「何者でもない」 ガラテヤの信徒への手紙6章1~10節

沖縄の地方紙に、このようなコラムが掲載されていた。「カーラムチゼークー(瓦漆喰(しっくい)左官)は瓦も葺(ふ)くし、漆喰も塗る」。屋根瓦職人一筋に生きてきた首里出身の大城幸祐さん(89)は手仕事に心を込める。首里城、識名園…。戦火で失われた文化財の復興に携わってきた。原点は沖縄戦にある。学童疎開から戻り、故郷の姿に胸を痛めた。「石ころしかなかった」。家々や草木は吹き飛ばされ、孤児になった学童もいた。(琉球新報7月5日付「金口木舌」)

現在、消失してしまった「首里城」もこうした職人さんの、石ころをひとつ一つを集めもう一度積んで行くような指の働き、手の力によって復元されたのかと、しみじみと思う。コラムに登場する大城幸祐氏は、ご自分の歩みを自らこう語っている。「生まれも育ちも首里。祖父の代から瓦葺きを家業にしている。中学のころは、父親に引っ張られて守礼門の瓦葺き工事を手伝った。初めて正式に仕事を受けたのは北殿。首里城の仕事は検査が厳しく、慣れないうちは大変だった。瓦と瓦の間に塗る漆喰(しっくい)すら、すべての列がきっちり水平になるよう施工しなければならない。別の会社が手掛けていた正殿や南殿の現場を見て、糸を使って水平垂直を取ったり、墨出しのやり方を学んだ。それから首里城のさまざまな門や建物の屋根工事を手掛け、美福門の工事が完了。『ようやく、すべて終えた』と感慨深かった。そこにあの火災。だが、落ち込んでばかりはいられない。職人には再建する使命がある」。

失われたものをよみがえらせるのには、手掛かりが必要である。今は灰燼に帰し、瓦礫(がれき)となった石ころも、元のかたちをよみがえらせる大切な縁(よすが)となる。そのような目に見える物だけが手掛かりになるのではなく、目に見えないもの、実物にふれた先人たちの伝承や言い伝え、記憶が、そうした働きをに助けを与えてくれる。これは、信仰も同じであると言えるだろう。

私たちは「神を信じる」という。どのように信じているかはさておくとして、「神そのもの」は目に見えないのである。それでは神を知る手掛かりは何か、神秘的な体験や宗教的な情操(霊感)などでは決してない。私たちの手掛かりは、「聖書のみ(Sola scriptura)」である。プロテスタント三大原理のひとつである。ところが聖書には、各文書のどれひとつにも「原本」が残されていない。これから発見される可能性も、全くないとは言えないが、今まで発見されていないのだから、おそらくないだろう。するとやはり元々のオリジナル、原本を復元や再構成する必要が出て来る。ここにも建物や絵画と同じく、再建から修正、修復という作業が付きまとっているのであり、現在でもそのち密な作業は続けられている。さらに二千年前、三千年前の、ヘブライ語、ギリシャ語といった古代の異質な言語で記述されている。「翻訳」という作業も必要となってくる。古代の、現在とまったく違う文化や生活を移し替えて、今も私たちがそこに生き、暮らせるようにしよう、というのである。この電気ガス水道等設備の整った文明の時代に、昔々の住居に暮らすことを想像してみてほしい。

今日の聖書個所、ガラテヤ書6章1節を読むと、いささか複雑な思いとなる。「兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい」。この翻訳には、原文にはない言葉が、いくつも付け加えられているのでる。「万一」、「不注意にも」、「導かれて生きている」、「正しい道」という言葉は、どれも原文にはない、こんな一行くらいの短い文章の中に、これだけの言葉を付け加えて文言を組み上げていいものか。元々の文章だけ訳すならこうなる「誰かが罪を犯すなら、あなたがた霊の人は、やわらかな霊で、修復しなさい。あなた自身も誘惑されないよう気を付けなさい」。随分、新共同訳の翻訳とは受ける印象が異なる。ガラテヤ書は、著者パウロがかなり感情的にいきり立って文章を語り始めたきらいがある。それを筆記させて手紙の体裁を作り、送られたものである。ガラテヤ教会の皆さんが、このところたるんでいる節があるから、ちょっとばかり「釘を刺し、お灸を据えよう」という意図で記されたと思われるが、勢い余ってかなりの激情あふれる文章となった。やはりそのままでは終わるわけにはいかない、というので、手紙の終わり方はおだやかに、冷静に、落ち着いて、という塩梅になったのだろう。

