「羊飼いのいない羊のように」列王記上22章6~17節

「喜びは大袈裟(おおげさ)に、怒りは短く、哀(かな)しみは静かに、楽しさは無邪気に表す―。感情をこのように出せれば、人間関係も円滑になるだろう」。理想の人間関係のあり方に通じる言葉ともとれるが、これは先日、訃報が伝えられた堺屋太一氏が洞察した「犬の喜怒哀楽」の表現方法である。随筆『うちの犬、やっぱり一番可愛いな!』で指摘している。氏によれば、犬はめったやたらに、考えもなしに感情の吐露をしている訳ではない。犬は人間にかわいがられるノウハウを学び、何千世代にもわたってその方法を子孫に伝え、今やDNAに組み込まれているに違いないとまで力説する。そういうこともあるかもしれない。ある医療チームの研究で、犬を飼っている高齢者は、飼っていない人に比べ認知症になるリスクが低いことが分かった。飼育している人のうち、運動習慣があったり、社会的に孤立していなかったりする方が、さらに低い傾向だった、というのである。但し、犬は生き物、生命ある存在である。安易に飼うことはできないのは論を俟たない。それでも飼い主たる人間もまた、ただ一方的に犬の面倒を見るというだけでなく、、逆に犬から与えられるもの、かえって学ぶべき事柄も多くあるだろう。

さて、アドヴェント、待降節第二聖日を迎えた。アドベント第二主日は、「平和」と呼ばれる「ろうそく」を灯す。昨今の国際情勢を鑑みると、「平和への道」というのは遥かに険しいと思われがちだが、とどのつまりは、その道は「犬の喜怒哀楽」の表現方法に通じるものではないのか。「神は人間をまっすぐに造られたが 人間は複雑な考え方をしたがる」と旧約の知者が見抜く通りであろう。(コヘレト7・29)

12月中旬の頃になると、「この年を振り返って」が話題となる。そのひとつが「流行語大賞」であろう。但し、この年、あまり記憶に残るインパクトの強かった言葉が、余り浮かんでこない1年でもあったと言えようか。それでやはり、「アレ(A.R.E)」(アルファベットで記すのが正式なのだろうか?)が大賞となった。アレ(A.R.E.)、阪神タイガースの今季スローガン。選手が優勝を「意識しないように」という配慮から、岡田彰布監督が優勝を「アレ」と表現したことに由来する。普通、「言葉」というものは、「意識」と不可分に、密接につながっているから、これは「逆説的」な論理なのだが、この国の言葉についての感覚や特性が深く滲んでいる。意識しないとだめだが、意識しすぎると重圧となる、その辺りをあいまいに「忖度して」ということなのだろうか。

アドヴェント第二主日は、伝統的に「旧約における神の言葉」というテーマで、聖書個所が定められる。「神のみ言葉」が、どのように示されるか、現わされるか、どのように実現されるか、そこに集中しよう、というのである。それは過去のイスラエルの歴史を回顧することによって、今、新たに心に刻もう、ということなのだが、ただ過去を回帰するというのではなく、今、現在、神の言葉はどのように現わされるのか、どのような形がもたらされるのかを、思いめぐらせることにもつながるのである。

今日の聖書個所の1節「三年間、アラムとイスラエルの間には戦いがなかった」と記される。前9世紀半ばの時代である。わざわざこのように記されることに、注意を払いたい。つまり言外で「極めて稀な事態だった」と注釈しているのである。前922年に、全イスラエル王国は南北に分裂し、その後二世紀余り、分裂王国時代が続く。なぜ王国が分裂したのか、それはソロモンの後を継いだ不肖の子レハブアムが、世間知らずの親ガチャの威光をかさに、父王以上の重税を課そうとしたからである。エルサレム神殿の創建を始めとする都のインフラ整備のおかげで、国の経済はかなり逼迫、疲弊していたのに、己の権力を過信した若い統治者のおごりが分裂を招くのである。「ここには我々の嗣業(受け継ぐべきもの)はない、イスラエルよ、各々の天幕に帰れ」の掛け声と共に、王国は2つに分裂する。統一王国が誕生してから、80年程の時が経過した時代である。

それでも南北イスラエルは、周囲の国々と大小の小競り合い、紛争を繰り返しつつも、それぞれ独立を保って、なんとか折り合いをつけて国としての体裁を保ってきたのである。そういう状況のもとに「三年間、アラムとイスラエルの間には戦いがなかった」というのである。こういう国際情景を皆さんはどう考えるか。姑息な手段によっても「平和が保たれていた」のである。たとえ3年間とはいえ、滅多にないことであった。どうしたらこの「平和」が続いてゆくのか、とあれこれ思考を巡らすのが政治家たる者の発想であろう。ところがこの「平和」は宿敵アラムの弱体を示すものだから、この機に乗じて、かつての領土、ラモト・ギレアドを取り戻そう、とイスラエルの王は画策し、分裂した南王国の王ヨシャファトに声をかけるのである。老獪なアハズ王のしたたかな提案に丸め込まれて、南の王はまんまと北の王の策略にはめられ、いいように扱われ、ついにアラムとの戦いで手痛い目に会い、もう少しで命まで失うことになる。しかし「平和」では一致をせずに、「戦争」によって(利害が)一致する、というのは、古今東西、権力者のならいというものであるというのは、歴史の皮肉ではないか。

