「1987年6月6日、イギリスのロック・ミュージシャン、デヴィッド・ボウイが、ベルリンの壁の西ベルリン側でコンサートを開催した。第二次大戦後、分断国家となったドイツは、かつての首都ベルリンも東西に分かれた。社会主義国である東ドイツの建国にともない東ベルリンが同国の首都となったのに対し、資本主義圏である西ベルリンは、東ドイツ領内に取り残された陸の孤島と化した。ベルリンの壁は、東西ベルリン間の住民の移動を遮断するため、1961年に東ドイツにより東西ベルリンの境界線上に築かれたものだ。ベルリンでのコンサートで、ボウイは観衆にドイツ語で『今夜はみんなで幸せを祈ろう。壁の向こう側にいる友人たちのために』と呼びかけた。このとき会場に設置されたスピーカーのうち4分の1は、東ベルリンに向けられていた。壁の向こう側には、コンサート前から若者たちが集まり、その数は5000人にもふくれあがる。終演後も群集はなかなか立ち去らず、東ドイツ当局による逮捕者も出た」(2017.6.6文春オンライン)。
壁を設けて、物理的に人と人とを隔てることはできるだろう。しかし壁で一切の繋がりを絶つことはできない相談である。かのアーティストは、壁の前でコンサートを行い、壁の向こう側に歌と声を響かせた。「ことば」は、やすやすと物理的な隔ての壁を超えるのである。現在、SNSに象徴されるように、「ことば」の波は、良くも悪くもグローバルの拡がりをもって拡散し、容易にその波を押しとどめることはできない。真実もフェイク(虚偽)も一緒くたになって、奔流となって人間を巻き込んで行く。そこで発せられる「ことば」が、暴言や雑言となって人に襲い掛かり、生命を押しつぶすこともしばしば指摘される通りである。歴史的にどんなに強大な壁も崩れ落ち、朽ち果て、ついに廃墟となって来た経緯がある。問題は、壁ではなく、壁を超えて聴こえてくる「ことば」の方なのだ。そのことばの真実を、どう聞いてゆくのか、何を聞こうとするのか、ということである。
ヘブライ人への手紙9章に目を向ける。「地上の聖所と天の聖所」と表題が付けられているように、ここでは「聖所」が問題にされている。「聖所」とは、神のいます所であり、そこで人と神とが出会い、コミュニケ―ションが計られる場なのである。今、私たちはそのような場をどこに設けることが出来るのか。この手紙が記された時代は、ユダヤ戦争が終結して後、大分時が経過した時期と思われる。地上の最初の教会は、主イエスの十字架と復活の地、エルサレムに成立した訳であるが、最初のキリスト者たちは他のユダヤ教徒と変わることなくエルサレム神殿に参詣し、そこに詣でる人々と交流しながら、宣教を行っていたのである。やはり神殿は神のいます所であり、そこで神とのコミュニケ―ションがなされることは、最初のキリスト者にとって自明のことだったのである。
ところが紀元70年に起ったユダヤ戦争において、エルサレムはローマ帝国の軍事攻撃によって崩壊し、神殿は灰燼に帰したのである。ユダヤの精神的支柱であった神殿が失われたことは、キリスト者にとっても大きな打撃であったことは、容易に推察される。「わたしたちはどこで、どのように神と出会いふれあうことができるのか」。
2節「この幕屋が聖所と呼ばれるものです。また、第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました」。イスラエルの人々は、早い時期には「幕屋」で、王国時代には「神殿」で礼拝を守ったことが知られている。その内部は仕切られており、奥には「至聖所」と呼ばれる神が臨在する処と目される空間が設けられていた。そこには神から授与された十戒の板を収めた「契約の櫝」が安置され、一対のケルビムの翼が覆い守るように設えられていたという。しかし罪ある人間には、神の御顔を見ることはできず、「神を見た者は死ぬ」と信じられたから、誤って見ることが無いように至聖所には「垂れ幕」が引かれ内陣とは隔てられたのである。この垂れ幕は、分厚い緞帳のようなもので、幕などではなく隔壁の如きものであったようだ。
6節「祭司たちは礼拝を行うために、いつも第一の幕屋に入ります。しかし、第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入りますが、自分自身のためと民の過失のために献げる血を、必ず携えて行きます」。ここでどのような祭儀が執り行われるのか、至聖所には年に一度だけ、ただ大祭司ひとりだけが入ることを許され、己と人々の罪の赦しを求める犠牲の血を注いでとりなしの祈りを行うのである。しかし大祭司とて罪ある人間のひとりである、神を見ないように、至聖所にはもうもうと煙幕のように香が焚かれている。さらに万が一、大祭司が神を見て死んでしまったら、死体をそのままにするわけにはいかないから、祭服には無数の鈴とそれらとふれる金属片によって、身体が動けば絶えず音が鳴るように工夫されていた。もし音が途絶えたなら腰の帯につながったロープを引っぱって、至聖所から外に連れ出すのである。このような有様での「とりなし」、即ち神とのコミュニケーションにどういう意味があるのか訝しく感じられるが、それでも兎にも角にも神へとつながる途があることは、人間にとって、大きな恵み、安心ではあるだろう。
ところがそのような神殿は、もはや地上にはないのである。キリスト者は、どのようにして神と繋がることが出来るのか。10節「キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられた」とヘブライ書は記している。つまりキリストご自身が、大祭司としてお出でになり、自らの血によって罪の赦しを得させるとりなしを行い、永遠の贖いとなってくださった、というのである。福音書は、主イエスが十字架で息絶えられる時、「神殿の幕が真っ二つに裂けた」と伝えている。もはやいかなる地上の神殿も必要でないし、人と神を隔てる幕も取り去られた。主イエスが神とわたしたちの絆となってくださったのである。この主のみ言葉は、人間のどのような隔ての壁も通り抜け、固い壁をも崩すのである。聖霊によってみ言葉が運ばれる所、そこに連なる神もおられるのである。
デビット・ボウイ氏によるあのコンサートを通じて、西側の「自由」を知った人々は、その2年後、1989年11月にベルリンの壁を崩壊させることになる。そのライブの時に、壁の向こう側の人々を最も興奮させた曲が、“Heroes”だと言われている。この曲は、ベルリンの壁の監視塔の下でデートを重ねる恋人達について詠われる。「壁際に立ちながら、銃弾が頭上を飛び交う中、僕等はキスした、恐れなど少しも無いかのように」。ほんとうのヒーロー(英雄)は、将軍や大統領ではなく、暴力で人と人とを引き裂く壁の下で、それでも愛し合い、希望を失わずに生きる人々のことだ、と「愛の力」が力強く歌われる。主イエスの十字架への歩みを思わされる。私たちへの愛を貫くことの帰結が、十字架への途、苦しみの途であった。もはや隔ての壁は取り除かれたのである。