「自分を救ってみろ」マタイによる福音書27章32~56節

こういう文章を目にした。背中には表情がある。楽しそうに揺れているときもあれば、さびしげにたたずんで見えるときもある。不思議に感情が伝わる。山あいの農村で、主婦たちが「からだほぐし」の教室を開いていた。手伝いに訪れた演出家の竹内敏晴さんは、隅で一人、からだを固くして座っている女性を見かけた。ひどく苦しそうなので横になるよう声をかけ、背中にてのひらを当ててみた。〈ざらざらの、涸(か)れ果てた川床のような、冷え切った感じが、腹までしみてくるようだった〉。人の背中がこれほど荒れ果てるものかと驚いたという。5、6人に手伝ってもらい、その背中に手を当てた。みな、彼女が嫁いできてからの苦労を知る人たちだった。日が暮れかかるまで、そうして手で温めていると、彼女は静かに泣きはじめた。やがて泣きやんだとき、背中はわずかなやわらかさを取り戻していた(『癒える力』2021.3.1有明抄)

「まず自分でできることはまず自分でやる。自分でできなくなったらまずは家族とか地域で支えてもらう。そしてそれでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。そうした信頼のある国づくりというものを行なっていきたいと思います」。昨年9月に現在の総理大臣が、テレビで語ったご自身のヴィジョンである。「自助、共助、公助」、おそらく、この国に住む人々のほとんどは、こんなお説教を聞く前から、当たり前のようにこのように生活し、それぞれの人生を営んで来たのではないか。今もそうである。

先ほどの文章、これは大昔の記録ではなく、つい十年ほど前の記事である。「ざらざらの、涸(か)れ果てた川床のような、冷え切った感じが、腹までしみてくるようだった。人の背中がこれほど荒れ果てるものか」。この女性の背中に、生きるという事の実際、現実が映し出されていると言っても過言ではないだろう。この女性は、生を享けてからこの方、自分にできることを、ひたすら当たり前のように行って来たのである。毎日毎日、生活を何とかしよう、生き抜こう、暮らしを立てよう、その帰結が「涸れ果てた川床のような背中」なのである。自らを助けようとする懸命の働きが、この女性の自らの身体と心をぼろぼろにしていったのである。

その背中に5,6人の人が手を当てる。日が暮れかかるまで、そうして手で温めていると、彼女は静かに泣きはじめた。やがて泣きやんだとき、背中はわずかなやわらかさを取り戻した、という。この文章は『癒える力』と題されているが、癒しがどこから来るか、救いがどのようにもたらされるのかを、象徴的に語っているだろう。自分の背中には、自分の手は届かない。硬くこわばった自分の背中に、手を当てて温めたくても、悲しいかな届かないのである。そこに届くのは、自分以外の他の人の手しかない。

今日の聖日は「棕櫚の主日」、受難週の始まりである。それぞれの福音書は、皆、受難物語を語っているが、相互に共通する描き方であることから、早い時期にそれだけまとめられ、文書化されていたのではないか、と推測されている。極めてドラマ性が高い筆致なので、実際、初代教会で、これを用いて受難劇が催されていたのではないか、とまで考える学者もいる。今でも、クリスマスには、教会でページェント、「聖劇」が催されることが多い。子どもの数より大人の配役の方が多かったりする。それでも楽しい。演じて自分が楽しいのである。キリシタンの時代も、この国の信者たちは、仲間内で「劇」を上演して、楽しんでいたと伝えられている。それが初代教会から受け継がれた伝統だとしたら、聊か想像するに楽しい。

今日の個所は、主イエスが十字架に釘付けにされ、血を流し、息を引き取られるもっとも痛ましい場面である。マタイはその様子を記すのに、マルコを引き写しながらも、ある場面を特に強調している節がある。即ち、主イエスの十字架の周りを取り巻く人々の様子、その「生の声」を再現しようと試みている。今日は「棕櫚の主日」、つまり主イエスがエルサレムの町に入城して来られたことを記念する聖日である。預言者の言葉の通り、小さく非力な子ロバに乗って、都に入られた。人々は「ホサナ、ホサナ」と喜び迎えたという。何も洗濯していた訳ではない。「どうかお救いください」という意味である。そしてその声は一週間経たないうちに180度変わる。「自分を救え、救ってみろ」。非常に象徴的な意味合いを含む言葉である。

