祈祷会・聖書の学び ナホム書3章1~3、10~19節

こういう新聞コラムを読んだ。「海外取材が長い新聞記者に言わせると、その街にどれほど活気があるかは『交差点を渡る犬のスピードでわかる』とか。車が盛んに行き交う忙しげな街角では、うかうかしているとはねられてしまう。犬も左右に目を配り、素早く渡るらしい」(8月30日付「有明抄」)。かつてこの国に「交通戦争」と評される社会現象が語られたことがある。警視庁の広報によれば、「昭和30年代以降の高度経済成長期に伴う自動車の急激な普及(モータリゼーション)により、道路整備や安全対策が追いつかず、交通事故の死者数が戦争の戦死者を上回るほどのペースで激増した、社会状況を指す言葉である。即ち、交通事故の年間死亡者数が、日清戦争での日本側戦死者数(約2年間で1万7,282人)を超える勢いで急増したため、まるで『戦争状態』であるとして使われだした」のだという。「戦争の放棄」を明記しているこの国だが、かたちを変えて「戦争」に比するほどに、人命の犠牲が生じていることを改めて深刻に思わざるを得ない。

今日の聖書個所に「流血の町」といういささかショッキングな文言が見える。1節「災いだ、流血の町は。町のすべては偽りに覆われ、略奪に満ち/人を餌食にすることをやめない」。具体的に、この「町」とはアッシリアの首都であった「ニネヴェ」を指している。「ティグリス川上流にあったアッシリア帝国の都、ここにかつて王立図書館が建設された。その遺跡から大量の楔形文字を記した粘土板が見つかっている。ニネヴェはセンナケリブ王(前704~前681)の時代に、大帝国の首都にふさわしい洗練された都市となった。城壁は長さが南北に12kmもあり、15の城門や階段状の矢狭間つき胸壁も備えられた。南北で二分され、北部に行政、市街地区、南部には軍の野営施設があった。市街地区では広場や道路が整備された。ティグリス川に通じる運河もめぐらされ、庭園や果樹園には山地から水道で水が運ばれた」(「世界史の窓」)という。近代都市の先駆けの様なインフラの大構築物に「女王の都」と称されるにふさわしい景観を持っていたことが想像される。

ところがその美しい町について、預言者はこう語るのである。2節「鞭の音、車輪の響く音/突進する馬、跳び駆ける戦車。騎兵は突撃し/剣はきらめき、槍はひらめく」。アッシリア帝国は、前9世紀に鉄製武器・戦車などにより有力となり、前663年までに、メソポタミア・エジプトにまたがるオリエント全域を最初に統一した世界帝国であり、ニネヴェを中心に楔形文字などの高度な文明を築いた。周辺諸国を隈なく征伐し、略奪し帝国の版図を拡大して行ったが、征服した国々に対して見せしめにおこなわれた、「串刺し」「目をくりぬく」「皮膚をはぐ」などの残虐な仕打ちが、かの国の粘土板の浮彫によって今に伝えられている。聖書の国もまた、前922年に分裂した北王国が、シリア・エフライム戦争の帰結として滅亡させられた。他方、南王国ユダは、何とか征服だけは免れたが、アッシリアに重い朝貢を義務づけられ、属国となったのである。サルゴン2世はイスラエル王国の住民をアッシリアに連行し、そのかわりに支配地の諸民族をサマリアに移住させるなどの措置を取った。

今日の個所の8節以下に、アッシリアによるエジプトやエチオピアへの侵略、そして帝国が行った「捕囚」政策について記されている。「彼女もまた捕らえられ/捕囚として連れ去られた。乳飲み子すら、すべての街角で投げ捨てられ/貴族たちはくじで分けられ/大いなる者も皆、鎖につながれた」。帝国は軍事遠征によって征服した土地の人々に対して、大規模な強制移住政策を実行した。それによって多様な言語、文化をもつ民族を支配する大帝国をつくりあげた。前8世紀後半に、記録にあるだけで157件、関係した人数は121万92人にもなるという。これらの捕囚の民はアッシリア本土の主要都市に連行され、労働に従事、また防衛のために周辺地域に移され、兵力増強に役立てられた。これ程、夥しい人々の移住、植民が徹底されれば、従来の地域共同体は崩壊させられ、それは反乱の芽を摘むことにも寄与したであろう。

しかしその強大な支配は、軍事力による過酷さによって諸民族の反発を招き、さらに武力による抑圧を強めた結果、次第に国力を消耗した。そしてさしもの大帝国も、その後、半世紀余りの後、あっけなく滅亡して行くのである。「倒れる者はおびただしく/しかばねは山をなし、死体は数えきれない。人々は味方の死体につまずく」。これは紀元前612年、アッシリア帝国が、新バビロニア帝国の侵攻によって、ニネヴェが陥落した時の消息を伝えていると考えられる。強大で過酷な政策を展開し、軍事力の増強に邁進し、自らの版図を拡大し続けたアッシリアも、決して「永遠」ではなかったのである。

今日の個所の掉尾に記されている言葉は、非常に辛辣である。「お前の傷を和らげるものはなく/打たれた傷は重い。お前のうわさを聞く者は皆/お前に向かって手をたたく。お前の悪にだれもが/常に悩まされてきたからだ」。「お前の傷を和らげるものはない」、これは神の救いからの全くの断絶を語る表現である。人は時に力尽き倒れ、病に伏し呻く、古今東西、どんな人も例外なしに訪れる人生の苦境である。しかしそこに手を伸ばし、手当てをしてくれる者がある時、その痛みは癒され、回復の途が見えてくるのである。第二イザヤの「苦難の僕」のうたは、それを私たちに希望として告げている。しかし「アッシリアの王よ/お前の牧者たちはまどろみ/貴族たちは眠りこける。お前の兵士たちは山々の上に散らされ/集める者はいない」。病を癒す者がない中で、惰眠が貪られ、生命が風に吹き散らされる、これは他人事でなく、現代の私たちの有様を物語ってはいないだろうか。

「ひところに比べ交通死亡事故は減ったとはいえ、身近な路上で高齢者や子どもが巻き込まれる悲劇は後を絶たない。何かに追われるように先を急ぎ、移動が早いぶん背負う仕事も増えてくたびれていく。便利さと引き換えに失ったものも少なくない」。戦争の放棄を掲げるこの国にも、「交通戦争」という別の「戦争」と日夜対峙しているのである。鉄製の戦車で迅速を誇ったアッシリアは「何かに追われるように先を急ぎ、移動が早いぶん背負う仕事も増えてくたびれていく」ような有様ではなかったか。そして世界もまた同じ歩みを印しているのではないか。さらにこの国もまたそのような歩みに、歩調を合わせていないのか、ナホム書の辛辣なみ言葉にふれる時に、ふと、寒々した思いにとらわれる。現代、どのような戦争といえども、無関係で無関心でいることはできない時代に置かれているのである。しかし主イエスは、自ら人となり私たちの間にお出でくださった。神と無関係であるような私たちの間に、来られたのである。