「思い切って大胆に」使徒言行録4章12~31節

先週は「花の日・子どもの日」礼拝を守った。「子どもの成長と献身を祈って」、この背後には、強い「平和」への希求があるだろう。この国の植物学者、牧野富太郎氏の語ったこんな言葉が伝えられている。「植物に感謝しなさい。植物がなければ人間は生きられません。植物を愛すれば、世界中から争いがなくなるでしょう」。植物学の泰斗は、身近に生えている植物を深く観察し、慈しみながら、知識のみならず、実に「平和」を読み取っているのである。牧野流「野の花を見よ」という所だろうか。

氏が随筆にヒマワリについて記している文章がある。「向日葵」「日回」と書き、太陽を追って向きを変える植物のようにいわれるが、実際は東に向かって咲いた花はいつまでも東向き。動くことはないとした。花が咲く前の段階では、太陽を追う現象が見られる場合もあるが、開花すると不動の姿勢を保つ。それを確信を持って世に発表したのは「私であった」と博士は振り返っている。「凛として真っすぐに立つ」、ヒマワリらしさを見事に言い当てている。

ニュースサイトUkraineWorldが2022年2月24日にTwitterに投稿したもので、800万回以上再生されている動画がある。ウクライナの1女性が、ヘルソン州ヘニチェスクでロシアの兵士と対峙している。 彼女はなぜ彼らが我々の土地に来たのかを尋ね、ヒマワリの種をポケットに入れるように促した。そこでこんなやり取りがされている。「あなたがここで死んだ時、ヒマワリが育つようにこの種を持って行きなさい」と女性がロシア兵に言っている。ロシア兵は、「わかった。この会話は何も生まない(どうしようもない)。これ以上、事態を悪化させないようにしよう」と言った。しかし、女性は続けて語る。「みんな、この種をポケットに入れなさい。この種を手に取りなさい。あなたたちは一緒にここで死ぬでしょう。あなたは私の国に来ました。わかっていますか。あなたは占領者です。あなたは敵です。そしてこれから、あなたは呪われるのです」。

武装した兵士に対して語る、全くの丸腰で、ただヒマワリの種を持つだけの年配の女性の言葉を、私たちはどう聞くだろうか。この女性は、政治家のように、あるいは軍人のように、偉そうな肩書を持つ人ではない。いわば「無学なただの人」であろう、極く普通に、当り前にウクライナに暮らしてきた市井の人である。おそらくは農民であろう。しかし兵士に対して語る言葉は、何と大胆で思い切った調子なのだろう。「人間の思い計らいを越えて、ヒマワリの種は命を宿し、茎を伸ばし、いつの日か、大輪の花を咲かすだろう」。この女性の言葉は、極めて宗教的な意味合いを感じさせられる。私たちになじみの喩えで言うなら、旧約の預言者の言葉のようにも響くのである。こういう言葉を、この人はどこから紡いだのであろうか。

今日の聖書の個所は、3章から続く長い物語の結末である。ことの発端は、ペトロとヨハネが、神殿の「美しい門」と呼ばれる場所で、生まれつきの足の不自由な人と偶々出会い、その人とやり取りをした、それだけのことであった。門は建物の顔である。おそらくヘロデ大王は己の威厳を形にすべく、贅を尽くして豪奢に神殿の顔を飾り立てたのであろう。人は己の本質を隠して、その表側を飾り立てることはできるかもしれない。大勢の人たちでごった返す神殿の入り口として「美しい門」が設えられているのは、ふさわしいことだろう。しかしその傍らに、人生の重荷を負った人が、ただ放って置かれている。それが人間の営みの皮肉さを表している。真実に「美しい」とは、人間のわざではなく、ただ神のなされる出来事そのものであると語るかのようだ。

ペトロとヨハネはその人に言う。「わたしたちを見なさい」。その人と共に、私たちもペトロとヨハネの姿を、ありのままに見なければならないだろう。二人の弟子は言う「わたしには金や銀はない」、これはまさに目に見えるから分かりやすい。確かにこの弟子たちは、身なりから持ち物まで、およそ金には縁のない外見だったろう。それはすぐに見て取れたろう。ただ彼がじっと見たのは、金はなさそうだが、得体のしれない何者か、何か変わった不思議な人たちというような印象を持ったからではないか。さらに二人が言う「持っているものをあげよう」。キリスト者というものは、ただこれに尽きる。いかなる時も、幾つになっても、何をしていようが、どこに住んでいようが、必ず「持っているもの」がある。決してなくならず、擦り切れもせず、変わることのないもの、「主イエスの名」である。すべてここから始まり、そしてここで終わるのである。

