「星のように輝き」 フィリピの信徒への手紙2章12~18節

今日は花の日・子どもの日である。「働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく、栄華を極めたソロモンでさえ、この花のひとつ程にも、着飾ってはいなかった」。野の花を見て、子どもを見て、具体的に神の恵みの真実を知りなさい、と言われる主イエスのみ言葉を、深く心に留めたい。

先月の下旬に、絵本作家のエリック・カール氏の訃報が伝えられた。ある新聞はこのように紙面に報じていた「絵本『はらぺこあおむし』の作者、エリック・カールさんが23日亡くなった。91歳だった。『色の魔術師』と呼ばれ、鮮やかな切り絵のコラージュなど独特の手法で子どもが喜ぶ絵本を数多く残した。代表作の『はらぺこあおむし』は刊行当時、米国では難しかった穴あきの製本にこだわったため、英語の初版本が日本で印刷・製本されるなど、日本とゆかりがある絵本作家でもある」。

この作家の作品は、子ども心をつかみ取る仕掛けに満ちている。絵本に穴が開いていたり、小さいページが段々大きくなり、絵も文字も大きくなって行ったり、しかし何といっても、一番目を引くのは、色彩、色使いの鮮やかさであり、「色の魔術師」と呼ばれる所以は、まことにもっともだと感じさせられる。ではなぜこれほどまでに、エリック・カール氏は「色彩」に拘るのか。その理由を、彼はこのように語っている。

「私は戦争を経験し、悲しい時代を過ごしました。そのときの悲しさを、絵本を通して、喜びに変えているんです」。6歳の時に、アメリカから両親の故郷、ドイツに移り住んだが、まもなく第2次世界大戦が始まった。その当時のようすについて、「爆撃機から目立たないよう、家は茶色やクリーム色に塗り替えられていましたし、街では、鮮やかなスカーフや服を見ることもなくなりました。すべてが灰色だったんです」と話している。そうした中、カール氏が12歳のとき、美術の先生が見せてくれた絵画の鮮やかな色が、心に強く刻まれたという。「当時、ヒトラーは、ピカソの抽象画やマティスの大胆な表現を抑圧していました。私は、ピカソもマティスも知りませんでしたが、ある日、美術の先生が、こっそり、その色鮮やかな絵を見せてくれたんです。そして先生は、『君は自由に絵を描けばいいんだ』と言ってくれました。当時はなぜ先生がそんなことをしてくれたんだろうと思いましたが、いまでもずっと、強く心に残っています」と当時を振り返っている。色が、自由と平和のシンボルとして、心に穏やかさをもたらしてくれると思えるようになった経験から、色鮮やかな絵を描くようになったというのである。

「すべてが灰色に塗られた世界」が色鮮やかな色彩の原点であり、人間の心は、どんなに一つの色で塗りつぶしてしまおうとしても、否、真っ黒に塗りつぶそうとしても、そうすることは絶対に出来ない。子どもの心を思い計るならば、その心の世界を見る目を持っているなら、カール氏の心も理解できるだろう。

さて、フィリピ書から話をする。パウロの記した最後の手紙とも言われる。捕らえられて獄中から記したとされる書である。そして今日の章節の末尾に語られるように、この手紙は「喜びの書簡」と呼びならわされている。17節以下「(礼拝を行う際に)たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしを一緒に喜びなさい」。原文には、「血」という単語は添えられていない。原文に忠実に訳すなら「礼拝の中で、わたしが注ぎ出されるのなら、わたしは喜ぶだろう」。当時の神殿礼拝では、神の前に水やぶどう酒を注いで、奉仕(へりくだり)の姿勢を表したというから、パウロ先生の言葉や証を「用いて」「利用して」「媒介として」礼拝を行う、ということになる。実際、今でも牧師のいない教会で、役員ないし信徒が、何某かの牧師の説教の言葉を朗読、あるいは説教テープを流すことで、礼拝が奉げられている現実がある。パウロの書き送って来た手紙が、礼拝の説教の代わりに読まれることは、しばしばあったのだろう。

