「突然、強い風が」使徒言行録2章1節~10節

聖霊降臨日をお祝いする。今日は最初の教会の誕生日である。現在では、子どもや家族の誕生日を祝うことが当たり前になっている。しかし元々、誕生日を祝う風習はなかったとも言われる。誕生日を祝う習慣は、クリスマスから始まったというのである。キリストの誕生のお祝いが、人間の誕生を祝う習慣を生み出した。因みに、この国で最初に誕生日を祝ったのは、織田信長だったという。今日はペンテコステであると共に、花の日子どもの日である。教会に「子ども」が与えられていることの恵みをも覚えたい。どちらも生命を生み出す神への感謝を表す時でもあるだろう。

さて、今日は最初に皆さん方に質問したい。皆さんがひとりの子どもだとして、教会の夏のキャンプに参加している。いつも教会の礼拝に集う友達と、楽しい時を過ごしたいと考えている。ところがそのキャンプに、ひとりの外国人の子どもが参加することになった。その子は初めて日本に来たばかりで、まったく日本語が分からない。かといってその子の国の言葉を知る人も誰もいない。折角のキャンプである、皆で仲良くなりたいのだが、どうするか。
これは現実に、かつて私が働いていた教会の、夏のキャンプで実際に起こったことである。その子のお父さんは、日本に研究のために単身で留学していた。夏休みになったので、お父さんに会いにやって来たわけだ。ちょうど教会のキャンプがあったので、同じ年代の日本の子どもたちがいるので、参加したのである。大人は大人で集会を持っている。子どもは子どもで一緒に自由時間を過ごす、というプログラムである。
さて、子どもたちはどうしたろうか。やはり一緒に遊びたい。どんな遊びなら言葉が違っても分からなくても、楽しく遊べるか。いろいろ考えた末、トランプなら皆が知っているゲームが必ずあるだろう。そして「神経衰弱」ならできる、と分かって、皆でゲームをやり始めた。小一時間遊んで、打ち解けて、皆で自動販売機のアイスクリームを買いに行って、仲良くおいしく食べて、子どもたちは満足そうだった。

私たち大人はそれを横目で見ていた。実は、子どもたちはどんな反応をするだろう。これにどう対処するだろうかと心配と興味津々、半ばの気持ちであった。確かに「言葉の壁」に子どもたちはたじろいだし、どうしたらよいか子どもなりに悩んだ。ところが、いくばくかの試行錯誤の後に、あっさりとその壁を乗り越え、共に楽しむ術を見出し、実際、楽しんだのである。子どもの遊びの能力の巧みさに、私たちは舌を巻いたのである。「子どもは遊びの天才」と言われるが、まさにその通りである。海外の難民キャンプに暮らす子どもたちが、遊具など何もないところで、それでも遊ぶ方法を見つけ、共に楽しんでいる姿は、私たちに感動すら覚えさせる。
「遊ぶ」という言葉は、一説に「神様が自由に行動する」という意味だとされる。もともとは、神様にしか使わない動詞だったわけで、時代がたつにつれて、人間が心のおもむくままに行動して楽しむという意味になったという。だから神の大いなる自由さに人間も預かることが「遊ぶ」という言葉の深層だと説明される。子どもは神の自由さを、その身にまとっている、だから「言葉の壁」もやすやすと乗り越えられるということか。
今日はペンテコステ(聖霊降臨日)である。聖霊の働きによって、弟子たちが語り始めた記念の日、即ち、教会誕生の記念日である。さらに花の日子どもの日が今日である。2つの記念の日が重なり合う、なんと恵みあふれる日だろうか。但し、説教者にとっては、両方の話を、一緒くたにしなければならないので、いささか往生するが。
最近「子どもの声は雑音か」、という議論がある。あるジャーナリストはこう語る。「子どもが遊ぶ声がうるさい」との苦情を受けて「声を出さない」ようにマスク等で口を封じて遊ぶサイレントキッズの姿。その光景は怖いものがあるが、こうしたクレームへの過剰反応を見て、何の痛痒も感じない「大人」が増えていることがピンチだと思う。
初代教会の第一歩、弟子たちは一同に会していたが、いわば彼らは「サイレント・キッズ」沈黙の子どもたちであった。周囲を恐れ、外の人間たちを恐れ、内に閉じこもっている彼らは、まさに苦情を苦にして、迫害を恐れて、口にマスクをした如くに、自らの言葉を封印したのである。
言葉が閉ざされる、言葉が封印される、とは、外の世界との暖かな、血の通ったやり取りが、交わりが失われた状態にある、ということである。「言葉の壁」という言い方ができるだろうか。言葉とは、単にどこの国の言葉、何語ということに留まらない。たとえよその国の言葉をまったく知らなくても、キャンプに参加した教会の子どもたちのように、その壁を壊し、乗り越える方法は必ずある。
しかし、相互にふれ合おうとする「心」そのものが閉ざされてしまう時に、人間と人間の間には、大きな壁が立ちふさがる。たとえ何らかの言葉が語られたとしても、その言葉が呪いや憎しみや、攻撃や剣に充ちているなら、人は「言葉」が信じられないことで、心を拒否し、人間をも拒絶してしまうのである。人間と人間を隔てる壁は、さらに高く深く、厚くなる。現代の問題の根は、実はここにある。そして最初の教会の人々が、味わっていたことが、実にこれなのである。
弟子たち自身が、勇気をもって部屋の鍵を開けて、扉を開放し、外に出て行けばいいではないか、と言われるかもしれない。しかし、出て行こうにもどうしたらよいか分からない、どうしたら出て行けるのか、その方法がわからない、出口が見当たらないのである。さらに出て行ったところで、どうにかなる訳でもないだろう。誰も助けてくれないだろう。

