以前、ミッション・スクールに務めていた頃、入学試験に臨む受験生のひとりが、机上に神社のお守りを置いて、一心不乱に集中して試験に取り組んでいた姿を思い出す。キリスト教の学校の受験に、神社のお守り、ということで多少ちぐはぐな印象を抱きつつ、ひたすらさに応援したい気持ちにさせられた。ところが試験終了後、そのお守りが忘れられていたのである。
小さい子ども時代に、「(交通安全の)お守り」を与えられて、ランドセルに結び付けて登下校していた時期があったが、お守りの中に何が入っているのか不思議だった。「開けると罰があたる」と言われて開けることはしなかったが、友人が開封してその中身を見せてもらったことがある。薄い紙になにやら謎の文字が描かれていて、当惑したのを覚えている。現在のお守りの原型は、中国から仏教や道教等の宗教思想が伝えられると共に、お経や護符等、紙に文字や図形の書かれた文物に、何程かの霊験を認めて、次第に人々の間に「お守り」として持ち歩くことが広まったとされている。
やはり人間は誰しも、不安や心配に付きまとわれる所があり、それらに完全に飲み込まれないように心を違う方向に向けるよすが(縁)が必要であり、それが「お守り」の起源ということになろう。聖書の人々は「偶像崇拝」を厳しく禁じて信仰生活を営んだとされているので、「お守り」とは無縁であったかと言えば、そうでもない。彼らは「聖句の入った小箱」(テフィリン)を作って手と額に結び、さらに家の玄関や各居室にも聖句の入った小箱「メズーザー」を打ち付けたのである。テフィリン(額のテフィリンと腕のテフィリンの二つがセット)の中身が何かと言えば、聖句を印した紙葉で、申命記6章4~9節、11章13~21節、出エジプト記13章1~16節)が記されている。同じようにメズーザーの中身は申命記6章4~9節、11章13~21節が記された紙片である。ユダヤ人は家から出入りする度にこのメズーザーに手を触れて祈る。メズーザーには木製のもの、金属製のもの、装飾を施した高価な美しいものもあるそうだが、斜めに設置する伝統がある。それは縦にするか横にするかで激しい議論が起こり、折り合いがつかないで「斜め」になった、とか評されている。
今日の聖書の文言は、ユダヤ人が彼らの「お守り」の中に記す言葉の出典個所である。18節以下「あなたたちはこれらのわたしの言葉を心に留め、魂に刻み、これをしるしとして手に結び、覚えとして額に付け、子供たちにもそれを教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、語り聞かせ、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい」。「手と額」、「戸口の柱、門」に神の言葉を記した文字を張り付けて、という具合に「お守り」の規定が定められている。
つまりいわゆる「お守り」とはずいぶん意味合いを異にする。自分たちの不安や心配への対処ではなく、神からの命令だというのである。そしてそれはまず「これらのわたしの言葉を心に留め、魂に刻み、これをしるしとして」、ひと言で言えば「忘れないように、いつも覚えているように」するためだというのである。人間は「忘れる」というすばらしい能力がある。何でもかんでもすべて憶えているなら、生きるのに耐えきれないだろう。
こういう噺がある。「ある青年は、50個ほどの言葉を並べた表を3分間見ただけで記憶し、表に並んだ順番通りに答えてみせた。数年前の表も見事に思い出すことができる。それほどの記憶力があれば、約束を失念することも、ミスを繰り返すこともないのかもとうらやましくなる。だが彼は、もがき苦しんでいた。物事を忘れることができないのだ。覚えるのは苦もないのに、その逆ができない。忘れたいことを書き出してみたり、それを燃やしてみたりしても駄目だった。苦い記憶がいつまでも頭を離れなければ、眠れたものではないだろう」。
しかし「これは忘れてはならない」という事柄があることも事実であるし、そういう不忘の大事を忘れるのも人間なのである。だから忘れないようにいろいろ工夫をするのである。標語として壁に貼る、大きく看板に記す、毎日毎日、復唱する、いろいろ手立ては考えることができるだろう。聖書の人々も、手と額、つまりもっとも目に着きやすいところにみ言葉を置き、もっとも目立つ自分の空間、門に表札代わりに忘れてはならないもの、即ち「言葉」を刻んだのである。これなら忘れることはないだろう。ところが人間というものは、とかく余計な事を画策する。主イエスは言われる「そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする」(マタイ23章5節)。つまり何事も人に見せるためになってしまい、自分自身のためではなくなってしまうのである。神の言葉はまず、その人自身に向かうものであって、他人に向けるものではない。
19節「子供たちにもそれを教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、語り聞かせ」という文言は、教育に重きを置いたユダヤ人の価値観が良く表れていると評されるが、祖国を失い「散らされた民」ディアスポラとして生きることを余儀なくされた国民の思いが凝縮されているであろう。希望は子ども達にこそあるのである。そして子供たちに贈ることのできる一番の財産は、金銭や不動産ではなく、教育にこそある。そしてこの教育的な章句もまた、「忘れない」ための大きな力をもたらすのである。
ある国では試験になると先に回答できた生徒が、まだ答えることができない級友に教え始めると言う。「それで試験と言えるのか」、といぶかる向きもあろうが、教育の目的が「理解」と「習得」にあるならば、子ども同士が「教え、教えられる」という営みから生じる教育的成果は真に大きなものがあるだろう。「教える」ことで人は最もよく「理解」するのであり、仲間同士で情報の共有をすることで、「理解」はさらに深まるのである。教育は決して一方的な方向だけで成り立つものではない。
子どもを前にして教えると言うことは、まず本気でなくては伝わらない。み言葉の前に自らも襟を正す態度なしには、教えることはできない。さらに教える者は学ぶ者から厳しく問われるのである。親が子どもを正すのではない、子どもによって親の方が正され、新しい方向付けが与えられるのである。「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできない」。子どもによってこそ、私たちは「忘れてはならない」神の大切を、心に刻みつけられるのである。