平和聖日礼拝「信じないで恐れた」使徒言行録9章26~31節

今年も8月を迎えた。敗戦後76年目の夏である。今日は「平和聖日」礼拝を守る。戦後76年が過ぎたと言っても、やはり私たちにとって8月は他の月に勝って、「平和」を覚え、祈念するときである。間もなく今年の「ヒロシマ・ナガサキ」の原爆忌もめぐって来るが、この3月末の時点で、12万7755人の被ばくされた方が存命されているという。決して過去の出来事、忘却の事柄と言うことは出来ないだろう。

さて、被爆地ひとつ長崎の地元紙、長崎新聞に、次のようなコラムが記されていた。  〈…被爆者の皆さんも『被爆者』である前に1人の生活者だったり高齢者だったりするわけで、世界の核状況や日本政府の不誠実に四六時中憤ってるわけじゃなく、笑ったこと、うれしかったこともたくさんあるはずで…〉。今週の月曜、被爆者の山田拓民さんのお別れの原稿を書きながら、少し前に「ながさき時評」執筆者の山口響さんとこんな趣旨のメールをやり取りしたことを思い出した。画面や紙面の被爆者がいつも怒っていたり、心配顔だったりするのは、言うまでもなく、毎度毎度そんな場面で登場をお願いしてきた新聞社やテレビ局の責任である。だが原爆の日の体験が被爆者の数だけあるように、その後の長い年月も、喜びも悲しみも一人一人違っているはずだ。そんな話もじっくり聞きたい-と長いこと考えながら、なかなか形にできず、今年も8月が近づく。

「原爆の日の体験が被爆者の数だけあるように、その後の長い年月も、喜びも悲しみも一人一人違っている。そんな話もじっくりと聞きたい」とひとりの新聞記者は感慨を語る。「平和」ということは、こういうひとり一人の、ひとつとして同じものはない「喜びも悲しみも」じっくりと聞ける、ということなのだろうと思う。そしてその一つひとつの語りを憶えて、次の時代に手渡していく、ということが平和を創る力となって行くのだろう。

この聖日も「日ごとの糧」の聖書個所からみ言葉を学びたい。但し「日ごとの糧」の聖書個所は、伝統的な教会暦に則っているので、殊更「平和聖日」を意識して選ばれている訳ではないが、偶々とはいえ、不思議なことに「平和」について、少しく考えさせられる個所でもある。

31節にこう語られる。「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」と記されている。もう少し原文に即して訳せば、「さて、教会は全ユダヤ、ガリラヤ、サマリアにわたって、平和を保ち、主(へ)の恐れによって建てられ、歩み、聖霊の呼びかけによって増えて行った」。初代教会、それもごく早い時期に、教会の状況がどのようであったのか、がコメントされている。ここで「平和を保ち」という言葉に目が留まる。何よりも教会には「平和があった」というのである。ではその「平和」とは、いかなるものなのだろうか。

「平和」と言っても、一様ではない。かつて「正義の戦争よりも、偽りの平和の方がましだ」と作品中に主張した作家がいたが、「偽りの平和」、どんな平和なのか分からないが、そういう平和もあるのだろう。「平和」という時に、よく例に上げられるのは、「パックス・ロマーナ」と呼ばれる平和である。「ローマの平和」、即ち、強大な武力により、周囲の諸国を制圧し、敵を根こそぎにして生まれる平和である。ローマ帝国は地中海周辺に、「ローマの平和」を生み出したと評された。確かに最盛期のローマ帝国は、まさにそのようであった。ところが歴史の証言する処、さしものローマ帝国も、やがて衰退し、没落し滅んだのである。

それでは初代教会の平和とは、どのようなものであったろうか。ある聖書学者は、今日の聖書個所に記されるように、ほぼその通りの状況が生じていたろう、と推測している。パウロがキリスト者となって、初めてエルサレム教会を訪問した時の次第である。まだ迫害者としてのイメージが先行し、キリスト教会に受け入れられていないことから、著者のルカは、「サウロ」というユダヤ名でパウロのことを呼んでいる。

