「時が来るまで」使徒言行録13章1~12節

人間の作ったものはすべて壊れる運命にある。だから使い続けるためには、修理や修復をしなければならない。壊れたら捨てて、新しく買い求めればよい、というのも一つの方法だが、愛着の品物が壊れたならば、ただ捨てるのは惜しい。最近、お家時間を楽しむために、今まであまり流行らなかった趣味が人気だとか聞く。漆と金を使って修繕する「金継ぎ」を楽しむ人が増えているそうだ。「金継キット」も売られている。「修復」の大切なポイントは、「修復した」という事実が、明らかに分かるようにすることであるという。元の形をまったく変えてしまったり、直したことを隠すのは、「修復」とは言えない。

世界の話題になったので、記憶している方も多いだろう。10年ほど前、スペインの片田舎の小さな教会に飾られていたキリストの絵が、地元の女性画家によって勝手に「修復」された。ところが元の絵とは似ても似つかぬ、「猿のような」顔に変わってしまったことから「史上最悪の修復」と非難された。問題はその後、どうなったか、である。騒動が知れわたると、「猿のキリスト」を一目見ようと観光客が殺到した。皮肉にも、批判を巻き起こした修復画が、小さな町に予想外の観光収入をもたらすことになったのだという。地域振興としては「結果オーライ」とも言えるエピソードだが、これが世界遺産の建物に描かれた壁画のように、文化的価値が高い作品だったらどうだったか。

人間は、良かれと思い、あるいは損得勘定やヴィジョンによって、さまざまなことを目論み、計画する。もちろん無駄な労力や時間、資金をつぎ込むのは愚かだと考えるから、行き当たりばったりではなく、失敗しないように、見込みを立てて実行するのである。それで計算通り目論見通り、上手くいくかと言えば、必ずしもそうならない。突発事態、災害や不慮の事故、世の中の情勢の変化で、予想外な結果をみることがあるだろう。皆さん方に、そういう経験はあるか。

今日の聖書個所は、パウロの第1回目の宣教旅行の発端が記されている。ペンテコステの出来事によって、ユダヤのエルサレムに最初の教会が誕生した。しかしユダヤの地のみならず、ほどなくして、異邦の地にまで教会は広がっていく。その多くはたくさんの人が行き来し、交流するような場所、例えば、パレスチナを離れた「離散のユダヤ人」、ディアスポラの住むような場所に、教会は根を下ろすのである。このアンティオキア(シリアの)教会は、最も早くに成立した外国の教会のひとつであり、エルサレム教会と親密な関係を保っていたようである。エルサレム教会から、教師のひとりバルナバが派遣されていたことからもそれが知れる。練られて人格者のバルナバなら、首尾よく皆の心をまとめるだろう、という訳である。バルナバが派遣されたのも頷ける。教会に集まる人の数も多かったのだろう、さまざまな出自、出身、経歴を持つ多彩な者たちが、教会には集まっていたのである。バルナバの他にも、4人の者が教師として、教会の教務的働きを担っていたという。その一人が、パウロである。バルナバはこの教会に、どうしてもパウロの働きが必要だと感じたのだろう。ギリシャ語に巧みで、学歴もあり、ユダヤの伝統にも詳しい。タルソスに引っ込んで、行方が分からなくなっていたこの問題の人物を、自ら尋ねて探し出し、説得し、教会に連れて来たのである。パウロ以外の教師、「ニゲルと呼ばれるシメオン」は、おそらく黒人でアフリカの文化や言語に通じていただろう。また「キレネ人ルキオ」もまた北アフリカ、リビア出身の人であり、彼もまた教養豊かな人物だったろう。また少々変わった経歴の持ち主、「領主ヘロデ(ヘロデ・アンティパス)のご学友のマナエン」、このように背景の異なる多様な教師たちが、アンティオキア教会の宣教の働きを担ったということは、多文化、多言語によって教会活動が営まれていたことが、想像される。

