祈祷会・聖書の学び エズラ記7章11~28節

この月の15日で敗戦後78年目を迎える。この国の主要な町々が焦土と化し、多くの生命が喪われ、あらゆる事柄が壊滅的打撃を受け、そこからの「復興」の歩みが今日に至るまで続けられてきた。敗戦という過酷な状況からの再出発であったから、とにかくその日一日を何とか乗り切るべく生きるための懸命な努力が続けられる道程だったゆえに、「復興」についての十分な検証が伴わなかったことは否めないであろう。

それから現在に至るまで、国土が再び戦争の惨禍に巻き込まれることはなかった幸いを深く心に留める。そこに平和憲法の働きがあったことについて、やぶさかであってはならないだろう。とはいえ、重大な自然災害には、繰り返し見舞われてきたのである。「世界の十分の一の自然災害を担保する」と評される程、この国は災害大国でもあるから、被災と復興の問題は、さまざまに議論の要となって来た。辞書の定義によれば、復旧とは「元通りにすること」であり、復興とは「再び盛んにすること」を意味するというが、モノのレベルでは、元通りかそれ以上に復元することもできる。ヨーロッパの古い教会が、戦災で破壊された時に、瓦礫となった建築資材を、もう一度積み直すことで復元されたことを思い起す。古代遺跡等の復元がその好い例である。ところが人間の生活というレベルで見た時には、「復旧」という概念は基本的には成り立たないのである。元々の喪われた事柄、とりわけ生命は、元通りにはならないのである。そういう次元で「復興」とは何をもって言うのかが、問われて来たのである。

被災者にとって、自分が被災者であると意識しなくなるまでには長い時を要し、復興のすべてのサイクルが終わるまでは、さらに非常に大きな時間がかかる。その生活を立て直すためにいろいろな取り組みや内的外的な支えが必要であり、「生活の再建実感」が得られるまでが、復興のプロセスだと言えるだろう。被災者にとっては、以前の日常には戻ることは不可能であるが、新しい現実を受け入れ、その新しい枠組み中で、人生を再構築していくことが、復興へとつながっていく。つまり、復興とは「人生の再構築」ともいうこともできるだろう。

エズラ記1章~5章までは、紀元前538年のバビロン捕囚からの解放から、前516年のエルサレム神殿(第二神殿)建設の歴史記述であり、7章以下からネヘミヤ記に至る記述には、前458年から前433年にわたるエズラ、ネヘミヤの宗教改革の次第が記されている。即ち、バビロン捕囚後の新しいイスラエル・ユダヤの歩み、つまり今でいうところの「復興のプロセス」が記されているのである。

今日の聖書個所では、ユダの民を捕囚にしたバビロニアを滅ぼしたペルシア帝国の王アルタクセルクセスが、捕囚民ユダの祭司、エズラに宛てて記した「王の親書」が主な内容となっている。この親書の命に従って、エズラは祖国エルサレムに帰還して行くのである。

もっとも彼は祭司としてではなく、イスラエルの律法に詳しい書記官と位置付けられている(6節)。つまり、ペルシアの行政官(役人)に任じられていたということである。12節以下のアルタクセルクセス王の親書には、「天にいます神の律法の書記官」と記されている。即ち、ユダヤ関係担当官として、ペルシア王から派遣されて、公式にイスラエルを訪問する訪問団の代表としての務めを担ったわけである。

王の親書には、大体、次のような勅命が記されている。まず神の律法に従ってユダとエルサレムの現状について情況調査をすること(14節)、またエルサレム神殿のために献金を持参し(15、16節)、供え物を献納すること(17節)、そしてユーフラテス西方の役人に対する神殿への銀、小麦、葡萄酒、油、塩の供給命令(22、23節)、さらに神殿に仕える者の免税(24節)、⑤司令官、裁判官を任命すること(25、26節)が記されている。まさにペルシアの姿勢をよく伝えている内容である。被占領民に対して、随分の鷹揚で寛大な措置であるが、ペルシアは歴代列強の統治の次第を知っており、武力だけで支配は出来ないことを熟知していたという訳だろう。

彼が祖国に帰還したのは、ソロモン王が創建した、最初のエルサレム神殿が破壊されてから130年後、キュロス王の帰国・神殿再建命令が発布されてから80年後、そして、第二神殿完成からおよそ60年後のことである。すでに少なからず時間が経過している。特にキュロスによる祖国帰還の許可が出されてから、ほぼ1世紀近くの時を経ていることになる。これはどういうことだろうか。解放の赦しが出されたのなら、欣喜雀躍して帰還の途に就くのではないか。

恐らく、勅命によって祖国帰還が許されても、捕囚民ユダの末裔たちは、その後、随分長い間バビロンに留まり、中々祖国に帰ろうとしなかったのではないか。捕囚地バビロンでは、ユダヤの民の生活のための生活の資やインフラが、十分に整えられており、それを捨ててまで荒廃したままのユダ、エルサレムに敢えて戻ろうとしなかったということである。おそらくバビロン捕囚での、一番の課題は、ユダの民の、後ろ向きの姿勢をどうするかであっただろう。人はまだ見ない未来より、目の前の幸いに、心を向けるのである。現状維持は悪いことではないが、ともすれば、自分たちの誇りやアイデンティティを失う原動力となる。ここで「復興」とは何かが、鋭く問題にされているということができるだろう。

勅命を受けたエズラは、ユダの地、生まれも育ちもバビロン子の彼にとっても、そこは未知の場所である、への出発にあたってこう語る、28節「わたしは、わが神なる主の御手の加護によって勇気を得、イスラエルの中でわたしと共に上って行こうとする頭たちを集めた」。その時に彼を支えたものが、「神のみ手から来る勇気」、つまり「聖霊の働き」と「共に上って行こうとする者たち」の存在であったということも、興味深い。

「復興の力になるもの」は、一人ひとりが自律し、連帯し合い、つながりの場をもつことであることだと言われる。エズラ押し出したものは、それに他ならない。結局、イスラエルは、神の強い御手によって約束の地への導かれた民なのである。神の置かれた場所で根を降ろし、そこで花を咲かせ、神の栄光を表す恵みを受けているのである。そのみこころに生きるためには、魂の「勇気」が必要である。それは人間的資質ではなしに、神の賜る力、聖霊の発露と言えるであろう。