最近、この国にも定着した感のある「ハロウィン」祭、その発祥は、2000年以上も前。ヨーロッパの古代ケルト人が行っていた祭儀「サウィン(Samhain)」が起源だといわれている。サウィンは「夏の終わり」を意味し、秋の収穫を祝い、恵みをもたらした精霊に感謝するとともに、暗い冬の季節を迎えるにあたって、悪霊を追い払う宗教的な行事として、古代ケルト人の暮らしに根づいていた。ケルトの暦では、10月31日は1年の終わりの日大晦日であり、現世と来世を分ける境界が弱まる時。そして、死者の魂が家族のもとへ戻ってくる日としても信じられていた。そして死者の魂とともに悪霊も一緒にやってくると考えられ、その悪霊に人間だと気づかれないように、火を焚いたり仮面を着けたりして身を守ったといわれている。この風習が、ハロウィンの代表的な習慣である仮装の起源となった。
この土着信仰がやがてキリスト教と結びつき、キリスト教の諸聖人に祈りを捧げる「万聖節」(または「諸聖人の日」)の前夜祭として行われるようになったという。イスラエル民の末裔、ユダヤ人には異教の祭りの色彩が強いハロウィンを祝う風習はないが、それでも仮装してパーティを行ない、皆で一緒に楽しむ祭り、「プリムの祭」を祝う習慣がある。
エステル記は、歴史書というよりは、説話文学に近い物語である。ヘブライ語聖書では、『諸書(メギロート』の1書として位置付けられている。ペルシア時代を背景に記されているが、紀元前2世紀頃の成立であると推定され、ユダヤ教の五大祭の一つである「プリム(くじ)の祭り」の起源を説明する物語である。物語は、ペルシア王アハシュエロス(クセルクセス1世。在位前486~前465)の王妃に迎えられたユダヤ女性エステルとその養父モルデカイの活躍を描いている。ペルシアの大臣ハマンが、モルデカイから敬意を払われなかったのを根に持って、国内の全ユダヤ人の殺戮(さつりく)を計画し、くじ(プル)によってその日を決める。ところがエステルの叡智に満ちた働きによって、アダルの月(太陽暦の3月ごろ)の13日、運命の日にハマンはモルデカイにかわって木につるされ、ユダヤ人は辛くも難を免れるという筋書きである。
今日の聖書個所3章には、ペルシアの高官ハマンによる全ユダヤ人せん滅計画の端緒となった出来事が記されている。事の発端は、些細とも言えるあまりに小さな事柄である。1節以下「クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを引き立て、同僚の大臣のだれよりも高い地位につけた。王宮の門にいる役人は皆、ハマンが来るとひざまずいて敬礼した。王がそのように命じていたからである」。権威主義の典型ともいえる政策である。王はハマンをいわば「踏み絵」として、王に対する忠誠を治験する装置としたのである。権力はそれを行使する者の保身のため、いろいろな「踏み絵」を画策し利用しようとする。形ばかりのことを命じることで、それに殊更こだわる異端分子をあぶり出し、先んじて排除することが、その他大勢の浮遊層を操るのに都合がいい、と考えるのである。「モルデカイはひざまずかず、敬礼しなかった。王宮の門にいる役人たちはモルデカイに言った。『なぜあなたは王の命令に背くのか。』来る日も来る日もこう言われたが、モルデカイは耳を貸さなかった。」モルデカイはその信念の一途さによって、まんまと王の陥穽に落ち、同胞全体への危機を生じさせたのである。「ハマンは、モルデカイ一人を討つだけでは不十分だと思い、クセルクセスの国中にいるモルデカイの民、ユダヤ人を皆、滅ぼそうとした。」そしてハマンは籤を投げて(神意を問い)、民族浄化の日取りを定めるのである。
常に全体の利益や平穏という見地から判断して、自らの信念は二の次に押しとどめる、これはある意味、責任ある者の見識である。とはいうものの、「腹ふくるる業」でもある。モルデカイの確固とした正義感からの振る舞いは、見上げたものであるが、引き起こされた代償は大きすぎた。正義と報復という両刃の剣がもたらす危機に対して、どのように風穴を開けることができるのか、ここに聖書の知恵の側面を見るのである。この困難な事態にもはやモルデカイ(ユダヤ保守主義の擬人化か)には全くお手上げで、これへの対処は、王妃エステルに委ねられることとなる。エステルは奇しき運命の下、ペルシア王クセルクセスの王妃となった女性である。
王妃は、祝宴の場を設定し、そこに王とハマンを招いて、事態の逆転を図る計画を立てる。「祝宴」はただ飲み食いのなされる場ではなく、いわばそこに招かれた者が役者のように振舞い演技する、主催者演出のドラマの催事場である。その巧妙な筋書きに、神の指が添えられて、人間の計画がひっくり返されるドラマとなって生起する。これについては後章の講解に譲りたいが、王妃エステルの振る舞いは、まさに「擬人化された神の知恵」の発露を暗に物語るものであろう。実に「知恵」は、「女性」に準えられるのである。
既述のように「プリムの祭り」では、今日のハロウィンのように、「仮装」して祝う習慣があるという。この伝統は、中世イタリアの謝肉祭の影響があるとされるが、やはりエステルの催した「祝宴」、これによって事態は大きな展開を告げる、を想起するゆえに、そうした習慣が定着したとは言えないだろうか。祝宴にはしばしば「仮装」がつきものである。ユダヤの祭りは総じて、古の神の救いの歴史を想起する、生真面目で厳粛な祭事なのに比して、プリムでは、民族の解放と救いを祝い、飲酒も大いに賞賛され、とことん酔っ払ってもよい日とされているくらいに、日ごろの憂さを発散し楽しむ祭りなのである。だから子どもだけでなく、大人も、夜は仮装パーティーで大騒ぎする習わしがある。
ハマンという「踏み絵」に対して、不寛容な態度を決して変えようとしなかったモルデカイであるが、その頑固一徹さは、自分自身の運命ばかりでなく、民族全体の運命を左右する機縁ともなった。真面目さゆえの不寛容さは、不和や軋轢を生み、現代でも、国際間の重大な問題の引き金となっているとも言える。但し、何でもあいまいに胡麻化してしまったら、自分自身の存在価値を失うことにもなる。しかし本当のところ、まことの自分自身を失わせるものとは何であるのか、深く、繰り返し、反芻し続ける必要があるのではないか。俳優のように「仮装をする」、という行為は、ひととき別の人格になるという営みであろう。もう一人の別の自分自身となって、もとの己の姿を顧みるのである。一体そこで何が見えて来るだろうか。苦境を乗り越える知恵が見出される機会とならないであろうか。ハロウィンの仮装が盛んにもてはやされる背景にある事象に、深く思いを馳せたい。