祈祷会・聖書の学び ルカによる福音書21章5~9節

「形あるものは壊れる」と言われる。この世の中、どんなに高尚で美しいものでも、あるいは高価で惜しみなく財が投入されたものでも、不変なものは存在しない。この国を代表する自然の風物である富士山も、もう一度大噴火をすれば、あの気高い山容は失われるだろうと言われている。自然の造形は常に変わり続けるものである。だから人間は、人工の所作によって、何とか不変を生み出そうとしてきたのだとも言える。

ヨーロッパの古い教会堂の中には、数百年かけて建築された大聖堂があるが、それ程、長い期間をかけて造成されるとなると、未だ建築途上にありながら、完工された個所に。すでに修復が必要になって来るという事態が生じる。新築しつつ修復しつつ、という作業が並行して行われることともなるのは、この世性の顕著な現われといえるかもしれない。ましてや古代の建造物が、全く形を変えずに姿を留め続けるなどというものはまずない。エジプトのピラミッドや古代ローマ帝国のローマン・コンクリート建造物が、今なお目にすることができること自体、稀有な事なのだろう。

5節「ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると」、イドマヤ出身のヘロデ大王が、ユダヤ人の歓心を買うために行った事業の最大のものは、エルサレム神殿の大改築であったとされている。初代のエルサレム神殿は、栄華を極めたソロモン王によって、当時の富の贅と技術の粋を尽くして、紀元前10世紀に建造された大神殿であった。近隣諸国でもこれほどの建造物に並ぶものはなく、イスラエル人ばかりでなく異邦人も足しげく訪れるような、いわば観光名所ともなったのである。古代の宗教施設が、単に信仰の場としてだけの役割を果たしたのではなかったことがうかがい知れる。現代の施設に比するなら、「テーマ・パーク」と呼ぶことも可能であろうか。

ところが前6世紀に、イスラエル・ユダ王国は、バビロニア帝国によって滅ぼされ、かの豪奢を極めたソロモン神殿は、まったく灰燼に帰するのである。その後、半世紀以上、エルサレムの町は戦乱に荒廃したまま放置されることになる。やがてバビロニアも斜陽の時を迎え、成り代わってペルシア帝国がメソポタミアの覇権を握ると、バビロンに捕囚されていたユダの人々は、故郷に帰還の勅令が下される。ペルシア当局は、捕囚の民への帰還措置として、資金提供の上、神殿再建というインフラ事業を展開するが、ソロモンの新神殿とは比べるべくもない貧弱なたたずまいであったという。かつての神殿を目にしていた年寄は、あまりのみじめさに「泣いた」と伝えられる。今も「嘆きの壁」の前で、涙を流す風習は、この時に始まるという。

ヘロデはこの貧弱な「第二神殿」の大改修に手を染め、工期40年余りを費やし、ヘロデ神殿とも呼ばれるインフラ事業を成し遂げるのである。確かに異邦人の統治者の人気取り企画ではあったが、大祭司はじめ最高法院、ユダヤの上層部にとっては、歓迎すべきものであった。神殿の壁面は、わざわざ地中海から取り寄せた大理石の鏡板で覆い、金モールで縁飾りを施す豪勢なしつらえで、ソロモン以上の見事さとの大評判を取るのである。それが今日の聖書個所での、神殿を訪れている人々の会話の背景にある事柄である。

今日の聖書個所は、神殿崩壊、しかも礎石すらも残らず覆されるとのすさまじい破壊について記されているから、福音書記者は、ヘロデ神殿の崩壊を熟知しているのではないかと推測され、しばしば執筆年代の手掛かりを与えるものとみなされる。神殿には火が放たれ、建物は灰燼に帰した訳だが、その後に、ローマの兵隊たちは、礎石をはがしてその下部に溶けて固まった金を採集したと伝えられている。高度な土木建築・技術者でもあったローマ兵にとってはそのような徹底した破壊作業はお手の物だっただろう。

では、主イエスの神殿崩壊の預言は、ユダヤ戦争の記憶を基にした教会の伝承による、全くの後日談かと言えば、やはりここに、主イエスの鋭い「神殿批判」を読み取ることができるのではないか。バビロン捕囚前後に活動した預言者エレミヤの時代に、ユダの人々の間に「これは主の神殿だ、これは主の神殿だ」という合言葉が語られたことが伝えられている。「神の神殿」なのだから安心していていい、これまで存続し続けたように、未来永劫、神殿は神のご威光の下、いつまでも不変であり、永遠なのだとする楽観的な観念が流布していたのである。それが次第に神殿の権威付けになり、「神聖にして犯すべからず」というような絶対視の風潮が台頭してきたということである。主イエスの時代には、政治的独立はローマに握られているにせよ、ユダヤは「神殿体制」のもとに不変であるとのイデオロギーが支配していたのである。

そういう時代精神の中に生きていたナザレのイエスは、「神殿体制」の欺瞞性と危うさについて直感的に見抜いていたのであろう。6節「イエスは言われた。『あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。』この言葉は、ユダヤ戦争の記憶伝承以前に、実際に神殿を見上げながら、ふと口にされた主ご自身の言葉である可能性を否定できないであろう。いつか、ユダヤとローマは軍事的な衝突を免れず、一戦を交える時が来るだろう。そうなったら軍事力の優位さからユダヤはひとたまりもない。政治であれ宗教であれ、権力に手を伸ばす輩は、必ず衝突するのが歴史の常道である。この「神殿批判」の発言によって、主イエスは十字架刑へと追い立てられることになるが、当時の絶対的な権威である「神殿」を巡って、このように相対的な、あるいは自由な見方ができたことは、驚嘆に値する。

主イエスにとっては、神殿であろうがローマであろうが、大差ない相手であり、どちらも抑圧的な支配力を行使するものでしかない。問題はユダヤ戦争以後の教会の目指すところである。浮足立ち、情勢に巻き込まれ、急進的な動きが生じる恐れがある。そこで立つべき姿勢はどのようなものか。9節「戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」このみ言葉も、後の教会伝承としてのみ理解するのではなく、主イエスの精神が息づいていると見なすことができるだろう。ことが起こるとバイアスがかかり、人間はすぐに極端に反応し、行動しようとする傾向がある。「極端」は未熟の表れであり、ぶれの原因でもある。悪く言えば様子見、優柔不断の姿勢であるが、「神の国」、即ち「神の支配」に対して、人間の取り得る態度はそれ以外ないであろう。「神殿」はどんなに壮麗でも、結局、人間の手の業なのである。