「キリストの真実にかけて」 コリントの信徒への手紙二11章7~15節

こういう諺がある「いつまでもあると思うな、親と金」。40年前に亡くなった私の祖母の部屋の、押し入れダンスの引き出しに書かれていた文言である。それに続けて「あるに任せて足るを知れ」。他人の目につかない押し入れの中に記されていたということは、自分に対する自戒のため、ということだろう。なぜこの文言を殊更に記したのか、よく分からない。この諺には先がある「ないと思うな、運と災害」。あって当たり前、なくて当然、という人間の思い込み、勝手な狭量な見方こそが、一番の問題なのだ。あるシルバー川柳に「無信仰、今ではすべて神頼み」とあった。

大正時代末期、民俗学者の柳田国男は、岩手県の漁村を6年ぶりに再訪した。前に泊まった清光館という宿は既にない。主人が海で遭難し家族は離散したという。一家の悲しい没落と、この村の盆踊りの情景を「清光館哀史」につづっている▼盆の15日の夜、柳田は、女性だけが月光の中で静かに踊るのを見た。細い声で繰り返される歌が、どうしても聞き取れない。ようやく教えてもらった文句は「なにヤとやーれ なにヤとなされのう」▼連年の凶作による飢餓への嘆きなど、さまざまな説があるという。「どうなりとなさるがよい」と男に呼びかける恋歌と解釈した柳田も、「どんなに働いてもなお迫ってくる災厄、いかに愛してもたちまち催す別離」といった不安を歌の調べの中に見いだした。

柳田国夫が聴いたとされる「どうなりとなさるがよい」という東北の歌を、女が静かに踊りながら口ずさむうたを、私たちは今どのように聞くことが出来るだろうか。「どうなとなれ」「何とでもなれ」「成るようにしかならない」、これは人生に対する典型的な捉え方かもしれない。「どうでもよい」という捨て鉢な心も見え隠れしている。しかし同時にそういう思い通りにならない人生に対して、それでも「成るようにはなる」のだから、その「成る」ところを殊更に拒絶し、抗わないで、静かに受け止めましょう、という心も見ることが出来るのではないか。

今日はコリント書第二の手紙からお話をする。この手紙の一番の特徴は、どうも元々は1つの手紙ではなく、少なくとも3通の手紙であったものが、後に1つにまとめられたものらしい、ということである。その中のひとつに、「涙の手紙」と呼ばれる、涙ながらにパウロが記し、受け取ったコリント教会の人々も、それを読んでさめざめと悔い改めの涙を流した、という手紙がある。今日の聖書個所は、どうやら元々「涙の手紙」と呼ばれたものの一部分らしいのである。確かに非常に高ぶった感情が吐露された文面である。

8節「かすめ取る」は「強奪」、これは軍隊用語で、「略奪」を意味する。またその前節「報酬」は、傭兵に与えられる「俸給」のことである。「軍隊」は「俸給」だけで任務を遂行するのではなく、戦地では、略奪によって己の懐を利するのである。また「負担をかける」は「重荷を負わせて苦しめる」も随分、強い調子である。パウロは時として、普段は用いないような乱暴な言い方、言葉遣いを用いて手紙を記すところがあるが、この個所もまたそういう色合いの強い所である。