祈祷会・聖書の学び サムエル記上20章24~42節

太宰治著『走れメロス』は、この国の人々に最もよく知られた小説のひとつだろう。国語の教科書にも、しばしば転載されている。著者は文末に「古伝説とシルレルの詩から」と元ネタを明らかにしているが、「メロスは激怒した」から始まり、「勇者はひどく赤面した」に至る、一気呵成のきびきびした文章は、読者の心を強く魅了する。メロスとその友セリヌンティウスの心の絆を描いた物語であるが、この話の背景には、著者、太宰の実際の人生経験が、投影されているという。こんな逸話が伝わっている。

夫、太宰が、熱海の宿屋に長く入り浸っているのを心配した奥様は、友人で作家仲間の檀一雄氏に宿賃と交通費を託し、連れ戻して欲しいと頼む。しかし、作家は素直に帰宅するどころか、友人を引きとめて豪遊し、持参した金もみな使ってしまった。支払いに困った太宰は、檀氏に、金を工面するまで宿で人質になって欲しいと頼み、ひとり旅館に残し、東京の恩師・井伏鱒二氏の所へ行ったという。何日経っても太宰が帰らないので、井伏氏の家に檀氏が行くと、何と二人は将棋に興じていた。さすがに腹を据えかねた檀氏に、太宰が「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」、拍子抜けするような返事、太宰は井伏氏に借金の申し出を中々言い出せなかった、のである。こんな厚かましい体験が、見事な文学に結実する。「勇者はひどく赤面」するはずである。

古代の文学において、最も人々の関心を集めたのは、「友情の物語」である。世界最古の文学と評される『ギルガメシュ叙事詩』にも、主人公ギルガメシュと、その友エンキドゥの熱い友情が語られているが、最初エンキドゥは、獣のような野蛮な有様であったが、主人公との出会い、喧嘩や対立を経て、友情を結び次第に人間となって行く。つまり人間の社会性は、友情によって育まれることを、既に見抜いているのである。

さて既述のように、サムエル記の中心は、「ダビデの物語」であると言えるが、その中でもとりわけ秀逸なのは、主人公ダビデと、彼が仕えたサウル王の息子、ヨナタンとの篤い友情を描いた部分である。この魅力的な二人が、篤い友情を育んだことは、歴史的にも確かであろうが、それにもまして、古代の人々は、この強い友情で結ばれた二人の運命に、胸を熱くし、あるいは涙したのであろう。この章はその中でも最も感動的な、二人の別離が描かれている個所である。これ以後、ダビデとヨナタンは二度と会うことはない。

二人の友情の、事の発端は、ヨナタンの父親サウルの精神的不調にある。サウルはイスラエルの初代王である。イスラエルは長くゆるやかな部族連合を形成し、平穏時にはそれぞれの幕屋にそれぞれ過ごし、危急の際には一致団結するという組織であった。しかし周囲の国々に対抗するため中央集権的な王国に移行するが、まだまだ体制としては未熟であった。その時期に王として選ばれるのが、サウルであった。彼は体力知力、見た目にも優れていたから、イスラエル人々の耳目を集め、推挙されたのである。ところが、王としての職務に従事する内、内政、外政、軍事に渡る激務のために、次第に調子を崩していく。「悪霊に憑かれる」と聖書は記しているが、その内実は、過度のストレスによる神経症であったと推測される。それでも「美しい楽の音を聴くと、王の心は静まり、一時、悪霊は離れた」と伝えられるように、音楽療法が有効だったようだ。そこで全土から「音楽の巧みな者」が求められ、羊飼いの末子、ダビデが召し出されることとなった。竪琴を奏で、即興で歌を詠う「吟遊詩人」、「シンガー&ソングライター」のはしりが、ダビデであった。

王の音楽療法士として王宮に召し出されたダビデが、程なく、ほぼ同い年のヨナタンと友誼を結ぶようになったことは、偶然ではあれ、自然の成り行きであった。しかし、ダビデは、ただサウル王専属の「イケメン少年アイドル」ではなかった。宿敵ペリシテ人との戦の際に、その名を聞いただけで震え上がる、敵方の名だたる武将、ガトのゴリアト(いかにもごつそうな名前!)との一騎打ちで、丸腰(羊飼いの道具、石投げ紐を使って)で倒すという仰天ものの武勲を上げたものだから、民衆の関心と期待は、一気にサウルからダビデに向かうこととなった。ポピュリズムの見本のような構図である。これによってサウルは、激務に嫉妬が増し加わり、病膏肓に入ったのである。もはや楽の音にも、心静まることはなく、息子のひとりのような年若いダビデを、亡き者にしようと図るまでになった。

これに最も心を痛めたのは、サウル王の息子、ヨナタンである。父親と親友との間にあって、反目する二人の関係の修復を何とか図ろうと、幾度も試みるのだが、ついに王は実の息子に対しても、怒りに任せて槍を投げつけるなど、見境がつかない状態に陥っていることを知らされる。懸命なとりなしにもまったくそっぽを向く、父王の狭量な振る舞いに、もはや観念したヨナタンは、無二の親友ダビデに対し、父王の下から逃亡し、身を隠すように告げる。それが今日の場面である。

「彼らは互いに口づけし、共に泣いた。ダビデはいっそう激しく泣いた」(41節)。おそらく聖書の中で最も感動的な場面のひとつが、ここだろう。まだ年若い二人が、互いの身の上を案じ合い、運命の非情さを悲しみ、別離を強いられる無念さを、共におんおん泣くことで表している。聖書の人々は、涙を知っている。「主よ、あなたはわたしのさすらいを数えられました。あなたの皮袋にわたしの涙を蓄えてください」(詩56編9節)と詩編詩人は歌うが、これこそがイスラエルの真心なのである。

別離によって、涙を押し留めることの出来ない友に対して、ヨナタンは慰めを語る。親友と実父の間にあって心痛め、悩みぬいて来た人間だから語ることのできる言葉であろう。「安らかに行け、わたしとあなたの間には、主がとこしえにおられる」。神は、実に人と人の間におられ、絆となりたもうと語られる。遥か究めなき天上に、あるいは深い冥府の底に、おられる神は、人と人との間にも、手が届くがごとくおられるのである。

「ふたり、または三人が、わたしの名によって集まっているところには、わたしもまたそこにいる」、あるいは「神の国は、あなたがたの間にある」と主イエスは私たちに告げられた。人と人とが出会い、そして関係を育み、共に生かされることができるのは、間におられる方が絆となってくださるからである。その絆は、生きる時も、死ぬときも途絶えることはない。この後、程なくして、ヨナタンは父王と共に出陣し、親子ともども、戦場の露と消える。