「共に恵みにあずかる」フィリピの信徒への手紙1章1~11節

最初から「子守歌」の話題で恐縮だが、「ぐっすりお休みください」と勧めるかのようで。ある新聞のコラムの記事、「暗闇の赤児よ/もう夜も明けた/おまえは何故に泣く/おまえは何故に叫ぶ」。古代バビロニアの粘土板に刻まれた文字を解読したところ、こんな文句があったそうだ。これが世界最古の「子守歌」という。約4千年も前から人類は泣く子をなだめることに知恵を絞っていたのか。「おまえは何故」。泣く子に苦労する歌詞に古代の親が身近に思えてくる」(「筆洗」10月6日付)。

先日も、マスコミへの投書で、バスの中で赤ちゃんが大泣きして泣き止まない、おろおろする母親に、年配の人がきつい言葉を投げかけたことについて、いろいろ読者の意見が、投げかけられていた。数千年前の人間の生活も、現代のそれとあまり変わらない要素があることを、どう思われるか。赤ん坊は泣くのが仕事。とはいえ、大古の昔から、親は泣く赤子をおとなしくさせるためにあの手この手を考え出し、試行錯誤を続けていたようだ。文明の発祥地とされる古代メソポタミア人たちも、泣く子をあやすのには散々苦労したようで、バビロニア後期の粘土板には、泣き止まない赤ん坊を静かにさせる方法についての記述がある。そこには既述のコラムのような当時の子守歌と、赤子を眠らせるための「おまじない」が楔形文字で記されている。子守歌と一緒に、大通りや戸口、果ては墓から集めてきた塵を泣いている赤ん坊にこすりつけるようにと勧めている。なぜ「墓の塵」なのか、おそらく、墓は究極の眠り、沈黙の場所であり、塵をまとうことで、安らかで深い眠りにあやかれるように、との転移的呪術(おまじない)行為なのだろう。「子どもは泣き声をあげて父を困らせ、母の目に涙をあふれさせる。その泣き声は、クサリク(家の守り神)が逃げ出してしまうほどの音だ」。こういう記述を見ても、古代人が、やはり子育てに大変な思いをしていたことが知れるのである。

フィリピの信徒への手紙を取り上げる。その冒頭部分が今日の聖書個所である。パウロの最晩年の手紙のひとつと考えられている。この手紙が記された時には、パウロはエフェソで捕らえられ獄中にあり、フィリピ教会に訪問することが困難になったゆえに、自分の名代のような弟子のテモテに持たせたものだと推定されている。フィリピの教会は、パウロによって基礎が据えられた教会のひとつであるが、多忙な、あるいは病気がちな、さらには騒擾罪で捕らえられ、獄中に投げ込まれて、身の不自由さをかこつこの使徒に対して、変わらぬ信頼と敬意とを持ち続けたようだ。教会の人々のこういう心映えに、パウロはどれだけ励まされたことであろう。この身に染みる。

5節「あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです」という一句に、フィリピ教会に対する好感度の高さが伺える。他方、やはり教会の人々は、パウロの健康状態や身の上を心配し、投獄によって直接会って顔を見ることができないことで、非常に落胆し、元気を失っていたのも事実であろう。パウロはこの愛する教会の人々を何とか力づけ、励ますことが必要だと感じて、この手紙をしたため、テモテに持参させ、陣中見舞いとしたということである。

確かに教会の設立に尽力したみ言葉の教師への、敬愛と思慕の情の強さは、この使徒の心を暖めたし、強く励ましたことであろう。「去る者は日々に疎し」で、顔と顔を合わせないと、やはり人間関係は薄いものとなり、ついには忘却に至るだろう。それが最初の日から今に至るまで、まったく変わらずに、と回顧しているところが、この使徒の思いの深さを、よく表しているであろう。先ほど、世界最古の「子守歌」のことを話したが、また赤ん坊だったころの教会の様子を、パウロは懐かしく思い出していることに、間違いはなかろう。人もたくさんは集まらず、集会の場所も手狭で、間に合わせのような所で、皆、肩を寄せ合って礼拝が守られている。ないない尽くしのような中で、何が人と人とをつなぎ留め、何が支え、何が力となったのか。ところが得てしてこういうないない尽くしの中に、ないものはない、必要なものはすべて満たされている。教会経験の真実であろう。

