祈祷会・聖書の学び ネヘミヤ記6章1~15節

1989年に「ベルリンの壁」が突如崩れると共に、「東西に分かれていた世界が一つになった」、というような希望が人々の間に広がった。それから30年程して、2017年、気がつけば世界各地に新しい、人間を隔てる「壁」が次々出現している。現代は新たな分断をもたらす壁とどう向き合うか、が鋭く問われている時代である。

人間は「壁」なしには生きて行けないのか、という素朴な疑問が心に浮かんでくる。この国の個人住宅でも、大して広くもない敷地に、ブロック塀をぐるりと巡らせ、門を設えた趣の建物が多い。なぜ「塀」を造るのかと言えば、それは「治安」のためだという。不心得者が勝手に居住地に侵入し、害をなさないための防衛だ、というのである。ところが、「塀」があるために、却って外から目隠しとなり、犯罪を助長する面があるとも指摘されており、ブロック塀は地震に至って脆弱なので、倒壊し、生命の危険すら及ぼすという。

しかし、人類が遊牧生活から定住生活に移行し、領地を壁で囲うようになって以降、自らの土地を確保し、社会を築いていく過程の一端を、「壁」が担うようになったのは事実である。「壁」というと、私たちはすぐに「外敵」の侵入を防ぐため、と思いがちであるが、元々の目的は、飼われている家畜の逃亡を防止する意味が大きかったという。一番の財産は家畜であるから、それが逃げ出せば、捕まえるにも一苦労、野獣に襲われる可能性も大きく、それ以上に、隣近所との良好な関係を乱す原因にもなってしまうかもしれない。

それでは現代、国際レベルでの「壁」の構築の意味とは何があるだろう。識者はこう語っている。「ただ、国家が国境を管理する手段として、壁は古すぎます。金ばかりかかって非効率的で、役立たずの中世の遺物。『万里の長城』のような観光資源に過ぎません。ベルリンの壁』のように重装備のフェンスを築くならともかく、普通なら上を越えられるかもしれないし、下をくぐられるかもしれません。ただ、シンボルとしての価値は、壁には大きい。人々は壁を見て、心強く感じるかもしれません。トランプ(元大統領)や他の移民排斥主義者たちが現在問題にしている『壁』も、単なる政治的シンボルです。メキシコとの間に壁をつくるなんてばかげた発想ですが、彼らはそれを、支持を集める手段として利用しているのです」(ジェームズ・ホリフィールド)。

パレスチナの古代都市の多くは、メソポタミアの主要な町々に倣って、城塞を築いて町を巡らす構造を持っていた。イスラエル王国の中心地となったエルサレムも典型的にそうであった。紀元前11世紀に、ダビデ王がエルサレムを征服する以前には、この町はエブス人の本拠地だったとされるが、すでにこの町が堅固な壁に守られた重厚な城塞都市であったことが伝えられている。そして息子のソロモン王は、父王以前に遡る古い町の壁を大きく拡大した。その中に神殿が建てられ、町は繁栄の象徴として、聖書のイスラエル民の「都」となったのである。ところが紀元前587年に、メソポタミア地域の覇者バビロニア帝国に王国は滅ぼされ、神殿はもちろん、エルサレムの城郭は、壊滅的に破壊される。その後、アケメネス朝ペルシア帝国領時代の紀元前440年頃、ネヘミヤがアルタクセルクセスの勅命によりバビロンから帰還し、市壁を再建したと今日の聖書個所は伝えている。

ネヘミヤが「城壁の修復」を命じられたのは、キュロス王の「解放の勅令」発布から。ほぼ1世紀ほど経過した時代である。神殿が再建されてからも、すでに半世紀を優に超える年月である。なぜ遅まきながら「城壁の復旧」が行われたのか、「シンボルとしての価値は、壁には大きい。人々は壁を見て、心強く感じるかもしれません。移民排斥主義者たちが現在問題にしている『壁』も、単なる政治的シンボルです」という識者の見解が、ここにも当てはまるかもしれない。やはり「城壁がなくては、不安だ」、それは国の独立、自意識と不可分であろう。だからこそ今日のテキストで語られるように、復興事業を行う統括者ネヘミヤに対して、周辺の国々(町々)から強い圧力がかけられるのである。やはり破壊され、荒廃するままに放置されて1世紀を経過しているのである。神殿の再建にあたっても周囲からいろいろな横やりが入ったが、殊、城壁となると政治的な目論見が強く絡んで、頑強な抵抗も加えられたことであろう。

ネヘミヤにいろいろ難癖をつけて陥れようとした「サンバラト、トビヤ、アラブ人ゲシェム、その他わたしたちの敵」は、エルサレム周辺の都市国家の首長と目される人々である。彼らは既得権が侵されることを危惧して、さまざまな妨害工作を弄するが、上手く行かなかったため、ついにネヘミヤ自身を暗殺するか,失脚させてエルサレム再建を断念させようとし、執拗にも繰り返し「会見」を申し入れる。が、毅然としてネヘミヤはそれを拒絶し,工事を優先させる。それでも引き下がらずに,最後(五回目)の書簡は公開状の形で届けたという。その内容は,「ネヘミヤが密かに王になるために,ペルシャに対する反逆を計画しているという噂が広まっている」ので,「自身の潔白を示すために、会見で弁明せよ」と唆し、これに応じないのは「謀反の下心」があるからだと無理やり誘き出そうとする。しかも「公開状」であるから衆人に周知される仕組みで、拒絶は「暗にこれを認めた」ことになる、と脅迫するのである。

ネヘミヤは、自らの復興事業に介入、阻止しようとする動きに対して、まったく「忖度」をせず、まったく「ぶれずに」事業を続け、二カ月足らずの内に、城壁の復旧をやり遂げるのである。この精神力と集中力には舌を巻くが、これが技術者魂、実務家魂の発露なのであろう。しかし、なおも彼を亡き者にしようとする人々の画策は、巧妙に彼に迫る。「敵の魔の手(暗殺)から逃れるために、神殿に身を隠せ」と彼に親切そうに助言をする預言者もいたが、実は敵に買収されており、一般人には禁忌の場所に足を踏み入らせて「重大なスキャンダル」画策を目論む、危うい誘いなのである。同胞の預言者ですら信頼できない四面楚歌のような中で、彼が自らの仕事に邁進できたのは、どうしてなのかを、深く汲み取らねばならないだろう。

「わたしが恐怖心から彼らの言いなりになって罪を犯せば、彼らはそれを利用してわたしの悪口を言い、わたしを辱めることができるからである」。古代において「恥」は「死」と同じ意味合いである。「恐怖心」とどのように対峙するかが、人間にとっての大きな課題である。「シンボルとしての価値は、壁には大きい。人々は壁を見て、心強く感じる」、壁を求める理由である。人間には「壁」が必要であろう。但し、ネヘミヤにとって、「安心」を与える「城壁」とは、エルサレムの町を囲む「石の城壁」ではなく、「城壁」となってくださる「神」の御手なのである。彼に託された、甚だ困難な復興事業を支えた真の力は、ここにこそあると言えるだろう。