らせてはいるか、当時のローマ世界に生きている者は、皆等しく、パウロの語る事柄に、簡単に首肯することはできなかったであろう。

まず「救い主、キリスト」とは、ローマの第一人者、皇帝への称号であった。彼こそ世界に「パックス・ロマーナ(ローマの平和と繁栄)」をもたらしたのである。だから偉大なる皇帝こそ、実に「キリスト、神の子」なのである。ところがこの変わり者パウロは、ユダヤの辺境の地、ガリラヤのナザレ出身の大工のせがれを、「キリスト、神の子」というのである。しかもこの男は、死んで甦ったのだというのである。通常の理解の許容量を超える発言に、フェストゥスの大声も分かる気がする。「お前は頭がおかしい」。

確かにこの総督の言葉は、当時の人々にとって常識的な反応であったろう。歴史家のルカは、パウロの口を借りて、このような言葉を語らせている。25節「このことは、どこかの片隅で起こったのではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと、確信しております」。確かに世界の片隅のユダヤ、さらに辺境の地のナザレだが、しかし、そこ出身のイエスの出来事は、世界の片隅に起った、些末な出来事ではない。ローマ世界、即ち全世界を巻き込む大事件なのであると。アグリッパ王もまた、それを既に耳にしているだろう。神のなされるみわざは、もう既に、全世界を震わせ、揺るがせている。

王は「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」と苦笑するが 、パウロは言う。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになって」いくだろう。この優れた歴史家の洞察力は、程なく、キリストの教えがどのように展開して行くか、その行方を確かに指示していると言えるだろう。歴史の片隅の出来事が、いつか中心に据えられるだろう、とルカは暗黙の裡に語る。この歴史の線上に、私たちも立っているのである。