祈祷会・聖書の学び フィリピの信徒への手紙1章19~26節

「ヤマアラシのジレンマ」と名付けられた喩えがある。このコロナ禍の期間に、しばしば引用された小咄でもある。「この印象深い寓話は、気分屋で悲観主義の哲学者であったアルトーゥル・ショーペンハウアーの物語である」とされ、『哲学小品集(Ⅴ)』「第三一章 比喩、たとえ話、寓話」に次のように記されている。「第396節 やまあらしの一群が、冷たい冬のある日、おたがいの体温で凍えることをふせぐために、ぴったりくっつきあった。だが、まもなくおたがいに棘の痛いのが感じられて、また分かれた。温まる必要から、また寄りそうと、第二の禍がくりかえされるのだった」。

心理学者たちはこの寓話を、人間関係の適切な距離についての喩えとして理解する向きがある。遠すぎれば、寒く冷たく、心が通わない、かといって近づきすぎれば、互いに相手を気付け合うことになる、人間関係とはかくもややこしきものである。そこには適正な距離が必要である。しかしその距離を保つためには、実際に近づいたり、離れたりしながら、試行錯誤で、つまり時に痛い思いをし、血を流しながらの、体験的に見出して行くしかない。

親と子の「距離」の取り方も、切実な問題である。誕生の瞬間から、母子分離が始まるが、上手く距離を取れないと、後々いろいろなやっかいも生じて来ると言われる。「距離」の機縁は、例えば「幼稚園」入園の時にやって来る。「振り向かぬ子を見送れり/振り向いた時に振る手を/用意しながら」(俵万智)。具体的な現実を見事に切り取ったな歌であるが。これは歌人のお子さんが幼稚園に入り、初めて親の付き添い無しの野外活動に参加する息子、そのバスを見送った時に詠まれた歌だという。おそらく子どもは、親の心配顔を振り返ることなく、バスに乗っていったことだろう。

フィリピの信徒への手紙を取り上げる。パウロの最晩年の手紙のひとつと考えられている。この手紙が記された時には、パウロはエフェソで捕らえられ獄中にあり、フィリピ教会に訪問することが困難になったゆえに、自分の名代としての弟子テモテに持たせたものだと推定されている。つまり、「距離」を隔てた中で書き送られた手紙である。フィリピの教会は、パウロによって基礎が据えられた教会のひとつであるが、多忙な、あるいは病気がちな、さらには捕らえられ身の不自由さをかこつこの使徒に対して、変わらぬ信頼と敬意とを持ち続けたようだ。5節「あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです」という一句に、この使徒の好感度の高さが伺える。ところがやはり教会の人々は、パウロの身の上を心配し、投獄によって直接会って顔を見ることができないことで、非常に落胆し、元気を失っていたのであろう。パウロはこの愛する教会の人々を何とか力づけ、励ますことが必要だと感じて、この手紙をしたため、テモテに持参させ、陣中見舞いとしたということである。使徒とフィリピ教会の人々との距離は、適正だったのであろうと思われる。

この時パウロは投獄されており、当時の感覚からすれば既に老境にあり、体力的にも限界を覚えることも多かった。弱さを覚える中で、つい21節の言葉が口にされたのである。「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です」。パウロ流の“”To be,or not to be,that is the question”が語られるのである。もしかしたら、後の、かの高名な劇作家は、この言葉からあの有名な台詞を紡ぎ出したのかもしれない。「どちらを選ぶべきか、わたしには分からない、二つのことの間で、板挟みの状態です」、二つの事柄の間に板挟みになって、どちらも選ぶことができない状態を、「ジレンマ」と呼ぶ。

「決断」や「選択」によって、人生は形づくられ、それらがあることが「自由」の証だと言われる。何かを選ぶことができる、というのは幸いなことだ。普通、生きるにあたって「あれもこれも」とは早々いかないから、選択の余地があるならば、いくつかの物事を吟味して、比較検討して、良い方を選ぶ、というのが賢明な判断というものだろう。ところが「よく見て良い方を選ぶ」というような「楽」な選択は、生きる中ではめったには生じない。そんな決断は、どちらを選んだところで、あまり重大な変化は生じない。だから「楽」なのである。大抵は、どちらを選んでも、「良くない、悪い」のだが、それでも放って置く訳にもいかず、やむを得ずどちらかに決定しなければならない、というような選択が、人生の中では生じやすいのである。だから「二つの事柄の間に板挟みになって、どちらも選ぶことができない」のである。

パウロにとってこのジレンマは、自ずと宗教的な問いとなる。すでに老境にあり、健康不安や投獄により、自分の人生の終わりがほの見えている。それでもまだ自分の人生で走るべき道のりの未だ途上にある。信仰者として、これからの行方について何を祈るべきか、思いあぐねている。彼はやはり偏狭なユダヤ主義からは離れて、ヘレニズム的な思考の傾向に置かれていたから、地上での生活、即ち「肉体」は、「魂の牢獄」的な感覚を持っていたのだろう。死ねばそのような肉の桎梏から解放され、ギリシア人の言う「イデア(永遠)」、彼にとっては「キリスト」と合一するのだ、という観念を内に秘めていたのだろう。「一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい」。

しかし彼がたどり着いた結論は、24節「だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です」というものであった。「死ぬことは、キリスト(と共にあること)」でありパウロ個人にとって、大きな喜びの成就なのである。ところが彼は、それ以上に「あなたがたの信仰を深めて喜びをもたらすように、いつもあなたがた一同と共にいること」を選びたいと宣言する。つまり、自分一人の喜びを超えて、フィリピ教会の人々と喜びを共にすることを願い、祈り求めるのである。

二つ、あるいはいくつかのものをよく眺めて、それぞれのメリット、デメリットを十分に知った上で、より良い方を選択する。失敗しない人生の秘訣のように感じられるが、現実にはそんなに簡単にはいかないものである。そんな選び方は、精々どちらでも良いことにだけ通用するものだろう。痛んで、時には血を流して、それでもこれで良かったのだ、と言える事柄こそが、私にとって、最善の選択なのだろう。そこには祈りが必要である。