「村全体が燃えている時に、少数の人々が自分の家だけを守ろうと、全ての消火器を買いだめしても意味がない。全員が消火器を持って一斉に使えば火は早く消せる」、これはつい最近WHOの事務局長テドロス氏が語った譬話である。先進国が競って人口分以上のワクチンを確保しようと汲々としている有様を警告する言葉である。ここから「ワクチン・ナショナリズム」という造語も生まれている。このように今もなお、隔ての壁を作って、自分だけを守ろうとする志向は、時代を超えて全く変わっていない。
主イエスの時代に、イスラエル・ユダヤと異邦世界を隔てていた壁は、さながら、目には見えないが強固な壁であった。主イエスもまた口にした「イスラエルの失われた羊」とのつぶやきは、その壁の隠喩である。しかし現代のパレスチナには、その壁が、見える現実の壁として、刑務所の塀のように延々と張り巡らされている。
パレスチナ自治区、ヨルダン川西岸地区とイスラエルの間には、700キロにも及ぶ、「分離」の壁が敷設されている。もちろんそれは、イスラエル側が勝手に敷設したものである。「分離壁」とは、「第二次インティファーダ(2000年に勃発した強大な軍事力を持つイスラエルに対する、パレスチナ人の民衆蜂起、足下の石を投げて抵抗した)中に頻発したパレスチナ人の自爆テロを防ぐため」という名目で、イスラエル側と西岸の間に建設された壁とフェンスである。これによって、パレスチナ人農民の住居地区と農地が分断され、「分離壁」沿いの農民たちの農業を破壊する結果をもたらしている。その一つが、「分離壁」によって住居地区と農地を分断された村人たちが、フェンスの向こう側にある自分たちの畑へ行くための通行許可書が必要なのである。
さて、今日はマタイによる福音書14章22節以下の記事「湖の上を歩く」と題されている個所に目を向ける。22節に「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ」とある。マタイはマルコの文章を引き写し(コピペ)、ほぼそのまま記述しているのだが、行き先の「向こう岸」が一体どこなのか、マタイは、地名を消している。マルコはちゃんと「ベトサイダ」と記しているが、なぜ敢えてこの地名を省略したのか。
主イエスと弟子たちは、度々舟に乗って、いろいろな地域を訪れ、行き来している。弟子たちの多くは、漁師だったというから、舟の扱いには慣れていたろうし、ガリラヤ湖の土地勘にも長けていて、自分の家の庭のようなものだったろう。ところが、ガリラヤ湖は南北20キロ、東西10キロ程度の大きさの湖である。「魚を獲る」という意図的な目的があるなら別だが、交通のために舟を使うということに、どれ程のメリットがあるだろうか。確かに順風ならば船足は、徒歩よりも早いだろう、しかし夜の航行、ましてや、暴風の際には、却って時間がかかり、危険すら伴う。この時は、夕方に湖に乗り出しているから、真夜中まで大風と大波に悪戦苦闘していたというから、優に6時間くらいは経過している。普通の漁師の判断だったら、近くの船着き場に舟をもやい、明け方まで待つか、風の収まる潮時を見るか、あるいはどうしても早くいかねばならないなら、歩いたことだろう。そこまで「舟」にこだわるのはどういう訳か。
世界の伝説や神話には、「舟」が登場する物語が非常に多く見出だされる。舟は単に人やモノを運ぶ「輸送手段」のひとつではない。「うみ」という道のない水の上を、港から港へと橋渡しをする「媒介」「仲介者」としての神秘的な働きが、強く意識されたのである。即ち、この世の地理的な場所と場所を繋ぐだけではなく、この世とあの世を取り結ぶ「霊的な乗り物」として、イメージされたのである。帆に風を受けて進む、見えない力に押し出されて先に進むという有様も、霊的なイメージを増幅させるものであった。この国にも古来からの習俗として「精霊船」の信仰が、今も残っている。故人の霊がそれに乗って、この世とあの世を行き来するというのである。聖書にも「ノアの箱舟」の物語が良く知られているが、箱舟は、舵も推進器もないが、古い世界から新しい世界へと旅をする器として、
描かれるのである。
初代教会において、自分たちは何者か、どこに向かって行こうとしているのか、問うたキリスト者たちは、教会を「霊的な船」「聖霊の導く舟」として理解しようとしたのも、当然至極であろう。今日のマタイの記述では、舟の行き先「向こう岸」がどこなのか、具体的な地名が記されていないのも、教会の目指すところ、行くべき場所がどこかを、神学的に捉えようとしているからである。
