“Melting Pot”「るつぼ」、金属を高温に熱してドロドロに溶かす壺のことであるが、アメリカという国、特にニューヨークのような大都会は、しばしば、さまざまなルーツと背景を持つ人々が入り混じることから、この「るつぼ」に喩えられた。「人種のるつぼ」という具合に、異なる者たちが、皆一緒くたにされて、ひとつに溶け合うようだ、という喩えである。ところが今は、この喩えは適切ではないとして、「サラダボール」という言葉が用いられる。1960年代半ばから民族への回帰意識が高まり、「文化的多元論」が強調されるようになる。さらに公民権運動などのさまざまな社会運動が展開されるようになると、まぜこぜという「るつぼ」理論に対して、多人種・多民族がそれぞれの個性と多様性を失わずに全体の中で共存している状態、「サラダボウル」という喩えが用いられるようになったという次第である。さらにカナダなどでは、ともかくも異なるものが一つの鉢に寄せ集められて、混ぜ合わせられていることも、それは事実ではないとされ、「パッチワーク」という喩えも語られている。別々の色や模様の小片が、綴り合せられている。そこに均一性や共通性は乏しくても、全体を見れば美しい、という感覚だろうか。
事情があって、兄の飼っていた猫を我が家に引き取ることになった。小さい頃、家で飼っていた記憶はあるが、何分、遠い昔のことなので、この生き物にどう対応していいか、いま一つよく分からない。突然、勝手の違う住処と住人に戸惑っているのだろうか、手を出すと噛みついて来る、どうしたものか。そんな中、こういう文章が目に付いた。「人類は種の中で唯一、自分の種を受け入れない。 猫は猫でいることに何の困難も感じない。単純なのだ。 猫は、犬になろうなどというコンプレックスも矛盾も葛藤も意思ももち合わせていない」(『猫はためらわずにノンと言う』ステファン・ガルニエ著、吉田 裕美訳)。ある方からのアドバイスは、「猫は放って置けばいいんです、勝手にしますから」、成程と思う。猫はそれでいいのだろうが、それでは人間はどうなのか。
皆さんは自分が「よそ者だ」という思いを持ったことはあるか。こういう文章がある。「石垣島で生まれ育った私からすれば、発(た)つ場所も帰る場所もここでしかない。しかし、両親が移住者という理由から、10代の私は常に『自分はよそ者だ』という感覚で生きてきた。それは周りの『移住されたご家族の娘さんね』という反応から感じ取ったのもあるが、いつも周りの人たちに、この場所に『住まわせてもらっている』という言葉遣いをする母の言葉が何より強くそれを感じさせた。自分たちの意思で、もう何十年も住んでいるのに、なぜそのような表現をするのか、なぜ常に『お邪魔します』の姿勢なのか不思議でならなかった」(岩倉千花)。
教会というところは、全国津々浦々からの人々、様々な経歴の持ち主の集まる場所である。まさに「エクレシア」、神が呼んでくださった人々の集い、である。これは現在のこの国の教会だけの有様ではない。最初の教会もまた、まさにエクレシアとして歩み出しているのである。あのペンテコステの出来事の際に、その場に居合わせたのは、世界のさまざまな土地に暮らすユダヤ人たちであり、彼らははるばる外国の居住地から、エルサレム神殿に上り、参詣に来ていたのである。彼らは散らされたユダヤ人、「ディアスポアラ(離散の民)」であり、それぞれの場所で「よそ者」として暮らしていた人々なのである。
そもそもユダヤ人の源流、聖書の民、ヘブライ人は、自らを「よそ者(ゲール)、寄留者」として強く自らを意識していた。「あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである。わたしはあなたたちの神、主である」(レビ記 19:34)。この言葉から知れることは、イスラエルの人々の意識は、パレスチナに定着するようになってからも、しばらく「この場所に『住まわせてもらっている』、常に『お邪魔します』の姿勢」であったことが、知れるのである。あなたがたは「寄留者」であった、だからその人たちの心は、心細さは、よく分かっているだろう。ここに聖書の民の一番の「共感」の根、隣人愛の根本があったと言える。「寄留者であるわたしに手を拡げ、手を伸ばして受け入れ、共に歩んでくださった神がおられる、だから自分たちも」。
