「主が招いてくださる」使徒言行録2章37~42節

今日は「花の日・子どもの日」である。教会に子どもが与えられていることは、当たり前のことではなく「大きな恵み」であることを覚えて、礼拝を共に守る。

最初に皆で『こどもさんびか』(改訂版)を共に歌いたい。5番「こどもをまねく」。この曲は古いこどもさんびか集から現在のものに至るまで、ずっと掲載され続けている歌のひとつである。子ども時代に、教会学校で歌った記憶を持つ人も多いだろう。中田羽後作詞、津川主一作曲になる作品である。「こどもをまねく/ともはどなた/こどものすきな/エスさまよ」。福音書に伝えられる最も印象的な場面のひとつである。主イエスのもとに子どもたちが連れられてくる。すると弟子たちはこれを叱って、追い返そうとする。すると主は弟子たちに言われる「子どもたちを来るままにさせなさい、妨げてはならない、神の国はこのような者の国である」。この時の情景を、みごとに、的確に切り取られている。

この歌の作詞者、中田羽後氏の略歴にこう記されている。「明治から昭和初期にかけて活躍した宗教家であり、伝道者であった父重治と母カツの次男として明治29(1896)年9月9日に秋田県大館で生まれました。羽後の国(今の秋田県)の地名に因んでの命名でした。羽後師は、若き日に人生の悩みの中にあったとき、『おまえは賛美をもってわたしに仕えなさい!』との神様の御声に触れたのち、その生涯を「聖歌」の編纂と発行を通してキリスト教の伝道に捧げました」(荻窪栄光教会HPより)。

ヘンデルの『メサイア』、特に「ハレルヤ・コーラス」の訳詩はつとに有名であり、この歌詞で歌った経験をお持ちの方は多いだろう。この国にこの有名な曲を根付かせるのに大きな功績のあった人である。聖歌、讃美歌の世界だけでなく、世界のさまざまな歌曲の翻訳にも力を注ぎ、チェコ・スロバキアの民謡「おお牧場はみどり」の歌詞をものして、これがNHK「みんなのうた」の最初の曲として紹介されたため、今もこの国の人々の心に残り、時に唇に上ることのある懐かしい歌のひとつとなっている。歌の盛り上がりのところで「ホイ」と調子よく合いの手が入るところが、皆に親しまれた所以ではないか。
晩年に、氏は音楽活動他の功績によって「キリスト教功労者」として顕彰されるが、その時の挨拶でこのように語ったと伝えられる。「私は4つの教団を退団または除名され、5つの学校から馘首され、その上、父からも勘当された放蕩息子です。そのような私でも神は見捨てられず、このようの生涯を通じて伝道音楽に用いたもうたのであります」。こういう人生の回顧談を知って、先のこどもさんびか「こどもをまねく」を改めて目にすると、「こどもをまねく/ともはどなた」という詞も、彼自身の心の底から湧き出でた信仰の言葉のように感じられる。

さて、今日の聖書個所は、教会での最初の説教、即ち、ペンテコステ直後になされたペトロの説教の終わりの章句であり、その結末部分に目を注ぐ。人々は、この説教を聞いて、大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と尋ねたという。この「心を打たれ」という用語は、原語では「刺す」とか「抉る」という強い意味合いを持つ言葉で、一般に不安や後悔の際に感じる激しい心の痛みを表現するときに使われる。丁度、心臓に刃物を差し込まれて、それを回して抉られるような、そんな激しい痛みを心に感じたというのである。血が流れて止まらなくなるような、そんな深い傷を負ったときの有様である。そしてそこから一同に、「今のままではいけない、このままではいられない」、という思いが沸き起こり、「わたしたちはどうしたらよいのですか」という詞が発せられた、ということなのである。