フィリピの教会は、パウロにとって最も懐かしい、心を開くことのできる教会であり、かつ、病気や投獄によって、赴きたいのに訪れることができない教会なのである。教会の人々も、パウロ先生がもう一度訪問してくれるのを、首を長くして待っていたし、それが様々な事情で、かなわなかったことに、深く落胆している節があった。確かに牧師がいることで、たとえデクノボーであっても、いないよりはましである、と皆が言ってくださるなら、これは実に牧師にとって慰めであり励ましである。しかし、牧者が不在というところで、「命の言葉をしっかり保つ」ことで教会が立っているならば、こんなに素晴らしいことはないだろう。教会は牧師がいても居なくても、人が多くても少なくても、あるいは教会堂がどのようであったとしても、問われるべきは、教会に「命の言葉」があるかどうか、ただそれだけなのである。

パウロはこの個所で、フィリピの教会の懐かしい人々を思い起こして、「神の子として、世にあって星のように輝き」と評している。簡単に言えば、あなたがたは「星の子ども達だ」と言っているのである。これはパウロの比喩の中でも、非常に興味惹かれる表現である。空に光る星の光は、昼間は見えない。太陽の光が強すぎて、それに隠されて見えないのである。但し見えないだけで、光がないわけではない。星の光が見えるのは、太陽が沈んで、周りの世界が夜となり、闇に閉ざされた時である。あたりが暗くなると、始めて星は光を輝かせ、自分を示し始めるのである。そういう空の星の姿を、パウロはキリスト者ひとり一人に喩えているのである。どういうことか。

キリスト者は強烈な太陽の光でなくてよい。そしてその光は、自分自身からの輝きではなくて、神の栄光の写し、反射なのである。周りが明るい時に、その光は見えない。かくされているだろう。しかし、世界が闇を迎えた時、夜になった時に、ようやく光を点し、姿を現すのである。その光とは「命の言葉をしっかり保つ」ことで表される光なのである。「よこしまで曲がった時代」、闇の世に、おぼろげな光がそこに灯っているとしたら、それはまさに「自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄でなかった」と誇ることができる。キリスト者に与えられる、一番の喜び、幸、安心がそこにある。わたしたちひとり一人に、その光が与えられている。「喜びなさい、共に喜びなさい」。

最初にエリック・カール氏を紹介したので、その代表作『はらぺこあおむし』を少し味わいたい。物語はこう始まる「おひさまが のぼって あたたかい にちようびの あさです。ぽん!と たまごから ちっぽけな あおむしが うまれました。 あおむしは おなかが ぺっこぺこ あおむしは たべるものを さがしはじめました」。月曜日からいろいろな食べ物を食べ始める。「りんご なし すもも いちご おれんじ」を毎日続けざまに食べるが、「まだまだ おなかは ぺっこぺこ」。そして「どようび あおむしの たべたものは なんでしょう。チョコレートケーキと アイスクリームと ピクルスと チーズと サラミと ぺろぺろキャンディーと ソーセージと カップケーキと それから すいかですって」。それでどうなったか、「そのばん あおむしは おなかがいたくて なきました」。お腹がぺっこぺっこ、食べたい食べたいで食べ続けていたら、当然の行きつく先は、「おなかがいたくて なきました」。この台詞には、すべての子どもの経験が込められていると同時に、消費文明社会の病弊をも、見事に抉り出していると言えるだろう。

「つぎのひは また にちようび あおむしは みどりのはっぱを たべました とても おいしい はっぱでした。おなかの ぐあいも すっかり よくなりました」。もうあおむしは はらぺこじゃ なくなりました」。おあむしにとって、飢えを満たしたのは、この世の「珍味佳肴」、贅沢な食物ではなくて あたりまえの「みどりのはっぱ」であったというのである。「まもなく あおむしは さなぎになって なんにちも ねむりました それから さなぎの かわを ぬいで でてくるのです」。「あおむしが きれいな ちょうに なりました」。あたりまえの緑の葉を食べて、飢えを満たしたあおむしは、さなぎとなり、いつか「きれいなちょう」に変わるというのである。

自分の周りにあたりまえに茂っている「みどりの葉」つまり、生活の中に神がそっと置いてくださっている「命の言葉」を聞き、それに養われ、その言葉を心に保つ者は、「星の子ども」となる。日中は、他と変わることのない生命を生きるが、夕闇が訪れた時に、そのまことを明らかにし、よみがえりの生命に生きるだろう。