「救ってください」と言っていた人々が、今は「自分を救ってみろ」と罵る、十字架の周りにいた人々が、主イエスに浴びせかけた言葉である。さらに同じような言葉が連ねられている、「自分は救えない」。この2つの言葉、「自分を救え」、と「自分を救えない」、実にこの2つの言葉の間に、人間の人生は置かれているのではないか。

若い時に、しばしば高校の生徒を連れて、介護施設にボランティアに行っていた。食事の際のお手伝いをすることが多かった。中には手づかみで食べている方もいた。「手づかみは問題ではないか」という顔をしていたのだろう、後で施設長さんが説明してくれた。「例え手づかみでも、自分の持っている力を何とか使って生活する。それがその人の生きる力を保つことになる。手づかみでもそれが自分を救うことになる」。確かにその通りだろうが、そうした自分の生きる力がいつまでも、永遠に保たれ、続くわけではない。いつか人は自分の能力、獲得してきたもの、作り上げてきたものを、ひとつ一つ手放して、行かなければいかないし、最後には、すべてを手放して旅立たねばならない。

十字架を取り巻き、見上げる人々が口にした罵りの言葉、「自分を救え」という言葉、さらに「自分を救えない」という言葉、これを口にした人々は、主イエスを罵り、嘲っていると思っているが、実は、自分自身の身の上にそのまま帰って来るブーメランのような言葉ではないか。「言葉」は、良くも悪くも語ったその当人の所に、そのまま舞い戻ってくるようなところがある。「人を呪わば、穴二つ」なのである。主イエスに投げつけた言葉は、そのまま自らを裁くものとなるのではないか。

現在、首相の言葉ではないか、「自分を救え」といろいろな所で私たちはせき立てられている。「まず自分でできることはまず自分でやる。自分でできなくなったらまずは家族とか地域で支えてもらう。そしてそれでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。そうした信頼」がこの国に本当にあるのか、果たして本当にそれで、人間は「自分を救う」ことができるのか。

まず兵士が、次に祭司長や律法学者が、さらに通りがかった人たちが、ついには主イエスと同じように、その右と左に十字架に付けられた強盗どもも、主イエスをののしり、侮辱した、と記されている。ある研究者は、これらの人々は「人類のすべてを代表している」と注釈する。つまりどんなに嘲ろうと、罵ろうとも、「自分の救い」の問題から、無縁な人はいない、という事である。そしてこの嘲りに、罵り返すことなく、反論することなく沈黙し、じっと聞いている主がここにおられる、しかも十字架に釘付けられて、血を流しながら。

自分の背中には、自分の手は届かない。背中に他の人の手が触れられて、この女性は静かに泣き始めた、という。「救い」は、自分のみ通り、願い通りになることではない。自分のことが何でも自分でできることでもない。余人には知るすべのない、ひとり一人の人生のまことが、一人で放っておかれるのではなく、触れられて分かち合われる時に、これまで生きて来たこと、今生きていることが、善しとして受け止められるのである。その背中にあてられた手の中に、主イエスの掌が、十字架で傷を負われた掌もあてられている。

 

 

 

 

「地震があって考え方が少し変わった。「日常」の価値は「非凡」で、「日常」はパズルみたいに/ピースを集めると成立するんだと考えるようになった。前は、ただ「日常」を,だらだら同じことのくり返しで、限りなくある物で、それがやっと終わったら死ぬんだと思っていた。私は、今生きていることが尊いと考えるようになれた。それは、地震でゆいいつ得た物だと思う」(真生12歳)『だけど、くじけない』「長倉洋海と東北の子どもたち」より。