創立記念日おめでとうございます。
教会がこの地に立てられてから43周年を迎えた。創立以来ずっと今日に至るまで、鶴川北教会で信仰生活を過ごされている方も、ここにおられるだろう。「よその子とゴーヤは育つのが早い」というが、時の流れは速いものだとの感慨を禁じ得ない。
昨年からずっと、主日礼拝では、『信徒の友』誌の巻末に連載されている「日ごとの糧」の聖書個所に準拠して、説教をしているが、今日の個所は、まさに創立記念日礼拝にふさわしい箇所なので、偶々とは言え、不思議な思いに打たれている。43節以下には、最初の教会の風景が切り取られている。生まれたばかりの教会、まだ赤ちゃんの教会の姿が、暖かな目をもって記述されている。学者の中には、赤子のような教会に対する、ルカの親ばかぶりが、よく表れていると評される。つまりルカは最初の教会をきわめて理想化しているというのである。44節以下引用。「目の中に入れても痛くない」というが、ちょうどまだ自分の足で立つことも歩くこともできない子どもの教会を見つめて、自然に顔がほころぶというところだろうか。
この国では、子どもに対して大人が幼児語で語りかける、という習慣がある。こういう新聞コラム(6月19日付日経)を目にした。「はい、あーんして」「ごっくんしようねー」。病院でいたたまれなくなる光景のひとつは、医師や看護師が高齢者に、赤ちゃん言葉で接している場面である。つい先日も、認知症が進んでいるらしい女性に幼児語を連発するスタッフがいた。見ていて、とてもつらい。
悪意はないのだろう。むしろみんな、熱心に仕事をしているはずである。かつて東北地方などでは恍惚(こうこつ)の境地に入った人を「二度童子(わらし)」と呼んだという。人間は年老いて、また子どもに還(かえ)りゆくものなのかもしれない。しかし……。長い人生をひた走り、辛酸をなめ、それぞれに足跡を残してきた人々の尊厳はどこにある。
主イエスはご自身のことを、「道」に譬えられた。「わたしは道であり、真理であり、命である」。信仰は、どかっと座り込み、あれこれ考え込み、立ち上がれなくなっているのではない。いつも主イエスと歩み続け、その路の途上で神の真実に出会い、そして命が育まれていく。教会にとってもふさわしいもののたとえである。この教会もそのようにしてひたすら主イエスの道を歩んできたのである。
この教会の季報の第一号、1977年6月5日に発行された「鶴川北伝道所季報第一号」、(すべて手書きで記されている)、牧野信次牧師が「発刊のことば」を記している。少しお読みしたい。「私たちは、過ぐる年に鶴川北伝道所を開設した。たゞ一度の旅立ちを既に始めました。それはもう二度とうしろへ逆戻りすることのできない出来事であります。それはまた繰り返す必要のない一線を既に踏まえて立ったという出来事であります。たとえそこにいかなる瑕疵や不充分があったとしても、もはややり直しも繰り返しも必要のない、いや決してできない『ひとたび』のことでありました。信仰者がキリストの体なる教会に結びつくことを決断するという、こののっぴきならない神の前での誓いというものは、実に一回限りのことであります。後はその誓われた事実の、結ばれていることの確かさを、「終りの日」まで追求し、反復に反復を重ねて確認してゆくだけであります」。
「いかなる瑕疵や不充分があったとしても(教会は途上、まさにそういう所だ。そこから神の愛が染み込むのであろう)、もはややり直しも繰り返しも決してできない(否が応でも押し出されるような)、のっぴきならない神の前での誓い」によって、鶴川北教会は歩み出したと、牧師はその心の内奥を披歴しているのである。その時のこころを一言で言えば「おそれ」という言葉で言い表せようか。漢字で書けば「恐ろしい」また「畏まる」どちらをも意味する「おそれ」である。
ルカの描く最初の教会に集った人々の心にあった事柄は「おそれ」であったという。新共同訳は「恐れ」と記しているが、「畏れ」をも意味する言葉である。実に「おそれ」によって教会は歩み始めたというのである。人間皆、こわいものがある。皆さんは何がこわいか。「まんじゅうこわい」という人もいる。小さな虫や生き物がこわい、野獣がこわい、先生がこわい、奥様がこわい、大都会がこわい、一人ぼっちがこわい、等々人間誰しもこわいものがある。その中で一番恐ろしいのは、何であろう。「こわいものがない」というこわさである。こわいものがない、とは「失うもの」がない、「守るべきもの」がない、「大切なもの」がない、「愛」がない、そして何より「自分」がない、というこわさであり、おそれを受け止める「こころ」を持たないことである。だから「こわいものがない」というのは、何と「こわいこと」であろうか。こわさを感じる、おそれを抱くというのは、最も人間らしい反応であろうと思う。
最初の教会の「おそれ」はどこから生まれたのだろうか。人々はペトロの説教を聞いた。「あなたがたが、キリストを十字架に付けた。私たちが神の子を釘付けにした」、そして「実に神は、そのひとり子イエスを、よみがえらせた。イエスは神によって復活させられた」。この言葉に聞く耳を持っていた人々は、その言葉に「心打たれ」、正確に訳せは「心を引き裂かれ」こう語ったと言うのである。37節「わたしたちはどうしたらよいのですか」、「どうしたらよいのか」。この言葉の裏側には、「今の自分ではいけない、このままではだめだ」、という深い悔恨の情が込められている。ここに人間の真実があるように思う。
中学生くらいの年代の所謂「ことな(おとなこども)」世代の振る舞いは、しばしば周囲の大人から眉を顰められる。言葉遣いが悪い、挨拶ができない、感謝をしない、自分に甘く、他人には厳しい、と批判されるのである。しかし彼らは、決して今の自分で良いとは思っていない。開き直って自分は自分、と割り切っているのではない。彼らの心には、皆、「今の自分ではいけない、このままではだめだ」という嘆きや呻きが詰まっている。そう思うんなら、変われ、自分が変われば世界が変わるんだ、と大人は励ますが、心底そう思うけれども、実際に変われないからつらいのである。皆さんはどうであったか。「今の自分ではいけない、このままではだめだ」、かつてそのような思いに捕らわれたことはなかったか。そして今、そのような問いは、自分には無縁か、あるいは忘れてしまったか。そして最初の教会の歩みは、実にここから始まったのである。
先に紹介した季報の創刊号に、ひとりの教会員が記している。「昭和三六年のクリスマスに受洗して以来、今日まで、生活を振り返ると、自分の立場が右にゆれ、左にゆれ、試みに遭遇しては神に背き、何も誇るものを持たないなあ、と嘆息が胸の奥からでてくるのをおぼえます。しかし教会を見捨てても、何度も私から見捨てても、神は教会を通して信徒を通して手をのべ、見捨てないで席を空けて下さって、今も待っていて下さることには、言い難い喜びを感じています。(中略)私と教会の関係は、教会が私に奉仕して下さり、忍耐して辛抱強く決して怒らず、見捨てず、育成してくださった。伝道所の独立は、私の信仰の独立にも手を貸してくださっているのであります」と語る。
主イエスの十字架の痛みと恵みの深みを味わい、「どうしたら良いのか」と問い、そこから歩み始めた教会、そしてそこに集められたひとり一人の思いを、今日、思い返したい。