しかしそこはそれ、いくらお人よしの王とはいえ、ヨシャファトはイスラエルの一方の頭目としての最低限の威厳は持ち合わせている。5節「まず主の言葉を求めてください」と求めるのである。何はともあれ、イスラエルで先立つのは「主の言葉」なのである。たとえ不信仰だろうと、形骸化していようとも「神の言葉」なしには、兵隊を始め人間は動かないのを王は十分に知っている。もう一方の頭であるアハブもそれが分かっているから、400名もの預言者を招集して、数にあかせてエビデンスを構築しようと試みる。数に頼るのは、虚偽を正当化する常套手段である。

ところがさすがに王たるヨシャファトも慎重である。敢えてセカンド・オピニオンを求めるのである。そこでミカヤなる預言者が呼び出されることとなる。この孤高の預言者の素性はよく知られていない。神殿や宮廷にたむろする預言者団やエリヤ・エリシャ預言者団等の主流派閥に属さない、在野で独立して活動した預言者だったので、却って中立的かと見なされたのかもしれない。但し、アハブ王の側近が気をまわして、彼にくれぐれも「忖度」するようにと、圧力をかける。13節「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。」忖度は、旧約の時代にも有効なのである。

今から数年前、「今年の流行語大賞」で選ばれた言葉が、「忖度」であった。この国では、サンタクロースならぬ「忖度ロース」が跳梁跋扈しているのだという。相手のご機嫌を伺って、相手の意に沿うように、言葉を選び、言葉を発する、それが大人の嗜みのように見なされる。それができない未熟者は、世間で相手にされないのである。ところが今から三千年程前の時代の、この国からはるかに離れた近東の国での政治が、「忖度」で塗り固められていることに、私たちは何を思うのだろうか。

「忖度せよ」と言われて、ミカヤは余程嫌気がさし、気乗りがしなかったのだろう、適当にあしらって事を済ませようとするが、アハブにその心中を見すかされて、アハブ王に対して、極めて意味慎重なたとえに用いて、イスラエルの行く末にとって象徴的な託宣を告げるのである。17節「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ』と言われました。」一つの王国を形成してからも、イスラエルは、十二の部族からなる緩やかな結びつきの群れなのである。神によって結び付けられた人々であるが、否、そうだからこそ、決して一枚板で、ひとつの意見、一色の考えに塗り尽くされる人々ではない。しかしその違いを違いとして受け入れつつも、危機の時には互いに力を尽くし、助け合うことに努力を惜しまない人々なのである。しかし、どうしても心が通わず「共に」歩めない時に、彼らが口にしたことは「イスラエルよ、各々の天幕に帰れ」であった。自分の家に帰って、まず頭を冷やすのである。それぞれの家に戻って自分に立ち戻って、そこで主のみ言葉を再び新しく聞いて、また歩み出すのである。

こんな文章を読んだ。「ふと、『海外からのお客様は、本当は何を求めているのだろうか』と考えることがある。自分が海外の街に行った時、まずはその国独自の歴史や文化がわかる美術館や博物館などを見て回る。けれど、何より楽しいのは、なんでもない街並みや日常生活の風景との出会いである。石造りや煉瓦造りの住宅、細く入り組んだ路地、活気のある市場、店先の看板、暗い店内に座る人影などなど……。それらは皆、その国の歴史や文化が溶け込んだ当たり前の人々の暮らしであり、直に訪れなければ見られないもの、経験できないものばかりだ。それらを見て回るのが楽しくて嬉しくて、一日中足が棒になるほど歩き回る」(宮田慶子「海外観光客の見たいもの」11月19日付日曜論壇)。

救い主の誕生に最初に招かれた人々、ひとつは異邦人である東方の博士たち、もう一方は夜野宿をしていた羊飼いたち、どちらもよそ者で、「主の言葉」を告げられて、ベツレヘムの家畜小屋を訪れ、生まれたばかりのみ子主イエスに出会い、その後、どうしたか。自分の家に帰ったのである。博士たちは「別の道を通って」、羊飼いは「主をあがめ、賛美しながら」帰って行ったのである。それぞれの家に帰って、閉じこもったのではないだろう。また再び、歩み始めたであろう。新しい人生の歩みを与えられて。もちろん、占星術や羊飼いをなりわいとして過ごしただろうが、しかし、それまでと同じ人生の歩みではなかったはずである。「主は生きておられる。主がわたしに言われる事をわたしは告げる」。私たちの間で、生きておられる主のみ言葉を聞いて、私たちもまた生きるのである。