26節「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた」。さもありなん、皆、教会の人々、主イエスの弟子たち、あるいは教会が出来てから召されて教会に集った人々、皆が、彼のことを「恐れた」というのである。使徒のひとり、ステファノの殉教に一枚噛んでおり、キリスト者捕縛のために、意気揚々とダマスコに乗り込んだ男なのである。今日のネットやSNSと同様、古代では「噂」が立ちどころに広まる。もちろん彼が回心し、洗礼を受けたという情報も、教会内には「噂」として広まっていただろう。しかし、その「噂」情報が、そのままストレートに善意をもって、まっすぐ人々に受け入れられる訳ではない。パウロという人物についての評判は、「迫害者」と「回心者」の間で、微妙に揺れ動いていたことであろう。どっちつかず、はっきりと分からない、曖昧模糊という時に、人間は非常に恐れるものである。

ところが、「恐れて」いたのは、教会の人々ばかりではない。28節「それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった」という。パウロもまた「恐れ」の中に、最初の教会の人々とのふれあいをしていたのである。それはそうだろう、お互いに得体のしれぬ間柄なのだ。こういうところに、「平和」を創り出す時の課題の典型が潜んでいるのではないか。「恐れ」と「恐れ」がぶつかり、互いの「恐れ」に絡めとられてしまい、疑心暗鬼にかられ、身動きできなくなる。やわらかさや広さ、寛容を失うのである。初代教会もまた、人間の「恐れ」の中に置かれている。

ところが、人間が「恐れ」の中で生きているにしても、教会にはまた別の力が働くのである。ひとつはとりなしの人、バルナバの働きである。この人は余程、気のいい、面倒見の良い人物である。弟子たちの仲間に加われないで、うろうろおろおろしているサウロ・パウロに声を掛け、一緒に連れ立って、使徒たちの所に案内し、今までの事情や彼の身に起った次第をすべて語り、執り成し、口添えをしたというのである。それでようやく「サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった」のである。ここで「自由に行き来し」と記されているが、正確には「ともにいて、行き来し」、「ともにみ言葉を語った」というのである。バルナバがいなくては、パウロの働きもなかったといって良い。

人間の「恐れ」が、どのようにしたら解消されていくかが、実にはっきりと伝えられているのである。ひとりがひとりに出会うところ。肩書や付加価値なしに、あたりまえのありのままの人間が、ここで出会う。教会は今も昔も変わることはない。ひとり一人の人間が、ともに行き来し、ともに主の言葉を、お互いに聞いて聞き合って、語り、分かち合う時に、人間の「恐れ」は変えられていくというのである。

最初に紹介した新聞記事だが、このように文章は続く。昨日の記事によると、全国の被爆者数は3月末時点で12万7755人。前年より9千人近く減った。人数は日々変わる。それでも丸めた数字で書く気になれない。今週の「ながさき時評」には〈どんなに小さな確率の出来事も当事者には“1分の1”〉とあった。私たちはあとどれぐらい被爆者の「1分の1」の物語に迫ることができるのだろう。残された時間は、本当に本当に短い(7月3日付「水や空」)。

平和の根源にあるものは、「1分の1」の出会いだと記者は語る。どれくらい被爆者の「1分の1」に迫れるだろうか。確かにもう残された時間は短いであろうが、それでもひとりと一人の出会いなしに、平和はとらえることのできない事柄なのであろう。

「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって」。教会の基礎には何があったか。「人間への恐れ」ではなく、「主への畏れ」が支配していたという。まことに主を畏れるところでは、人間への恐れは取り除かれる。人間を恐れることなしに生きられるというのは、何という慰めだろうか。まさしく聖霊の慰めがそこにある。そしてこの2つが、「教会の平和」を創り出す。このところに教会の基、そして平和が据えられるのである。