詩人の石垣りん氏の作品に「表札」と題された詩がある。「自分の住むところには/自分で表札を出すにかぎる。自分の寝泊まりする場所に/他人がかけてくれる表札は/いつもろくなことはない。病院へ入院したら/病室の名札には石垣りん様と/様が付いた。旅館に泊まっても/部屋の外に名前は出ないが/やがて焼き場の鑵にはいると/とじた扉の上に/石垣りん殿と札が下がるだろう/そのとき私がこばめるか?」。
転居したならば、役所に新しい居場所の届け出、住民登録をする必要がある。それと共に新居の玄関あたりに「表札」を掲げるのが慣わしである。最近は防犯上の用心に、居住者の名前を公にしない人も多い。しかし「名前」はその人、個人の存在のしるしであるから、関係性の中で生きる人間にとって、「匿名」は、いろいろ都合の悪い事態を生じさせることもある。他方、人間は日常的に関わる人々に、自分にとってどのような人であるのかを受け止め判断して、ふさわしい在り方で接しようとする。親、兄弟姉妹、上司、先生、そして友人、あるいは行きずりの人、仕事や生活の場で事務的に関わる不特定多数の人々とふれあうのである。即ち、人間はふれあう人々を命名し、命名されて生きている訳である。今日、私は出会った人にどんな名を付けたのか、付けられたのか。「他人がかけてくれる表札は/いつもろくなことはない」と詩人は言いながらも、そのように生きざるを得ない人生を、「仕方がない」と受け入れているのかもしれない。
今日の聖書個所は、ヨハネによる福音書19章、十字架刑の場面を伝える記事である。16節「ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った」。「彼ら」とはユダヤ人を指しているが、その実務を担い、十字架刑を執行したのは、ローマの兵隊たちである。しかし矛盾するように、ここで敢えてヨハネが「(ユダヤ人)に引き渡した、が引き取った」と記すのは、ユダヤの祭司長たち一派の執拗な圧力によって、主イエスへの十字架刑が行われたことを暗に物語るためである。ローマへの忖度が働いているとも言えようが、当のユダヤ人が率先して主イエスを亡き者にしようとしたことを際立たせたいのである。ユダヤ人は古のイスラエルの末裔、神の選民として、神ヤーウェの特別の祝福の内にある民族であり、そう自任して来た人々である。その選ばれた民の子孫が、今、神の子を十字架に付けるのである。これを歴史における「黒い皮肉」として理解することもできるだろうが、それにもまして、人間の思惑を超えた神の計画の深みがあることを語ろうとするものだろう。神の子の受難が無くては、この世に救いがもたらされないのであるが、そこにも負の働きではあるのだが、神の選民としての役割なしには、成し遂げられないと主張しているのである。
但し、この逆説的な神の救いのみわざの働きは、もう一方のローマ帝国、そして皇帝の名代であるポンティオ・ピラトに上にも伸ばされていることが記されているのである。19節「ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、『ナザレのイエス、ユダヤ人の王』と書いてあった」。18章28節以下に、ピラトと主イエスとの問答が記されている。「そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。『わたしが王だとは、あなたが言っていることです』」。ピラトは直接、主イエスの口から自分をユダヤ人の王と考えているのかどうかを聞いている。そしてこのナザレ人がそんなことにまったく頓着していないことを知ったから、ユダヤ人たちにも「わたしはこの男に罪を見いだせない」と答えたのである。それならばこの「罪状書き」を記したわけは何か。
「イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた」。やはり何事によらず「大義名分」は必要であり、見せしめの処刑にしても、「罪状書き」は必須であろう。ピラトは「ナザレのイエス ユダヤ人の王」と名前と肩書を書いて掲げ、それもご丁寧に「ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語」三か国語で記したという。(ラテン語:Iesus Nazarenus Rex Iudaeorum/ヘブライ語:הַיְּהוּדִים מֶלֶךְ הַנָּצְרִי יֵשׁוּעַ/ギリシア語:Ἰησοῦς ὁ Ναζωραῖος ὁ βασιλεὺς τῶν Ἰουδαίων)
この国の道路標識、案内標識には、日本語と外国語が併記されている場合が多い。漢字、ローマ字、そして最近は中国語、韓国語が併記されている。ローマ字表記は、戦後間もなく表示されたが、それは進駐軍の車両運行への対応からである。そして1980年代になると、中国、韓国語が表記されるようになる。つまりインバウンドに対応するためである。当時のエルサレムは「神殿」のおかげで、ユダヤ人ばかりでなく地中海世界(当時の全世界)の人々が行き来するインバウンドの町でもあった。そこを訪れる各地からの人々すべてに分かるように、多言語で「罪状書き」が記されたのである。
さすがにユダヤの祭司長たちから「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と文句が出たが、ピラトはそのままにしたという。これは15節「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています」と脅迫した祭司長たちへの意趣返しのような仕打ちであろう。仮にも皇帝の名代に対して「皇帝の友にあらず」との揶揄が、余程腹立たしかったのである。「王であろうが祭司長だろうが、その気になればユダヤなどどうにでもできる」という暗黙のメッセージである。但しそうであっても、ピラトの心情としては、実際に顔と顔とを合わせて、ほんの短時間言葉を交わしたに過ぎないこのナザレ、辺境の地出身の田舎者を、「王」と呼ぶしかなかった、つまり、余程、強い衝撃を受けたということではないのか。
ピラトが腹立ちまぎれに、しかもご丁寧にも三か国語で書いたという「罪状書き」の人物、「ナザレ人イエス」の名は、この後の歴史で、地中海周辺の国々、ユダヤはもちろん、ギリシア、ローマ世界にまで拡がって行くのである。そしてやがて、揺るぎない世界の王たるローマ皇帝の名をも凌ぐほどになる、ことを暗示している。世界の王、ローマ皇帝の名代にも、神のみ手は伸ばされ、神の救いのみわざの一端を担うのである。
「様も/殿も/付いてはいけない、/自分の住む所には/自分の手で表札をかけるに限る。精神の在り場所も/ハタから表札をかけられてはならない/石垣りん/それでよい」。表札や肩書を有難がるのは、中身が空しいからである。主イエスは「わたしの名によって祈るなら、父はそれをかなえてくださる」と弟子たちに教えられた。必要なのは「表札」などではなく、ただ「主イエスの名」であり、私たちはそのみ名によって、癒され、変えられ、力を与えられ、歩むのである。