誰でも罪は犯すものだ、自分もそうだということをよく自覚して、決裂ではなく修復することを目指そうではないか。皆で重荷を負い合ってこそ、教会というものだろう、そして余りに一人ひとりの振る舞いや言動に目くじらを立てて、殊更に非を論うなら、それは神に対して差し出がましいことになりはすまいか。この世の歩みを終えた時には、神ご自身がひとり一人の人生の重荷をはかり、人生の責任を問われることになるのだから、人間がとやかく隣の人のことをほじくって裁くべきではない。パウロはここでかなりやわらかな姿勢で語りかけていることが分かる。

ここで「やわらかな霊で、修復する」という言葉に注目したい。まずこの「霊」は、「聖霊」とも「心、魂、精神」とも理解できる用語である。前の行の「霊の人」とは、聖霊を受けている人、ということだが、パウロは単純に「キリスト者」という意味で用いている。まだ「キリスト者」という言葉が一般的でない時代である。聖霊の賜物、つまりキリスト者に与えられる恵みは、パウロによれば「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」と語り、ここで「やわらかな」という言葉を用いているので、聖霊のもたらす諸々の賜物を一言で言えば「やわらかさ」に尽きる、と考えているのであろう。

皆さんはどう考えるか。聖霊がどのように働くか、それは「やわらかさ」においてなのだ、とパウロはいう。聖霊は「信じる者をやわらかくする」、世間ではよく、柔軟な思考とか、しなやかな考え方とか、こだわらない姿勢の大事さが、よく取りざたされる。しかし「やわらかさ」とは、何をもってそういうのだろうか。「清濁合わせ飲む」という例えがあるが相手の主張を、良くも悪くもすべてを受け入れる、ということなら、飲み込んだ後はどうするのか、どうなるのかが問われるであろう。何でもかんでも飲み込んだら、お腹を壊しそうだ、だから腹が「やわくなる」というのではあるまい。

この原語の「やわらさか」は、ちょうど柳の枝のような、「復元力」を表す用語らしい。力を加えたら「ぽきっ」と折れてしまうのではなくて、折れ曲がるけれども、またもとに戻ることができる。すると後の言葉「修復する」という言葉との意味の掛け合い、呼応が見えて来るだろう。神の霊は、壊れたものを修復する、やわらかい力として、教会に働くというのである。最初に沖縄の瓦職人、大城幸祐氏の言葉が思い起こされる「瓦と瓦の間に塗る漆喰(しっくい)すら、すべての列がきっちり水平になるよう施工しなければならない」。やわらかな漆喰を塗って瓦を並べて固定する、すべての列がきっちり水平になるように、そうして復元の作業が進んで行くのである。

最初に紹介したコラムはこう続く。「沖縄戦で日本軍は主要部隊を首里に置いた。一日数千発の米軍の砲爆撃も、琉球石灰岩の下に掘った司令部壕には及ばなかった。第32軍の高級参謀だった八原博通氏は『洞窟内は危険絶無、絶対安全だ』と後に記した(「沖縄決戦」)。壕内で持久作戦を練り、沖縄の住民の犠牲を増やし続けた第32軍。今、自衛隊は陣地構築のため琉球石灰岩の掘削方法を検証する。自分たちは安全な所に身を隠し、住民はどうなってもいいという発想は変わらないようだ『基地があるから狙われる』。大城さんのその言葉に、工房にずらり並んだ魔よけの漆喰シーサーたちもうなずいた気がした」。

人間は堅く堅牢なものを造って、それで「安全・安心」と思い、それこそが強さだと自負する。しかしそうした堅く強く見える物は、同じように堅く強いものによって、破壊され、崩されるのが、歴史の教訓である。「基地があるから狙われる」のである。ともかくも今に至るまで、この世に立ち続けてきた教会の堅固さは、聖霊のやわらかな働きによる。

7月の野山に、赤く黄色い「やぶかんぞう」の花が咲いているのを見かける。薬草に、山菜に用いられる。ギリシャ語で「ヘメロカリス」(一日にちでしぼむ)、星野富弘氏の詩にこの花を歌った作品がある「いつか草が/風に揺れるのを見て/弱さを思った/今日/草が風に揺れるのを見て/強さを知った」。教会もまた、この「やぶかんぞう」のような、ものなのだろう。「やわらかな霊で、修復する」場所である。