癒された人は、奇妙で不思議でたまらなかったのだろう。自分のことを哀れに思い、目に見えるお金を恵んでくれる人はいる。有難いことだが、貰ったらそれで関係はお終いである。ところがこの人たちは、見える物でなく、確かに見えない何ものかを持っているらしい、それが何か知りたい。癒されたことよりも、その何ものかに心捕らえられたのである。だからペトロとヨハネにしつこく付きまとい、否が応でも目立つから、それは神殿の大勢の参拝者の目にとまり、どうしたことかと騒ぎになった。そこで二人は事の次第を皆に説明せざるを得なくなった。

神殿で大勢の群衆が輪を作り、取り巻いている。人間はこういう光景を見ると、何があるのか自分も見てみたい、と思うものだ、野次馬根性である。だから商売に桜は欠かせない。ところが管理する側はそうではない。大勢の人が集まれば、何か企んでいるのではないか、群集心理で暴動、暴走が起こるのではないか、と危惧し警戒するものだ。

神殿当局者たちが警戒して、パトロとヨハネの所にやって来た。そして二人を見るとどうか、まあ恐いもの知らずの子どものように、臆面もなくとうとうとしゃべっている。ところが見た目ときたら「無学の普通の人」、“idiots”という用語だが 「平民」「素人」「一兵卒」等凡て専門家、又は特別の階級に属さない者という意味である。今のように大学はないが、この時代のユダヤでも、学歴、学閥というものはあった。誰の下で、律法を学んだのか、これが権威であった。パウロもタルソス生まれのユダヤ人だが、エルサレムに留学し、ラビ、ガマリエルの下で学んだことが、自慢であった。だから、ペトロとヨハネを見て、こいつらは何かということになった。こんなさえない奴らは、いっちょう脅かしておけば、びびってしゅんとなって大人しく黙るだろう、というのである。

「脅しておこう」、昔も今も、変わりないと思う。手に力ある者は、弱い者は、脅しておけば素直に言う事を聞くだろうと、高を括る。ほとんどの人は弱虫で、気が小さい、自分の無力さを知っているから脅される側になる。脅す側は、相手が弱いと見ると徹底的に脅して来る。脅しは、結局、弱い者いじめで、最も卑怯なことである。但し、脅される人間は、そこから自分もまた、より弱い人間を脅す側に回りやすい、それを真に恥じるべきである。その典型が、力のない幼児に対する虐待であろう。脅しは巡り巡って、最も弱いところに向かっていく。今も昔も、それが世界規模の大きさで起こってしまっている。

繰り返される脅しに対してペトロとヨハネはどうしたか、彼らは恐れることなく、こう答える。19節「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられない」。彼らは、いわゆる「偉い人たち」に向かって答えているが、その顔は、その目は、彼らを、つまり人の顔色を見ていない。ただ主イエスを、父なる神を仰いでいる。「人の言葉に従うよりも、神に従います」。「主イエスの名」とは、どんな中でも、人の顔色ではなく、ただ主イエスを見上げることができる、ということである。そして私たちの力は、そこからしか生まれて来ない。

こういう文章を読んだ。「霧島山麓にある霧島市牧園の三体小学校体育館に、1台のグランドピアノがある。古ぼけて傷だらけだが、『どんぐりピアノ』と呼ばれ、大切にされてきた。名前の由来は、戦後間もない1952(昭和27)年にさかのぼる。当時、小学校にはピアノがなかった。「本物の音を子どもたちに聴かせたい」。そう願った先生たちは、3年がかりの計画を立てた。最初の年、子どもたちは山でドングリを拾った。校庭にまき、5万本のクヌギの苗を育てた。3年目の54年に近くの山に植えた。その年の秋、苗代などで念願のピアノを購入した。今も入学式や卒業式など児童16人の節目を彩る。3年ぶりに一般客を入れてコンサートが開かれる。温かい音という」(6月16日付「南風録」)。

「わたしには金や銀はない。わたしにあるものをあげよう」、そういう現実が確かにあることを考えさせる話である。「本物の音を聞きたい、聞かせたい」、ただこれだけの願い、祈りが、真実になる。「御言葉とその宣教を誰かが束縛した時にこそ、まさに、神の言葉はより高い調子で、またより明瞭に語りかける」、あのナチスとの教会の闘いを描いた『嵐の中の教会』の最後の説教の言葉である。何も持たない中で、力もない中で、見くびられ、脅かされるような中でこそ、主イエスのみ名が語られ、神の言葉が響いてゆくのである。