マタイの語ろうとする「向こう岸」とはどこか。それはまだ見ていない所、未知の場所という意味があろう。具体的には異邦の世界である。慣れ親しんだ故郷から、異質の世界へ、そこに行くためには「逆風のために波に悩まされる」(24節)道のりとなるだろう。ここで「イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ」と語られる。その道のりは、主が強いられるものだという。この言葉は厳しく響く。教会は安住して、慣れ親しんで、何も煩わされななくてもいい所から、「向こう岸」へと、主によって否が応でも押し出されるのである。だから「大風に苦労し、漕ぎ悩む」のである。
しかし、主に強いられて船出するのだが、「祈るために山に登られた」主の見守りがあるし、夜明け頃、漕ぎ悩む弟子たちの舟に、海の上を歩いて、お出でくださる主ご自身がおられるのである。ここで、主イエスとペトロの掛け合いが興味深い。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」。「命令」とは「はっきりと呼びかける」という意味合いである。主イエスの言葉を、はっきりと聞くことが出来るなら、「水の上」、つまりあやふやで不確かで、人間の力ではどうにもならない所でも渡ってゆくことができる、というのである。その通りに主は、呼びかけられる「来なさい」。
フリージャーナリストの土井敏邦氏のWebコラム(2017年夏・パレスチナから(3)
特権者・イスラエル人としての“苦み”と“痛み)には、このように伝えられている。ファルン村の「分離壁」の前に着いたのは、午前7時半ごろだった。すでに村人たちとそれを支援するイスラエル人の支援者たちが集まっていた。午前8時ごろ、イスラエル兵がゲートを開けるためにやってきた。通行許可書を持つ農民たちが農地へ行くために「分離壁」を通れるのは午前8時ごろ、正午ごろ、そして午後4時半ごろの日に3回だけだ。その都度、兵士が軍用ジープでゲートの鍵を開けに来る。しかしこの日は、許可書を持った村人たちもゲートを通ろうとはせず、やってきたイスラエル兵の隊長に、通行許可書が更新されない現状、家族に許可書が出ない現状などを訴えた。兵士はアラビア語を解し、村人たちの訴えをじっと聞き、時々反論した。しかし兵士レベルでどうにかなる問題ではない。イスラエル政府が方針を変えない限り、現状は変わらないのだ。だが村人たちには直接、政府に訴える機会などない。とにかく自分たちの苦境を兵士に語り、通行を拒絶するという「デモ」で訴えるしかないのだ。
(支援者のひとり、イスラエル人ジャーナリストの)アミラは訴える村人たちと兵士たちの会話に耳を澄まし、ノートにヘブライ語のメモを走り書きしている。アラビア語を解するアミラには通訳もいらない。兵士たちが立ち去ると、彼女は村人たちに流暢なアラビア語でインタビューして回る。憤懣をぶつける対象を失った村人たちは、イスラエル人記者アミラに思いをぶつける。アミラはそれを走り書きでメモっていく。
2時間近く運転して現場に駆け付け、猛暑の中で精力的に現場の様子と村人たちを取材するアミラを見つめながら、「足で稼いで記事を書く」とはこういうことなのだと私は改めて思い知った。「何があなたをそこまで突き動かすのか」。帰りの車中で、私はアミラに問うた。「“怒り”よ。それに“苦さ(bitterness)”と“痛み(pain)”」。「それは加害者であるイスラエル人だから? ユダヤ人だから?」。「というより、自分が“特権を持った人間(being privileged)”だから。だってあの人たちは壁の向こう側には行けないのよ。西岸という大きな“牢獄”の中に閉じ込められているのよ。その一方、私はイスラエル人だから自由に壁を越えて向こう側に行ける。それが私にとって“苦さ”であり“痛み”なの」。
壁の前に立って、向こう側に住む人々に心を向ける人々がいる。自分の心にあるのは、「苦さ」であり「痛み」だ、とひとりのイスラエル人が語っている。そしてこれは、主イエスが弟子たちに「向こう岸に渡ろう」と言った言葉の背後にある、主イエスご自身のこころそのものではないか。向こう側を思わない人は、実に自分自身を牢獄に閉じ込めているようなものである。その壁の向こう側に、主イエスは押し出されるのである。