赤子であった子どもが段々と成長し、一人前になって行くまで、長い年月が必要であるのは言うまでもない。他の生き物にまさって、親は子育てにエネルギーを注がねばならない。「夜泣き」が典型のように、親の思い通りにすんなりと子どもは成長して行くものでもない。却って親の願いとは裏腹に、時に逸脱するのも、成長の一幕である。そこで何が子育てを支える真実の力となるのか。「親の思い通りになる」ことが、その力であるのか。

ここで注意したいのは、当初、教会が赤子のような小さな営みから始まり、成長して今に至る歩みの中心にある事柄を、ここで何だと語っているかなのである。ここで使徒が強調しているのは何か、自分が教会に注いだ熱意や努力、それに心を開いたくれた人々の真心、即ち人間の恩愛の情の尊さを語るのではない。パウロはその中心が「福音」であるという。「福音にあずかる」と訳されているが、非常に単純な言い方「福音にあって」、即ち「福音の中に、福音から離れてしまわずに、福音といつも共に」あなたがたがあることを、その幸いをパウロは強調しているのである。

「福音」とは文字通り「喜びの音信(おとずれ)」である。人間が生きるために必要なものは、数多あるだろう。ある喜劇役者は、「ほんの少しの勇気と希望と、サムマネーなんだよ」と語ったが、どうしてそれが人間に力を与えるかと言えば、それらがまことの喜びを生み出してくれるからである。思い通りにならない人生においても、不思議とそこにもたらされる「喜び」によって、気を取り直し、心を新たにして、もう一度という気持ちにさせられることがしばしばあるだろう。「子育て」というものは、だから可能であり、まさにそれに満ち満ちている。「教会育て」はましてやであろう。そういう喜びの知らせを、主イエスは私たちに届けてくれたのである。

「監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです」。少し言葉を足して訳してみたい。「投獄されて身動き取れない弱さしかないこの時も、かつて力を合わせ、力を尽くして主イエスのみ言葉を、恐れず大胆に宣べ伝えたあの時も、今も昔も、共に神の恵みの中に生かされている」。この時パウロは投獄されており、当時の人生行路からすれば既に老境にあり、体力的にも限界を覚えることも多かったのであろう。もはやフィリピの教会を訪問することも困難な有様であり、全くの弱さを覚える状態になっている中で、かつても今も変わらない恵みの中、喜びの中に生かされている、と使徒は語っているのである。

普通、「喜び」や「恵み」と言えば、自分の思い通りになった時に味わう事柄、と考えがちであるが、深い喜びは、人間が思ってもみない、予想もしなかったところに生まれる、そこにもたらされる喜びのことではないのか。主イエスの告げた福音は、十字架に極まるのである。十字架に付けられ、もはや身体の自由をまったく奪われ、血を流し、息が途絶えたそこに、「神に見捨てられた」という叫びのそのところに、神は復活の命を吹き込み、注ぎ出されるのである。それこそが福音の行きつく所である。自分の思い通りは、裏切られ、神のみこころのままに、神の善い業が、ついになることを、私たちは十字架の出来事から知らされるのである。子育ても、教会育てもまたそうであろう。

こんな文章を読んだ。「インドを旅していると、思いがけないことが次々に起こる。列車が遅れたり、バスが渋滞に巻き込まれたり、崖が崩れたり、橋が落ちたり、なかなか予定通りにはいかない。巡礼団の誰かが体調を崩すこともよくある。そんな旅のガイドをするのは、本当に難しいことに違いないのだが、わたしたちのガイドのアニクさんは決して音を上げなかった。どんな困難な状況でも、『大丈夫、なんとかなります』と涼しい顔で言って、実際に乗り越えてしまうのだ。インドでの生活にトラブルはつきもので、このくらいでいちいち驚いていたら生きていけないということでもあるのだろう。決してめげない彼の姿に、わたしはインドに生きる人々の強さを見た気がした。旅をするとき、わたしたちは『今日はあそこへ行って、ここへ行って』と計画を立て、その通りにならないと、いらいらしたり、怒り出したりする。計画通りになるのが当たり前と思っているからだ。だが、それは無理というものだろう。現実が、自分の思ったとおりなるとは限らないし、むしろ、思ったとおりにならないのが当たり前なのだ。そこのところを勘違いすると、せっかくの楽しい旅が、不満だらけのつまらない旅になってしまう(片柳弘史神父「レジリエンス(しなやかな心)」)。

私の思いとはうらはらに、神のみこころは私の人生に、この世界に、ひそかに人間の目には隠されて、成し遂げられていく。「わたしたちの中に、善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、それを成し遂げてくださる」。教会の歩みを通して、深くさらされるのであろう。