この部屋の外には大勢の者たちがいた。「天下のあらゆる出身の信仰の厚い人々」であったと記されている。決して冷たい、心ない人々ではない。「信仰の厚い」とは、誠実な、信頼できる、憐みのある人々という意味でもある。病み傷ついている人のことを本気で思いやることが出きる人々である。では閉じこもっている人に対して、彼らが何か、扉を開ける働きを行うことができるだろうか。しかし彼らは「異邦人」、所詮、よそ者、外の者なのである。「言葉の壁」に阻まれているのである。弟子たち、そして外にいる人々、共々に「言葉の壁」が立ちふさがっている。そこにペンテコステの出来事が起こったと聖書は告げるのである。
2~4節「引用」、大風が吹き、弟子たちが集まっている家中を震わせ、炎の舌が現われひとり一人の弟子たちの上に留まった。そして弟子たちが新しい言葉を語り始める。象徴的な光景である。どんな人間の手でも、引っ張り出すことができなくても、「言葉の壁」に阻まれ、どんなに心が隔てられてしまっていても、風のようにその壁を震わせ、その壁を突き抜け、ひとり一人のいる処に、やって来る神の生命の風が確かにある、と聖書は告げる。その風、聖霊に吹かれたものは、新しく言葉が与えられ、新しい言葉を語り出し、新しい言葉を聞くのである。

私の古い友人が、かつて東ドイツがあった頃、ベルリンに留学した。東ドイツの冬は暗く、寒く、毎日、灰色の空の下、心までも灰色に染まりそうだったという。一番の問題は、「言葉」である。毎日毎日、努力して、何とか少しでもコミュニケーションできるように、と頑張ったが、うまくいかない。向こうの人から「お前のドイツ語は気持ち悪い」と言われ益々自信を無くした。段々とまわりの人と会話することもできなくなっていったという。クリスマスが終わったら日本に帰ろう、と心に決め、いわば名残の礼拝という気持ちで、クリスマス礼拝に参加した。礼拝が始まり、オルガニストが讃美歌の前奏を弾き始めた。急に気持ちが明るくなった。「いざ歌え、いざ祝え」ではないか。これなら日本語で歌える。懐かしくて大声で日本語の歌詞で歌ったそうである。そうしたらアフリカからの留学生、世界の様々な国々から来ている留学生もみな、それぞれ自分の国の言葉で、力いっぱい歌ったそうである。そこにいたドイツの人々も後で言うには、あんなに素晴らしい、心満たされた賛美は初めてだった、というのである。
それから友人は、外国語へのコンプレックスが小さくなったという。要は世界の言葉は、真ん中に「神の言葉」があって、それを方言で人々はやり取りして生きているに過ぎない。ドイツ語も日本語も、英語もアジアの言語も、アフリカの言葉も、みなその神の言葉の方言みたいなものだ。神の言葉が心にあれば、人は誰にも、どこの国の人にも出会うことができる。これが俺のペンテコステ体験だ、と友人は言うのである。
「ペンテコステ」、子どもは今も、遊びの中で、それに出会い、体験している。私たちもまた、「ペンテコステ」を生きることができるのである。