長年、中学生、高校生という生徒たちを相手に、毎日を過ごしてい来た。大人と子どもの中途半端な時代に、いわば途上の道のりを過ごしている彼らに、大人たちはしばしば苦言を呈する。「行儀がわるい言葉が悪い、行動が伴わない、仲間内で群れる、うるさい、今のこと、自分のことだけしか考えていない」。確かに公共の場や交通機関での振る舞いなどから、そう批判されるのも頷けよう。但し、そう言う当人もまた、そのような大人子どもの一人だったはずである。ただ、彼らは確かにその通りであるかもしれないが、「今のこと、自分のことだけしか考えていない」のでは決してない。皆と一緒にいる時には、そう見えるかもしれないが、ひとりになると何を思うのか、「今のままではいけない、このままではいられない」と考えているのである。それで人間どうにかなるかと言えば、大方の子たちは、「♪奮闘努力の甲斐もなく、今日も涙の」という寅さんの歌のように、一日が過ぎるのである。皆さんはどうであったか、思い起こしてほしい。それでも「今のままではいけない、このままではいられない」と心に沸き起こる言葉を持つことは、人としてのまことの幸い、というものではないか。そういうものを全く失ってしまっていたら、どんなにかその闇は深いだろうか。

この人間として根源的な問いに、ペトロはこう答える。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」この文章は「悔い改める」が主文であり、後の文は従属節のような構造である。「悔い改めよ」、これを聞いて思い起こすのは、主イエスが宣教の初めに語ったとされている言葉である。この言葉はしばしば、「方向転換をする、向きを変える」、という意味があると説明される。人間は出発する際に、どちらの方向に向かうかが、まず問題であろう。まったく見当違いの方角に顔を向けていたら、どうなるだろうか。「行き当たりばったり」、というのも楽しいチャレンジかもしれないが、余りに破茶目茶に歩めば、どうにもならなくなるだろう。壁にぶち当たって傷ついて、もがくことも時には必要だろうが、それを続けることにも限界がある。とにかく、向くべきところ、そちらの方に自分の方向、顔先、鼻先を向けてみようではないか、そこから何が見えて来るか。

39節「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」。そこで何が見えて来るか。「主が招いてくださる」ことが分かるだろう。その招きは「あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人に」、向けられているものだというのである。かつてはその招きは、神の民であるユダヤ人に与えられた約束であり、神の律法(おきて)を守って生きる人々にのみ与えられるものであった。しかし、今や、その招きは、何ができるできない、どこに住んでいるか、どれ程の分別や知恵があるか、そんなことは一切関係のない、広々としたとらわれのない大いなる招きなのである。「子どもたちを来るままにさせなさい、妨げてはならない、神の国はこのような者の国である」。主イエスの招きの大きさは、このみ言葉に尽きているし、妨げるのは、神ではなく、人間のわざなのである。

最初に共に歌ったこどもさんびか「こどもをまねく」、かつて恩師の一人から、このような思い出を聞かされたことがある。この方は、先の戦争で徴兵され、南方で敗戦の時を迎えたという。自国が負けたということで、報復を怖れてジャングルを逃げまどったという。それこそ目指すべき方向を失って、闇雲に、ただ逃げて行くというみじめで望みのない逃避行だったという。うっそうとした茂みの間に、たくさんの人が斃れている。時には小さな子どもらしい身体も転がっている有様であった。そういう光景を、目にしていると、「神は愛だ」という素朴な信仰も大きく揺るがされたという。やがて糧食も気力も尽きて、自身もその場に倒れてしまったという。どれほど経ったろうか、目が覚めると隣に見知らぬ人がおり、どうやらを水を飲ませて介抱してくれたらしい。その人がこう言う「あなたが気を失っている間、何やら歌を歌っていたようですね、それはさんびかですか」。「どんな歌でしたか」、「こどもをまねく/ともはどなた/こどものすきな/エスさまよ」。昔。教会学校で歌っていた、あの懐かしい歌が、密林の中、命の助かる見込みのない、あてどもない逃避行の中で、しかも気を失った中で、それでもなくならなかったことだった、とその恩師は述懐された。

「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」。主の招きは、どんな時にも、どんな中にも失われることはない。子どもが今も教会に招かれて、その笑顔と笑い声を響かせていてくれる、この事実に、私たちは、主イエスの招きの広さ大きさを深く味わうのである。