ところがパレスチナに定着してから後、時が経過し、その地に生き、そこで暮らすことが当たり前になると、次第にその「よそ者」意識が希薄になって、排他的の姿勢になって来たのである。物をたくさん持つようになれば、いま手にしているものを失うことを怖れるようになる。1節「さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、『あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした』と言った」。ユダヤ人も異邦人も、共に「神の言葉を受け入れる」ようになった。「受け入れる」とは、皆同じになるということではない、人皆違い、それぞれではあるが、主イエスのみ言葉に共感、共鳴する、ということである。これを「サラダボール」と呼ぶか、「パッチワーク」というかはともかくとしても。
こういう批判がペトロに下され、詰られたのだという。「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」。本来、一緒に仲良く飯を食ったところで、どうのこうのあるはずはないのだが、「汚れる」という宗教的観念からの批判が浴びせられたというのである。「観念」なので、実害があるわけでも、何らかの障害や不都合が起こるわけではないが、敢えて言えば「自分の」心持が悪いというだけの話である。ところが、こういうところに拘るのが、人間の性であり、こだわるだけならまだしも、実体のない、見えない思いが集積されると、批判や攻撃、差別を始めるのである。子どもの元気にはしゃぐ声も、「騒音」にしか聞こえない、という人もあるのである。人の話し声が余り大きくに耳障りなら、「もう少し小さな声で」とお願いすることはありだろうが、警察や関係官庁に通報して、「取り締まれ」というのはいかがなものか。
宣教の推進という喜ぶべき出来事とは裏腹に、このような問題、ある人たちにとってはどうでもいいが、ある人たちにとっては、喫緊の課題とされるような問題を、初代教会は抱えていた訳であり、今も教会では、このような事柄で議論が起こっている。この問題を巡って、ペトロが語った彼自身の体験が、ある意味「痛快」である。神のなされることは、このようなとんでもなさをはらむのである。そしてそれこそが人間の狭さを切り裂くみわざなのであろう。やはり人間は小さく小さくまとめよう、悪く言えば歪めようとし、神は創造の始めになされたように、カオスを切り裂かれるのである。
神はこのような出来事を示されたという「(ペトロは)我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きました」。現在の食材の宅配便のようである。但し、それらは生きが良すぎて自分で屠り、捌かねばならないのは厄介であるが。ど肝を抜かれた使徒は「わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません。』すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました」。人間は神の救いについてどうでもいいことを、「絶対」なものとみなすのである。どだい、神の救いは、ただ神のみ旨のみによって実現するのである。主の十字架が救いの道となり、三日目にそこから復活の生命がほとばしることなど、誰も知ることはなかったのである。
ここに実にペトロらしい心情が語られているのは興味深い。「そのとき、カイサリア(異邦の町、皇帝を記念する町)からわたしのところに差し向けられた三人の人が、わたしたちのいた家に到着しました。すると、“霊”がわたしに、『ためらわないで一緒に行きなさい』と言われました」。ペトロは神の食材宅配便の時もそうだったが、この時も、「ためらう」人なのである。自信、がないし、潔くよくないし、決断もできないのである。だからだめかと言えば、そうではない。だから聖霊がはたらくのである。『ためらわないで一緒に行きなさい』。聖霊は共に歩むことをためらう人間に、「ためらわないで」と恵みへと押し出すのである。「ためらうとき」それでもそちらに歩み出さなければならないとしたら、それは恵みへの押し出しである。
前述の岩倉氏の文章はこう続く、「高校卒業後、島を離れ進学・就職を経て26歳で帰郷を決意した。両親はなおもその姿勢は変わっておらず、何だか寂しく感じる時もあった。そんな中、地域のおばあが私に言ってくれた言葉が何十年も胸の中にあった、家族と自分と地域との絡み合いをすっとひもといてくれた。『あんたのお父さんもお母さんも、とっても地域を大切にしてくれていて、もうこの地域の血が流れているからね。あんたはこの地域の人間よ』」。
「神の国」は、人間の決まりや制度、出自や出身、ましてや能力やら適性によって、入ることが許される所ではない。ただただ「神の招き」によるのである。十字架で主イエスの血が流されて、私たちは神の国に住む者とされて、何はともあれ、そこに招かれている。だから「ためらわないで」と聖霊は語る。「忖度」は神の恵みを、空しくするだろう。