「追いかけて」使徒言行録8章26~38節

7月に入り、梅雨が本格化し、長雨の時期を迎えた。先週、九州地方では豪雨が続き、一時、121万人に避難勧告が出された。土砂崩れが発生し、死者も出た。1年前に起きた西日本豪雨を思い出す。土砂崩れなどによる死者は200人以上に上った。被災地では今も多くの人が避難生活を強いられている。

「眺め」という言葉は「長雨(ながめ)」に由来するという。梅雨に物思いにふけることから「眺む」と言うようになったとされる。大雨の中では、外に出ることもかなわず、家の中で所在なく、時を過ごし、雨を眺めて物思いにふけった昔の人の生活のありさまを思うが、彼らもただぼうっとしていた訳ではあるまい。いつどこで大雨が降るかは分からない。専門家は堤防などの整備だけでは被害は防げないとして「危険が迫る前にいち早く逃げることが大切」と警告している。時を知り、自然や世界を見る目を曇らせてはならないだろう。

皆さんはものを考えるとき、どんな場所が好ましいか。図書館や書斎など、本がある場所で、机があり、静かで、空調が聴いていれば、考えるのに良い環境は整っている、と言えるだろう。ところがお膳立ては良くても、人間、必ずしもそれに順応できるとは限らない。どうも人間は本質的に「ワガママ」にできているらしい。

昔からものを考えるに良い場所は、「3B」であると言われる。3つのBが頭に着く場所のことである。まず“Bath”「風呂」あるいは「トイレ」である。究極の個室、狭くて落ち着くのが良いのか。そして“Bed”「寝床」である。私の恩師のひとりは、寝床の周りにたくさんの本を積んで置いて、明け方に目を覚ますと、その本を手に取り、寝床の中で説教の案を練ったという。寝ながら説教ができるとは、さすが大牧師だと感心したが、自分ならいつの間にか眠ってしまい、夢の中で説教が完成した夢を見て、起きてから慌てるのが関の山だろう。さらに”Bus”「乗り物」の中である。かつては行き帰りのバスや列車の中で、一心に勉強していた学生の姿を見かけたものだ。今はスマホばかりであるが、それでもスマホで勉強している人もいるかもしれない。

今日の聖書の個所で、エチオピアの女王カンダケに仕える宦官が、馬車の乗って国に帰る途中の風景が語られている。おそらく彼は女王の親書を、シリアあたりの国に届けるために命じられて、公務出張をしたのであろう。この機をとらえて、天下に名高いヘロデが改築した「エルサレム神殿」を一目見ようと、寄り道をした帰りなのだろうか。「神殿」は決してユダヤ人以外立ち入り禁止、という狭量な場所ではない。「異邦人の庭」が設けられていて、参詣人ばかりか物見遊山の訪問客、異教徒の絶えないテーマパークのような場所で、祭りの時などには、あらゆる国々から人々が詰めかける場所であった。

神殿と聞くと、厳かで神々しく、静謐で奥ゆかしく、俗世から隔絶された聖なる空間のように思える。確かに絶え間なく、大聖歌隊や巡礼者の賛美の声が響き、ラッパや竪琴、笛、太鼓等の楽の音が奏でられ、四六時中祈りがささげられ、律法学者や導師の辻説法や講釈がおこなれている。実際、人の数の多さは言うまでもなく、犠牲を捧げる場所であるから動物の数も夥しく、家畜の鳴き声がそこいら中から聞こえ、市場や両替やみやげ物を売るたくさんの屋台の店員の売り声も喧しく、「喧騒」うるさくさわがしいことこの上なかった。

この宦官は念願の宮もうでをして、馬車に乗って家路をたどる途上にあるが、道中の徒然を読書しながら紛らせている。彼が手にしている書物は、旧約のイザヤ書である。この聖書の分冊を、彼はどこで手に入れたのだろうか。おそらくエルサレム神殿の境内で求めたのではないか。もしかしたら土産物として、ギリシャ語訳旧約聖書の分冊が販売されていたのかもしれない。当時の大方の人は、文字が読めず書くことができなかった。文字を知ることは、知識人たる証であり、学者であった。職業柄、彼はその道のプロであったろう。ところが文字は読めても、即その内容を理解する、分かる、腑に落ちるということにはならない。「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」。今も昔も事情は同じである。

このひとりの人、遠くエチオピア国に住む、異教徒の、宦官という職にあるひとりのために、神はフィリポを遣わすのである。アフリカのエチオピアは、聖書に何度も登場する馴染み深い国でもある。聖書では、そこは良質な金を産出し、高度な古代文明を築いた国と記される。ソロモン王の下に、彼との知恵勝負をするためにやって来た「シバの女王」は、エチオピアを統治した王であったとも伝えられる。

20世紀は「難民の時代」と言われた。ところが現在、紛争や迫害を逃れて住む場所を追われた国内外避難民は世界で7080万人に上ったことが、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の報告書で明らかになっている。将来、21世紀こそ「テロと難民の世紀」と名付けられるかもしれない。統計を取り始めた1951年以降で最大の数である。エチオピアで昨年、156万人が「新たに」難民と化し、世界最大を記録したが、国際社会は驚くほど無関心だ、とニューズウイークは伝えている。

26節「引用」、「エルサレムからガザに向かう道」、ここに但し書きで「そこは寂しい道である」と付記されているのが注意を引く。口語訳では「そこは今は荒れ果てている」と訳されていた。日中でも、ほとんど人通りがない、ということである。人から顧みられることがない、見捨てられていると理解することもできる。「ガザ」、かつてペリシテ人の町として知られ、現在、パレスチナ難民ら200万人が暮らす地区である。過激派組織ハマスとイスラエル双方の報復攻撃が繰り返され、血が流され続けている。「今は荒れ果てている」、現代でもこのみ言葉がそのまま表れているようだ。「荒れ果てている」とは、外面的な道の様子ばかりでなく、人と人との心の行き来が途絶えている、心の修復がなされていないとも読めるではないか。その道に歩むように、神はフィリポに命じるのである。「霊がフィリポに、『追いかけて、あの馬車と一緒に行け(寄り添って行け)』と言った」という。このみ言葉は、最初の教会の宣教、伝道の実際について、隠喩的象徴的に語るものであろう。