そうこうしている内に、聖霊が告げたという。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために」。実際、これは非常にふさわしい企画であったろう。パウロはダマスコ途上で復活の主イエスに出会い、使徒となって以来、曲がりなりにも「宣教」には携わるが、それは行き当たりばったりの、自己流の働きであった。裏切り者として同胞から命を狙われるという危険な事態も生じて、行き詰まってしまった。だから故郷に引っ込んだのである。彼は「宣教の現場、実際」を知らなかった。バルナバはこのパウロに、どうにかして実践の学びの機会を体験させたかった。そこに聖霊が働いたのである。聖霊の指示によって、二人は宣教旅行に出かけることになる。パウロにとっては最初の宣教旅行である。行き先は「キプロス」、この地は他ならぬバルナバの故郷であった。土地勘もあり、知り合いや助力者を得やすかったという事情もあり、ここでならパウロの実践の学びに好都合だ、と判断されたのだろう。

ところがここでひと悶着起きるのである。「ユダヤ人の魔術師で、バルイエスという一人の偽預言者に出会った」。この魔術師は「エリマ」と皆から呼ばれていたということなので、この地では有名人だったと思われる。上手いこと地方総督に取り入って、その庇護でぼろい商売をしていたのだろう。そこにバルナバとパウロがやって来た。「総督」の役目はとにかく治安維持だから、よそ者が来て人を集めて何かやっている、と聞けば、その者たちの様子や素性を探らせるのが常道である。何か風変わりの珍しい話をするという。大体、総督職は暇だから、暇つぶしにバルナバとサウロを招いて、その珍奇な話を聞こうとした、という。ところが魔術師は折角の飯の種、パトロンである総督に、心変わりされたらかなわんとばかり、二人に対抗して、総督を彼らから遠ざけようとした。

負けず嫌いのパウロは、このせこい根性の魔術師をにらみつけて、呪いの言葉を投げかける。「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」実はこれ、かつてダマスコ途上で彼自身が味わった体験、そのままのことを言葉に発している。つまり、その魔術師に、パウロはかつての自分の姿を二重写しに見たのである。

魔術とは普通、このように説明される「超自然的手段を用いて、善悪いずれであれ自分が望むようにこの世の現象を操作し変えようとするものが魔術(マジック)である。パウロは魔術師ではなかったが、自分の信仰に熱心の余り、自分の正しさに固執し、自分が望むようにこの世の事柄を操作し、変えようとひたすら努力した人なのである。それがキリスト者への迫害という行動へと繋がって行った。かつてのパウロは、この魔術師とどっこいどっこいの人間であったのだ。自分の正しさ、自分の義に寄り縋る者は、真実が見えなくなる、つまりすべてに盲目となるのである。

岡山の玉島教会の牧師として長年働かれ、詩人としても多くの暖かな作品を世に送った河野進牧師の詩をひとつ紹介したい。『雑草のような母』と題された詩集の中のひとつの作品、『草花』。「お母さんはりこうでなくお世辞もいえず/病身ですから化粧したり/よい着物をきて出歩くでなく/茶がゆといわしずをよろこび/自然と子どもをあかずみつめて楽しんでいる/なんのみばえもない雑草のようでした/でもどんなきれいな花より/とげがなくてしたしみやすい野の花でした」。毎日の何気ない一日、その中に表される聖霊の御業とも言える神の働きがあることを知らされるような詩である。生活の中で、ほんとうに何を見るべきなのか、どのように生きるべきなのか、いや、どのように人は生きることができるのか、を静かに証している作品であろう。もうひとつの作品「ほころび」、「いたずらをして破った着物に/針を動かしている母の手を/なにげなく眺めていたが/心のほころびもつくろってくれる/母であったと亡くなって知る」。着物を繕うことで、子どもの心のほころびまで癒すことができる人がここにいる。

「時が来るまで」とパウロは言う。神の御心、神のまことがまったく分からず見えなかった自分も、主の憐れみによって導かれ、使徒とされ、今こうして主の働きの一端を担う者とされている。宣教旅行の中で、彼は神の計画の不思議さ、有難さをかみしめていたことであろう。自分には「難有」だが、そこに働く惠の「有難」さがある。目に見えないが「聖霊が働かれる」のである。人間は自分の正しさを立て、自分の目論見で計画を作り、自らの力で実行しようとする。ところが教会は、すべて聖霊の正しさによって、聖霊の目論見によって、聖霊の力によって、出来事が起こされるのである。だから私たちが思ってもみない出来事が起こり、思いがけない実りがもたらされる。そして本当に神が生きて働いてくださっているのを見て喜び、鈍いながらも恵みを知らされるのである。