祈祷会・聖書の学び サムエル記下6章1~19節

昨年からのコロナ禍により、この国のいろいろな行事、イベントが中止の憂き目を見たが、日本の三大祭りのひとつに数えられる「京都祇園祭」の山鉾巡礼も、残念ながら中止となった。歴史を遡ると、この祭りは疫病退散を祈願した祇園御霊会(ごりょうえ)が始まりで、古の平安京ではたびたび疫病が流行し、人々は祟りや疫病の恐怖に脅え、それに対処すべく読経、神楽・田楽や踊り等、宗教儀礼が行われて来たと伝えられる。やがて平安末期には疫病神を鎮め退散させるために、神輿渡御や神楽・田楽・花笠踊りや、山鉾を出して市中を練り歩いて鎮祭するようになったという。登場する山鉾は、現在全部で33基あり、それぞれにご神体が祀られ、様々なご利益があるといわれるが、「疫病退散」の祈願から始まったこの祭りが、コロナ感染症のために開催中止となったことは、皮肉なものである。

サムエル記下には、サウル王の後を継いで、全イスラエルの第二代王となったダビデの事績が主に語られている。ダビデからソロモンに王権が継承されていく歴史(王位継承史)の記述は、聖書の中で最も古い時代に、文字となった部分とみなされている。

今日の聖書個所は、王国初期時代の宗教儀礼、祭儀の実際を知る上で貴重な情報を伝えるテキストである。まだイスラエルには神殿は建築されておらず、「幕屋」の形で礼拝が営まれている。「神の箱」とは十戒の石板を収めた櫃のことであるが、車輪のついた屋台に乗せて運ばれていたことが分かる。丁度、祇園祭の「山鉾」のような風情である。周辺諸国のように、神殿という固定された宗教施設を設ける伝統がなかったイスラエルでは、統一王国時代になっても、神の臨在のしるしである「神の箱」は、車輪のついた台座の上に置かれて、様々な場所に移動しながら祀られた。特に戦争の際には、戦場にまで引き出されたのは、その箱が神の大いなる力を発揮すると信じられたからである。6節に牛に引かれた台車が何かの加減でバランスを失い、神の箱が荷崩れを起こしたのを、ウザが手で支えようとしたところ、7節「主は怒りを発し、神はその場で彼を打たれた」と記されるが、この出来事は、重い櫃がウザの身体を押しつぶした突発事故を、神の箱の超自然的力によるものと解釈されたことを示すものだろう。古代の観念によれば、神は荒ぶる恐るべき力を発揮し、禍幸どちらにも働くのである。だから荒ぶる力を持つと信じられる象徴を台車に乗せて、街路を経めぐるというのも、この力によって悪霊やその働きによって起こる疫病を退散させることが期待されたのである。

ダビデが、自らが造営(増築?改築?)した町、エルサレムに、この恐るべき箱を掻き上ったのも、練り歩くことで、反対派の謀反を封じる呪術として、あるいはパフォーマンスとして行ったと理解されるであろう。彼が行った神の箱パレードは、非常に祭儀的であり、かつ大衆の目と心を、十分に意識したものだからである。

まず神の箱パレードには、さまざまな鳴り物入り楽器(今ならオーケストラ)の演奏に合わせて、非常に大人数の隊列と共に行われている。もっともウザの事故があったために、慎重になったダビデは、神の箱を自らの町に運び入れるのを延期している。おそらくはこの時、より効果的な演出方法を思案したことだろう。

その一つが、民衆の前でエフォド、つまり「祭司の服(エプロン・ドレス)」を着て、踊ることであった。14節「主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた」。豪奢な宮殿の奥の玉座や輿の上から、人々を睥睨するのではなく、また錦繍の王衣や鎧姿の元首としてではなく、神に仕えるひとりの祭司として、質素な祭服を着用し、人々の観ているすぐ目の前で、激しく舞い踊ることによって、強い親近感と共感をも呼び起すことを、十分に計算していたようである。

さらにパレード見物に集まった人々全員、男にも女にも、「輪形のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子」を与えたと伝えられる。思いがけなくハレの日の引き出物を頂戴した人々は、新しい王の気前の良さにも、心打たれたことであろう。これらの引き出物は、古代イスラエルにおいて、中々しゃれた贈答品でもある。「踊り」のパフォーマンスと「おやつ」のプレゼントは、女性を味方につける大きな布石となったであろう。否が応でも、ダビデの名声は高まったことが伺える。

但し、先王サウル王の娘で、ダビデの妻となったミカルは、夫の行動を不快に感じ、皮肉っぽく揶揄している。20節「今日のイスラエルの王はご立派でした。下々の者たちの前で裸になって、まるであほな道化を見るようでしたわ」。おそらくミカルはサウル王の宮廷で育ち、何も分からず政略結婚的にダビデの妻となったのだろう。ダビデが逃亡中は、実家に戻ってしまって、すぐに違う男と結婚していた。ダビデも王位に着いた後、「妻に逃げられた王」という口さがない連中からの噂は良くない、と自分の面子の為に、サウル家に対し、かなり強硬にミカルを自分の元に戻すことを求めているから、二人の間の愛は冷えているのだろう。

彼女に対するダビデの返答、22節「主の御前でわたしは踊った。わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前の言うはしためたちからは、敬われるだろう」。これこそ彼の政治哲学の根本を、ひとことで言い表している言葉であろう。ポピュリズムというなら、最も典型的なポピュリズムである。しかしこれ程、実際的効果的な政治手法があるだろうか。

およそ近隣諸国の王は、神の代理人、現人神として「犯すべからざる」存在として自らを表したのである。自らの巨大な虚像を刻み、大伽藍の神殿、宮殿を造営し、あるいは神の如き武功を歴史に刻むのである。しかしダビデは全くその逆を演じる。人々の目に裸の自分をさらし、神の前に精いっぱいの喜びを表し、人々と共に分かち合う、それこそが王としての振る舞い、また「神のかたち」としての王を証するのである。古代において、こんなにも直に肌感覚で、自分のありのままをさらけ出し、人と触れ得る感性を持ちえた人物がいたとは驚きである。偉大な王ダビデも、一人の人間であるから大きな罪や過ちを犯すのであるが、それでも、裸の自分を包み隠すことをしていない。現代のユダヤ人も、聖書の人物の中で最も好感度を高く評価するのは、やはりダビデなのである。