「私は三十年前ひとりの男の子をもっておりました。たったひとりの息子であった彼が、ある日誰もいない路上で心臓発作を起こし死んでしまいました。その時の私の悲しみは本当に筆舌に尽くせぬ絶望的なものでした。私の人生の予定にはまったくなかった愛する息子の死、私は悲しみのあまり何も手につかぬ毎日を開け暮らし、やっと普通の生活ができるようになるのに二年かかりました。私はその時息子が着ていた服を今でも大切に箪笥に入れて持っています。それは自分の一部であるように思われるからです」(関谷綾子『人間の二つの面』。これはヒロシマの平和記念館を訪れ、そこに展示されていたぼろぼろの小さな「被爆の制服」を目の当たりにした時の関谷氏の感慨である。不条理の中に、突然、愛子を失った母の心はいかばかりか。
今日のエリシャ物語のひとくだりは、裕福な夫人と預言者との関わりを伝える生き生きした逸話である。ここで興味深いのは、ただ預言者が一方的に、誰かのために尽くした、という一方通行的援助ではなく、預言者もまた彼女によって支援され、活動を支えられる「双方向的支援」が記されていることである。当時の預言者と呼ばれた人々の生活が、どのように営まれていたかを知ることができる貴重な証言でもあろう。預言者のために「壁に囲まれた小さな部屋」が提供された、いわば「プライバシーの保てる隠れ場」である。現代人にとっても、等しく必要な場所であろうが、こういう視点が既に語られていることに、驚きを感じる。
彼女は裕福な生活をしているが、まったく悩みや問題とは無縁に生きているのではない。「どんなに幸せそうに見える家庭にも、ひとつやふたつどうしようもない悩みがあるものだ」とよく言われることだが、この立派な家庭にも、どうにもできない悩みがあった。それは跡継ぎの問題であるが、古代では妊活が非常に重くのしかかっていたことが分かる。自分に隠れ場を提供し、ひとときの安息を確保してくれたのも、やはりこの支援者の心に、平安が失われていたことの故だっただろう。エリシャは従者ゲハジからそれを告げられ、かつてのアブラハムに告げた御使いのように、跡継ぎの誕生を預言する。彼女は「欺かないでください」とサラと同じ反応を見せるが、この時、彼女は、イスラエルの遠い昔の物語を想起していたのであるまいか。「跡継ぎ」をめぐる物語は、古代では主要な文学主題であったと思われる。
アブラハムの物語でのイサク誕生次第よろしく、ここに登場する夫人は、「跡継ぎ」のことで内心深く心を痛めている。しかしその悩みをおくびにも出さずに日々を送っている。アブラハムの妻サラもまた子どもを持たないゆえに、家の跡継ぎのことで大いに悩み、それでいろいろ画策もするのだが、決してそれで上手く事が運ぶわけではなく、却ってサラ自身が傷つき、ついには家庭の不協和音をも生み出すことになる。とかく家庭や家族の問題は、親しいがゆえにこじれると始末に負えない。
預言者支援の賜物か、不思議な神の御手が伸ばされて、この夫人のもとに幸いにも一子が与えられる。ところが「吉凶はあざなえる縄のごとし」で、父親の仕事の手伝いをしている最中に、子どもは原因不明の病で、突然に身罷ってしまう。このくだりで父親の冷淡さを指摘する者もいるが、「死」を前に、もっとも身近な親とても、なす術がないということだろう。古代の幼児死亡率は現代と比べて驚くほど高かった。
ところが、死んだ子の母親がとった態度に疑問が生じて来る。21節「彼女は上って行って神の人の寝台にその子を横たえ、戸を閉めて出て来た」後に、彼女はエリシャのもとに向かうのだが、預言者に息子の死を告げられずに、「変わりはございません」と答えたが、山の上にいる神の人のもとに来て、その足にすがりついた、という。突然、愛子を失った母の心情を、この個所は現代文学の如く見事に描いている。その心を深く察した預言者は、ついに自ら死んだ子のもとに赴くのである。
34節「そしてエリシャは寝台に上がって、子供の上に伏し、自分の口を子供の口に、目を子供の目に、手を子供の手に重ねてかがみ込むと、子供の体は暖かくなった」。いささか不気味の思える預言者の振る舞いである。古代イスラエルで、このような反魂の呪術がなされていたのかどうか、現在ではまったく不明だが、著者はこの行為が極めて異様なものであると見なしているとの印象を受ける記述ではある。但し、現代の医療においても、延命のための営みは、「生命を守る」という美辞麗句では費やされない生々しい現実を含んでいるのも、事実である。形や方法は違うものの、エリシャの振る舞いと似たような取り組みを、医療関係者たちは日夜、現場で奮闘されているのではないか。
最初に引用した関谷氏の想い出をもう少し続けたい。不条理、非情な原爆で突然に取り去られた大切なわが子の唯一の縁とも言える「被爆の制服」を展示された、そのご家族、とくにお母さんの心を自分の心として、こう語るのである。「けれどもこのお母さんは、わが子を多くの見ず知らずの人々の前に展示しているのです。その勇気、よくここに出されたと、私はその悲しみが分かるほど、そのお母さんの強さを感じるのです」。そしてご自身の平和運動の根がどこから来るのかを、静かに語っておられる。
「死」はすべての終わりで、泣いても嘆いても、悲しみの現実はなくならず、失われた生命は帰っては来ない。これは厳粛な事実であろうが、それだから「死」を遠ざけて、忘れたふりをして、できるだけ関わらないように生きてゆくというのは、どうなのか。この旧約のきつい物語は、「死」と自分自身の「生」を、ひとつにつき合わせることによって、「死」が冷たいすべての終わりではなくて、そこからもさらに暖かな生命が紡ぎ出されることを、象徴的に物語っているのではないか。
主イエスは十字架で死んで、冷たい墓に葬られた。もう終わりだということで人々はみな家に帰って行ったという。その後,三日の後に、朝早くに、誰も知らない内に、主イエスはよみがえられたという。「自分の口を子供の口に、目を子供の目に、手を子供の手に重ねてかがみ込むと」、主イエスの十字架の死を、ほんとうに間近にふれて、心に刻んだならば、冷たい「子どもの体は暖かく」なるという神の出来事が起こるのである。そしてその「子ども」とは、実は私たち自身のことであろう、私たち自身も、もう取り戻しようない、死んだとしか言えない、ほぞをかみたくなるような出来事を積み重ねて生きてゆくだろう。もうどうにもならない、というあきらめの中に、神は介入される。それが「復活」という出来事である。「主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。わたしは決してあなたを離れません」という女の言葉のように、主イエスはこの私と、「自分の口を子供の口に、目を子供の目に、手を子供の手に重ねて」まさに「生命」として出会ってくださるのである。