説教『平和を祈り、待ち望む』(イザヤ2:1~5)

2014年8月3日            平和聖日礼拝・説教要約
説教『平和を祈り、待ち望む』(イザヤ2:1~5)

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◎8月最初の主の日を迎えました。連日、猛暑が続いていますが、体調には十分気を付けてください。今週の後半には子どもの教会の夏のキャンプが行われます。実りあるキャンプとなるようお祈りください。
さて、今日は平和聖日です。今週は広島・長崎の原爆の日を迎えますが、8月は戦争と平和について考えさせられます。今日、配布された「つのぶえ」にも戦争と平和についての教会員一人一人の深い思いが書かれています。今日は平和について一緒に考え、また、世界の平和のために祈って行きたいと思います。
◎今日、選んだ聖書の御言葉はイザヤ書2:1~5です。今から2750年前、紀元前8世紀、預言者イザヤに示された幻・神の言葉ですが、この御言葉から平和を考えていきましょう。中身に入る前にイザヤ書についてお話ししますと、イザヤ書は66章ありますが、時代も筆者も異なる3つの書からなっています。1~39章は、紀元前739年~699年、南ユダ王国で3代の王に仕えた第一イザヤ、40~55章は、紀元前587~538年のバビロン捕囚時に活躍した第二イザヤ、56~66章はバビロン捕囚後、紀元前515年以降に活躍した第三イザヤと呼んでいます。イザヤ書は福音書に引用されることが多く、第5福音書とも呼ぶ人もあるほどで、新約の信仰に大きな影響を与えた、救済を預言し待望する旧約を代表する預言書と言えます。
◎今日は、イザヤ書2章1~5節の御言葉を取り上げます。この御言葉は、イザヤの最晩年、イザヤが最後に仕えたヒゼキヤ王の亡くなる直前、紀元前701年頃、神に示された幻・預言と考えられています。イザヤの時代は激動の時代でした。特に北の大国アッシリアが南下してきたために、南ユダ王国の王は動揺しました。アハズ王の時には、アッシリアに対抗して北イスラエル王国とシリア王国が同盟し、その同盟に加わるように両国から強要された時、アハズ王はアッシリアと同盟を結ぼうとします。また、ヒゼキヤ王の時には、エジプトと同盟を結びアッシリアに対抗しようとしました。そのような時、イザヤは「落ち着いて、静かにせよ、神のみに信頼し、神のみに頼れ」という神の言葉を伝え、忠告を与えました。しかし、王達は耳を貸さず、危機に陥っていきました。そのような危機・絶望・孤独の中でイザヤは神の言葉を聞き、それを伝えていったのでした。そのような神に示された言葉・幻の一つが、このイザヤ2:1~5です。
◎2:1~2には「終わりの日に 主の神殿の山は 山々の頭として堅く立ち どの峰よりも高くそびえる」とあります。「終わりの日」とは「そう遠くない将来」、「主の神殿の山」とはエルサレムのことです。「そう遠くない将来、エルサレムは世界の中心として世界の人々の崇められる」と神は語ります。そして、そのエルサレムに世界中の人々が「神の言葉」「神の道」「真理」を求めに来ると言います。そしてさらに、神は「国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」と言います。つまり、神様は国々の争いを正しく裁き、人々を戒め、世界に平和と和解をもたらしてくださるというのです。そして、剣や槍と言った武器を鋤や鎌などの農具に変え、互いに戦う世界ではなく、共に生きるために共に働く世界に変えてくださると預言し、最後の2:5で「そのような平和な世界をめざし主の光の中を歩もう」と呼びかけるのです。イザヤは国家存亡の危機を前にしてそのような神の幻を語り、平和な世界を人々に示したのでした。
◎それでは、この2:1~5の神の幻・神の言葉はイスラエルの民にとって一体、どのような意味と意義を持っていたのでしょうか。それは、この神がイザヤに示された幻、神がイザヤに語り掛けられた御言葉がイスラエルの民にあるべき世界の姿を示し、そこに向かって歩んで行くべき目標と方向を与え、さらにそのような世界がやがて来ると言う希望を与えてくれているということです。神様は、この幻を通して、国同士が戦わず、武器を農具に変えて、共に働き、共に助け合い、共に分かち合う平和な世界を示し、そのような世界を目指して歩むべきことを教えているのです。この幻が預言者イザヤの心を突き動かし、そのような平和な世界を実現するために、イザヤは、孤独と困難の中、この幻・御言葉を語り続けたのでした。
弱肉強食の時代の中、人間的な策略・駆け引きではなく神の言葉によって生きるべきことを語り、人々の罪を厳しく追及する審判預言と共に、神の救いと平和の到来を預言する救済預言を語って行ったのでした。
やがて平和の主が来ること、平和な世界が到来することを預言し、希望と目標を与え続けたのでした。
◎聖書が一貫して約束するのが平和な世界ですが、聖書の教えから世界平和を訴え続けたのが内村鑑三です。日清戦争時に義戦論を唱えた内村は、日露戦争時には非戦論を唱えます。聖書と歴史を学ぶことにより絶対的平和を唱えたのです。主イエスは平和を実現されました。私達はその平和を祈り求めるのです。