「追い出さない」ヨハネによる福音書6章34節~40節

 

この5月1日に、こういうコラムを記した新聞があった。

子どもの頃、明治生まれのお年寄りはずいぶん昔の人のように感じた。中村草田男が「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだのが昭和6年(1931年)だから、昭和も後半ともなれば、明治は「大昔」だった。同じく三つの元号を生きる昭和生まれも、そのうち「大昔の人」扱いされるようになるのだろうか。明治生まれの祖母に、小さい頃に、感じた思いがそのまま切り取られているような文章だ。ある芸能人が、「西暦は本の通しページ、元号は章立てに当たる」、との見解を語ったが、すでに私の人生が。過ぎ去った過去の「章ページ」のように見なされているように思えてならない。

今日は「母の日」である。今朝は、この日を覚えて全体礼拝を守る。この世に生を受けた者には、皆、母がある。私もあなたも、老いも若きも、主イエスにもまた、母はあった。教会は初めからそれをはっきりと言い表してきた。「処女マリアより生まれ」。福音書でこの母は、頗るリアルに描かれてもいる。公生涯での活動の中にある息子のことを心配して、身内の者たちと取り押さえ、連れ戻しに来たのである。もちろん、そのような母という存在のありがたさ、尊さを思い、感謝することに吝かではない。しかし私たちは、全てを主イエス・キリストの神とのかかわりの中で考え、その神の働きを通して、受け止める必要があるだろう。そうでないとただ人間を賛美し、ひたすら称えるという偶像礼拝に陥るのである。どんなに清く尊くても、過ち易い人間への賛美が、どれ程の悲劇や地獄を生み出すか、繰り返し歴史は証言している。いくら偉大な母であろうとも、ただの人間である。子どもはその愛の前に成長するが、苦しみもするのである。
今日は、私にとって懐かしい思い出の、昭和の一冊の絵本を取り上げたい。長谷川修平作『はせがわくんきらいや』、1976年、私の学生時代に出版された。長らく品切れだったが、最近復刊された、と耳にした。すでに40年以上前の絵本である。古典と呼んでもいいだろう。その時に生まれた赤ちゃんが、オジサンオバンサンになる年齢の年月である。父母となり、子どもがいれば、小学生くらいの時期を迎える年月である。聖書もまた「40年」という年月を、出エジプト後の荒れ野の彷徨に準えて、ひとつの時代の終わりと始まりを示唆している。

忘れられない一冊である。この絵本について著者の後書きにこう記されている。「昭和30年森永乳業徳島工場で製造されたドライミルクに含まれていたヒ素によって、西日本中心に二万人以上(推定)の乳児が身体に異常をきたし、百二十五人(昭和三十二年当時)の赤ちゃんが死亡しました。私は昭和三十年、兵庫県姫路市に生まれ、母乳が出なかったためこのヒ素ミルクを三缶飲んでいます」。この絵本は、著者の幼少体験が深く裏打ちをされている。そしてこの私がこの世に生を受けた時とも、重なる時代なのである。母や祖母からこの出来事を、沈痛な表情で、直に聞かされた記憶が、今も頭の隅に残っている。少しの時間、共に絵本を味わってみたい。

身体が弱く、泣き虫で、へまばかりし、自分に厄介ばかりかける「はせがわくん」を、ぼくは許せない。「きらいや!」と宣言する。しかし、何もかもめちゃくちゃで、普通でないはせがわくんのことが、なぜか気にかかる。はせがわくんのおばちゃんに聞くと、赤ちゃんの頃、ヒ素という毒の入ったミルクを飲んだせいだ、と教えられる。「なんでそんなもん、のませたんや、わからへん」とつぶやく。このつぶやきは、不条理な人生に対する嘆きと、そういう不幸を生み出す人の世に対する怒りと、自分のせいでもないのに過酷な人生を負わされることに対する、深い共感がないまぜになっているだろう。「どうしてそんなもんのませたんや」と問うても、「なかよくしてあげてね」と言われて、そのおばちゃんの“母としての“悲しみを受け止めて、やっかいな「はせがわくん」と辛抱強くつきあって行く。しかし、相変わらず「はせがわくん」のために、迷惑をこうむり、心配し、世話を焼き続ける。「はせがわくんなんか、だいだいだいいきらい!」と言いながら。
今日の聖書に、本当に教会の私たちが、常に心に留めておかねばならない、主の言葉がある。「わたしのもとに来る人を、わたしは追い出さない」。重い言葉である。この世界は、私たちの作っている社会は、「人を追い出す」、場所である。ここはあなたのいる処ではない。規則によって、戒律によって、資格や能力、学力、経済力によって、性別や踏み絵によって、ここはあなたのいるべき場所ではない、ここから出て行けと、命じるのである。好き嫌い、気が合う、気が合わない。賛成か反対かで、ここから出ていけ、と宣言するのである。

悲しいことだが、聖書に、よりによって教会が、人を追い出す有様が、伝えられているのである。ヨハネの手紙三10節。人の世は、まさにそのようであろう。教会よ、お前もか。しかし「大嫌い、大嫌い」と言いつつ「大丈夫か」と心配し思いやる、そういう人間の現実もあることを、知るべきである。
神学生時代の最後、お世話になった教会の牧師は、私の大先輩であった。いろいろお世話になって、心遣いを受けたことも多々あった。が、ぶつかることも多かった。聖書の読み方について、教会のあり方について、たびたび議論になる。「あんたと私は、気が合わん」と面と向かって言われた。卒業後、20年程して、ある機会に自宅にお招きし、食事を共にした。少しの間ではあったが、私の家族と共に時を過ごしてくださった。その時に言われた。「あんたと私は気は合わんかったけど、ここでこうして暮らしている。よかったなあ」、「気は合わんかったけど」とは、「嫌いだ」の婉曲表現である。「嫌いだ」と言いながらも、家庭を築き、教会で仕事ができていることを、我がことのように喜び、祝福してくれている。「はせがわくんのきらいや」の心は、人間の真であることを思う。
「自分の意志(気持ち)ではなく、神のみこころを行うためである」。ただ神の心によって。神のみこころを深く知り、そのみこころを最初から最後まで貫いて、十字架に架かるまでに生きられた方が主イエスである。「神のみこころを聞き、それを深く知る」とは、祈りをもって生きることに他ならない。主イエスは何より祈りの人であった。
「だいじょうぶか、はせがわくん」、これはまさに、祈りの言葉である。そして母の心とは、端的に「祈りの心」を指すであろう。「母は涙、乾く間なく、祈ると知らずや」。昔の賛美歌の一節である。「祈り」のなくなる時に、家族はばらばらになり、教会もばらばらになる。神の真に、アーメンという時に、人間同士がつながれる。それは神とのつながりなしには、人間は本当の絆を結ぶことができない、ということであろう。「母の心」を一言で言えば、「祈りの心」である。この母の日に、家族を結ぶ「祈り」の心、人と人とのつながりの中にある「祈りの心」を、しっかりと覚えたい。